トロイメライ・ヴィーダービューネ

【トロイメライ、反復劇場】



 頭痛が酷い。軽い吐き気が断続的に続く。ベッドから起き上がったあやかは、少し歩いて床に崩れ落ちた。


「戻った、のか⋯⋯?」


 音がない。だが、色に溢れたいつもの世界。汗を吸って身体に纏わり付くパジャマを脱ぎ捨てる。あやかは壁伝いにようやく立ち上がった。脱ぎ捨てたパジャマが肌に引っ付いて気持ち悪い。


「なにが、起きた⋯⋯⋯⋯?」


 コマ送りのように記憶が投影される。黒い腕。無数の眼差し。汚泥。そして、運命の砂時計。勝てるはずだった。マギアたちが挑んだ『終演』、その打倒の目前まで来ていた。

 裏切り。その意味に気付く。胸が締め付けられるようだった。心臓が痛い。何も話を聞けないままに、助けたはずの少女は落命した。そして、あやかは折れた。


「負けたのは、失敗したのは、俺のせい⋯⋯⋯⋯?」


 階段を転がり落ちる。涙が止まらない。心がツギハギだらけで、身が引き裂かれそうだった。

 どうして、拳を握らなかったのか。

 どうして、立ち上がらなかったのか。

 ヒーロー失格だ。とんだ悪夢だ。あやかは裸のまま、タオルも取らずに風呂場に入った。シャワーから降り注ぐぬるま湯で頭を冷やす。身体が震える。鈍痛が全身に広がる。


「また、繰り返さないと⋯⋯⋯⋯」


 それが、あやかの運命。

 死んでも解放されない、地獄の輪廻。だが、僅かな救いはあった。この地獄を引き起こしている下手人がいる。最期の光景を、あやかはしっかりと記憶していた。


「繰り返す⋯⋯⋯⋯」


 あやかは顔を上げる。鏡に映る傷一つない裸体。手足は日焼けして、袖や裾の辺りを境に白く潤う。小柄ながらも引き締まった肢体。とても健康的だ。この肉体は、まだ死闘の苛烈さを知らないのだ。

 これから傷つく。魔法で再生しても同じことだ。痛いし、苦しいし、辛い。記憶が告げている。また繰り返す。心を摩耗したあやかが脱出口を探す。


「ジョーカーの魔法は『時空』⋯⋯⋯⋯アイツが、世界を、繰り返している」


 魔法とは物理法則の超克。ならば、奇跡の限界はないはずだ。ジョーカーがそれほどまでの情念を秘めているのであれば、可能性としては充分すぎる。何より、ジョーカーは実際に世界を渡ってみせた。あやかは自らの目で見たのだ。


「俺が――――――この運命から解放されるためには」


 その言葉が、事実上の敗北宣言になることにあやかは気付かない。

 幾分マシになった頭を回しながら、あやかはぬるいシャワーを止めた。身体も拭かずに出てくる。リビングのソファーに横たわりながら、冷蔵庫から取り出したソーセージを咥える。。うるさく言われるようなことはないのだ。

 あやかは考える。

 この絶望の運命から助かりたい。そのために道は、自分で掴むほかない。


「ジョーカーを倒す」


 答えはすぐに出た。あまりにも自然で、あやかは自分の声を疑った。そして、笑った。大きな声で笑った。


「なああんだ! 簡単じゃねえか!」


 簡単ではない。それはあやか自身が一番よく理解している。それでも、答えゴールが見えていることは最上の希望だった。


「ジョーカーを倒す」


 もう一度、口にする。干しっぱなしのバスタオルで身体を拭いて、あやかは冷蔵庫の中を物色し始めた。ソーセージ、ハム、ベーコン。口にできそうな肉を片っ端から口に詰め込んでいく。

 力だ。とにかく力が欲しい。より強く拳を握るための力を。肉を貪るあやかは、まるで獣のようだった。


「ジョーカーを倒す」


 あやかは獣のように雄叫びを上げた。戦える。折れた心が繋ぎ止められる。

 服を着る。その行動がどこか言い訳じみていた。まるで、まだ自分は人間だとでも言うように。

 やるべきことは決まった。あやかは玄関の扉に手を掛ける。誰かが呼び止める声が聞こえた。だが、あやかは黙殺する。


「遅い」

「よお、待たせたな」


 大道寺真由美。裏切り者がそこにいた。







 今の彼女に裏切りの自覚はないだろう。これから起こることを糾弾するのは無意味だ。

 だが、あやかの中に整理しきれない塊が膨らむ。かつて、見捨てたことを後悔した。そして、今は助けたことを後悔し始めている。


(後悔が、なんだ⋯⋯)


 逃げても連れ戻される。あやかは運命の奴隷だった。この鎖を引き千切るためなら、恐ろしい看守にも噛み付いてやる。あやかは自分の表情を噛み殺した。


「じゃあ行くか」


 どこに。

 あやかは宣言する。


「ジョーカーを、倒しに」


 神里の方角を見て、笑みを浮かべる。反応のない真由美の顔を覗き見ると、驚いて固まっていた。それはそうだろう。彼女視点では脈絡がなさすぎる。


「⋯⋯⋯⋯どうして?」


 待っていると、ようやく真由美が口を開いた。手玉に取っているようで気分が良い。


「奴の魔法がこの世界を廻している。解放するためには⋯⋯きっと奴を倒すしかないんだ」

「⋯⋯⋯⋯どうして?」


 真由美の言葉の意図が分からない。あやかはゆっくりと振り返った。



「どうして――――アンタがソレを知っているのよ⋯⋯」



 今度はあやかが固まった。聞こえた言葉を咀嚼する。真由美は、確かに言った。自分の答えが正解であると示された以上に、真由美がそのことを知っている事実の方が衝撃的だった。


「⋯⋯俺は、何度もこの世界を繰り返してきた。その記憶が残ってるんだ」

「そんなわけが、ないわ」


 震える声で、しかし真由美ははっきりと否定した。相変わらずの態度。だが、あやかの中に一つの懸念が生まれた。


(なんで、真由美も知っているんだ⋯⋯⋯⋯?)


 死闘。魂と魂のやり取りの中、真由美が前の世界を知らないことには確信があった。しかし、真由美はジョーカーと、『彼女が世界を廻している』と言うあやかの言葉を肯定した。


(何かある。知るはずのない事実を、真由美は手にしている)


 有り得ない。であれば、答えは一つしかない。

 魔法。マギア・メルヒェンの固有武器であるフィールドスコープ。思い返せば、彼女は事あるごとにソレを覗いていた。


「全部、視えるのか?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ッ」


 隠し事が下手な少女だ。頑なに口を開かないが、その態度が肯定を示していた。そんな彼女がループ現象を否定している。あやかが知らない真実が、他にもあるのだ。


(口を割らせるのは、無理か⋯⋯⋯⋯)


 どうせ意地でも喋らないだろう。それに、目的が一致している状況で無茶をする必要はない。


「俺はジョーカーを倒したい。目的は同じだろう?」

「⋯⋯一緒に、戦いたいと?」

「ダメか?」


 少し迷って、真由美は首を横に振った。肩を竦めたあやかだが、少しして『ダメ』に首を振ったのだと理解する。


「いいわ――――アンタの悪意、どこまで至るのか見届けてあげる」


 あれだけ苦労した真由美との共闘が、たったこれだけで叶ってしまうのはどんな皮肉か。

 二人は神里へ向かう。

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