トロイメライ・アタック

【トロイメライ、攻め】



 陽が傾き始めている。あやかと真由美は空きホテルの一室で一息ついていた。いつぞやと違う客室だったのか、贅沢なトリプルベッドだった。一緒に寝泊まりするのに床に転がされることを覚悟していたあやかだが、姫はあっさりと同衾を許可してくれた。

 神里に入ってから数時間、他のマギアとの接触は未だない。


「…………こんな悪知恵どっから身につけてきたのよ」


 真由美の呆れ顔。デッドロックから教えられた思い出も、今となっては随分昔に感じる。あやかが答えないのは、意趣返しでもあり、小さな意地悪でもあった。


「このお風呂、ジェット機能があるんだぜ。俺はループ経験者だから分かるんだ」

「⋯⋯⋯⋯やけになってない?」


 色んな意味でその通りなので、あやかは言い返せなかった。代わりに、おもむろに服を脱ぎ出す。目を背ける真由美が抗議の声を上げる。


「何がしたいの⋯⋯ッ!」

「いや、汗かいたから風呂入りたいんだけど。誰かさんが連れ回したおかげで無駄に動き回ったから⋯⋯」

「だからアレは結界が⋯⋯ッ!」


 信じないふりをして真由美を煽る。ヒロイックが神里市の境界に結界を張っていたことは知っていた。掻い潜るためには真由美の『見通し』のスコープは必要だった。だが、あやかは純粋に思う。


(そこまで必死に避けるぐらいなら、むしろ引っ掛かるぐらいが自然だったよな⋯⋯)


 真っ正面から結界を潜っていったデザイアの策は、その点一枚上手だったと感じる。あの、弱い故にしたたかな先輩のことだ。全て織り込み済みに違いない。そういういう立ち回りも一つの強みであると、あやかは今までの経験で理解している。


「お前、ほんっとうに融通効かないなあ⋯⋯」


 本心からの言葉だった。万能の魔法に、本人の能力が追い付いていない。力押しで突き進むあやかであっても、同じ魔法であればうまく使えそうだった。


「うるさい」

「真由美は、どうしたいの? どんなマギアになりたいの?」


 真由美は口をつぐむ。


「どうあっても、答えないという訳か⋯⋯?」

「アンタこそ、自分の立場は分かっているの!?」


 悠々とジェットバスに身を沈めたあやかを非難する。


「俺を従えたけりゃあ、性奴隷にしてみやがれ!!」


 全裸で堂々と言い放つあやかに、真由美の顔が爆発した。真っ赤になった顔を必死に逸らす。あやかはほくそ笑んだ。高嶺のお嬢様も、引き摺り下ろしてやればお手の物だ。

 あやかは自分の胸を弄ぶ。


「ねえねえ、触りたくない?」

「死ねっ」


 動揺を感じた。あやかはにやりと不敵な笑みを浮かべる。



「ねえねえ――――本当の目的ってなんなの?」


「……………………………………………………」



 やはり、喋らないか。最初から期待していなかったあやかは小さく笑う。信頼関係ではなく、共闘関係。お互いに理解している。弁えている。

 マギア・ジョーカーの脅威は未知数だ。しかも、脅威は彼女だけではない。『終演』や『M・M』の正体も謎に包まれたままなのだ。


「勘違いしないで。私の目的から外れるようなら、アンタはただの敵よ」


 言いながら、真由美は服を脱いだ。唐突すぎて、あやかは思わず目を逸らしてしまった。スモールバスタオルでいじらしく身体を隠しながら、真由美はジェットバスに身体を沈める。


「…………私も汗かいちゃったのよ」

「ジェット消してもいい?」

「やめて」


 今さらのように真由美が身を縮込ませた。あやかはチラチラ盗み見るだけ。無言の時間が過ぎる。沈黙に耐えかねたあやかが風呂を上がった。


「………………なに?」


 視線を感じて振り返る。真由美と目が合った。彼女に裸を見せることに羞恥などないと思っていたが、ここまで凝視されると少し思うところがあったりなかったり。


「べつに」


 そっぽを向かれてしまった。それでも視線だけはちらちらこちらを向いているのが丸わかりだ。

 妙なむず痒さを感じながら、あやかはバスタオルを身体に巻いた。







 一眠りして、二人が動き出したのは夜が明ける直前だった。深夜の奇襲は警戒されるだろうから、明るくなるその境界に攻める。真由美にしては単純な策だが、あやかとしては出された策には乗るつもりだった。

 そもそも、真っ正面から殴り込もうと考えていた。


「……本当に、ここなの?」


 

 そう、あやかには圧倒的なアドバンテージがある。


「ほらよ」


 あやかが指差したのは、一軒家の表札だ。そこには『暁』と確かに記されている。あやかはえんまの家を知っている。拠点を掴んでいる。そして、向こうはそのことを知らないはずなのだ。


――――どうせ記憶に残らない、だろうけど⋯⋯


 真由美といい、えんまといい、あやかのループ現象は妙に懐疑的に構えられる。だが、そこは今や付け入る隙となった。


「窓、割るか?」

「いいえ。真っ正面からお邪魔しましょう」


 そう言うと、真由美は鍵穴に人差し指を押しつけた。粘り気のある水色の液体が流れる。『創造』の魔法。鍵穴にフィットするように凝結させ、軽い所作で鍵を開ける。


「うわぁ……すげえ悪い奴っぽい」

「黙らっしゃい。窓叩き割る暴漢よりマシよ」


 踏み込む。当たり前ながら、家は静かだった。マギア・ジョーカー、諸悪の根源を狩る。二人は足音を殺しながら魔窟を進む。二階の寝室へと。ドアノブを握るのはあやか。視線で示し合わせ、開ける。


「あら、いらっしゃい」


 開けっ放しの窓に腰掛けるジョーカー。十本の歪んだ槍が鳥籠のように彼女を囲う。真由美の『創造』が奇襲を仕掛けたが、ジョーカーの『時空』が阻んだのだった。


「ジョーカー…………?」

「ええ、そうよ。私がマギア・ジョーカー。待っていたわ、トロイメライ」


 違和感。

 あやかは宿敵の姿を見た。自信に満ちあふれた表情で、優雅にコーヒーを啜っている。不吉なギョロ目はそのままに、気怠さが威圧に置き換わっていた。

 そんな、の少女。


「追い詰めたのはこっちよ。虚勢を張るのはやめなさい」


 あやかが疑問の声を上げる前、真由美が牽制を言い放つ。水色のマギアは疑問を抱いていない。やはり、彼女には前世界の記憶がない。マギア・ジョーカーの存在は識っているが、暁えんまという人物は知らないのだ。


「くふ、ふふふふ」


 歪に、不敵に。ジョーカーが笑みを浮かべた。空間歪曲で螺旋ねじ曲げられながらも、水色のリボンがジョーカーに届く。最も脅威が大きい時間停止はこれで封じた。あやかは『時空』の魔法について真由美に話していた。

 それでも、ジョーカーの含み笑いは崩れない。

 真由美はあやかに視線を投げた。『創造』の魔法は万能の可能性を生むが、一撃の破壊力であればあやかの方が上だ。血が滲むほど強く拳を握り締め、それでも飛びかかれない。確認すべきことがあった。


「お前――――――――誰だ?」


 ジョーカーの笑みが引いた。


「……どうして、そんなこと言う、の?」

(今だ――――ッ!!)


 揺らいだ。やはりアレはジョーカーだ。何故色が付いたのかは分らないが。

 踏み込んだ脚力で床板が跳ね上がった。一足で距離を詰めるあやかが拳を放つ。空間がたわみ、重なり、弾ける。一撃を跳ね返されたあやかが次撃のために身体を沈めた。真由美の魔法がそれをサポートする。

 しかし。


「くふ……まだ早い」


 今度は、異界が。


「トロイメライ。運命の至る最果てへ至りなさい。私もそこに行くから」


 窓から落ちる少女に、あやかは手を伸ばした。


「今度こそ――――『終演』を越えましょう?」


 ジョーカーが落ちた。あやかも真由美も追えなかった。罠を張られる覚悟はあったが、いくらなんでもこれは計算外だ。ネガの結界がマギアたちを覆う。情念の怪物、深淵なる異形、ネガが。

 

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