finis.

【夢の跡】



(失敗、した⋯⋯⋯⋯?)


 そんな結果以上に、あやかの心を苛むことは。


(真由美が、やったのか⋯⋯⋯⋯? どうして? なんで? なにがしたいんだ、アイツ)


 理解不能。闘志が折れかける。戦う理由が揺らいでいく。肉体は魔法で修復出来るが、心までは直せない。明滅する世界。落下の衝撃は無く、代わりに優しく包まれる暖かさ。


「――――無事ッ!?」


 黄色いリボン。ヒロイックの魔法だ。折れた骨をリボンで支えようとするが、あやかは首を振った。


「リロード、リペア!!」


 立ち上がる。大丈夫であると示す。だが、この惨状。ヒロイックも作戦が失敗したと理解したはずだ。


「真由美が、裏切った」


 その言葉に、ヒロイックが唇を強く噛んだ。デッドロックの警告を思い出す。甘い夢に浮かれていた自分とは対照的に、冷静に現実を見ていたのは彼女の方だった。


「――――後悔は、しない」


 だが、ヒロイックは言い切った。


「ダメージが無いわけじゃない。むしろ攻撃自体はちゃんと通っている。悲観しないで。このまま畳み掛ける」


 運命の砂時計は破損が目立つ。あちらこちらから砂が零れ落ちていた。

 だが、状況は芳しくない。真由美は姿を眩ませているし、ジョーカーと合流したデッドロックはデザイアを叩きのめしている。束の間の結束は乱れ、そして何より。


「ぐ、ううぅぅう――――ッ!!?」


 苦悶の声が上がる。明らかに異常な重力があやかを押し潰した。隣のヒロイックもまともに立てていない。

 ここは、引っ繰り返った砂時計の真下。

 物理法則が崩壊した、異界の大地。


「り――りりりり!!」


 リボンも鎖も、全てが跳ね除けられる。あやかがロードの魔法で跳び出す。ヒロイックを抱えて、今は、距離を。


「リロード!!」


 突如、身体が浮いた。渦のように形を変えた獄炎が二人を包む。ヒロイックの鎖とあやかの拳撃、辛うじて空けた穴からロードで脱出。


「どうなってんだ!?」

「⋯⋯崩壊の範囲が広がっている。これが世界を覆ったら、本当に――――」


 世界の終焉。比喩でもなんでもなく、このままでは本当に起こりうる。ヒロイックのリボンがあやかに巻きついた。怯えた目を向けるあやかに、ヒロイックは頭を撫でて落ち着かせる。


「大丈夫よ。私が抑え込んでみせる」

「⋯⋯⋯⋯どうやって」

「貴女は考えなくていいの」


 そう言って、ヒロイックは手持ちの魔力飴ヴィレを全てあやかに渡した。全てと言っても、たった一つ。その行動が何を意味するのか、分からないあやかではない。


「だからお願い――――『終演』は貴女が倒して」


 重力崩壊の圏外にあやかを運ぶ。獄炎と大質量が跋扈する異界へ、ヒロイックは敢えて残る。

 異界。別の法則が働く世界。その、最も身近であるものは。


「欲深くても、いいって言ってくれた。だったら、私はもっともっと望むわ。みんなと一緒にいたい。もっとたくさん、もっとふかく、もっと、もっともっともっともっともっと――――――⋯⋯⋯⋯」


 欲望を、深く募らせる。

 暗く、重く、果てしなく。

 心を海に沈める。奥底の果て。

 情念の集積を感じる。人類の普遍を。

 ゾワゾワ、と。繋がっていく。開放する。


「フェアヴァイレドッホ――――狂乱怒涛ヒロイック


 絶対崩壊圏を削り取る異界。

 即ち、ネガの結界へと。


「……………………ああ、そんな」


 あやかは、崩壊圏が別の異界に飲まれていくところを見ていた。しかし、『終演』は未だ健在。その脅威を削られてもなお、存在が莫大すぎる。


「デザイアの奴⋯⋯⋯⋯消えやがった。メルヒェンもとっくに雲隠れしてやがる」


 言葉に、あやかは振り返った。

 憤怒を大地に叩きつけるデッドロック。その後ろにスパート。深く強い敵意を双眸に宿したジョーカーが、言った。


「いいえ。まだよ。終わって、ない。『終演』は、絶対に、倒す」


 四人のマギアは、見上げる。

 暴風と獄炎に覆われた巨大な砂時計。その周囲には浮き上がった大地が幾つも周遊している。あの絶望に、挑まなければならない。


「ヒロイックが、言ったんだ。だって」


 祈りのような言葉。スパートが『治癒』の魔法で全員の傷を癒す。

 直後、『終演』が加速、マギアたちへ突撃を開始した。






茶会の『リギリリリリリス・ネバーエンド』


このネガは「招待」の性質を持つ。

結界に入った者を優しくもてなして楽しませる。

とても寂しがり屋で、積極的に魂を喰らうことはしない。

ずっとお茶会でもてなし続け、決して離そうとしない。

縛りつけてでも共に居させる。それがネガの全て。






 赤と黄のチェックの壁紙が床まで埋め尽くされている。どこまでが壁で、どこからが床なのか判別がつかない。包まれた風呂敷の中のような奇妙な感覚だった。


「やっほー、クソ野郎! お前も捕まったんだね」


 視界の先には橙のマギア。ここはネガの結界だと理解する。中央に鎮座する巨大なテーブル。その上には椅子の数と同じだけのティーカップと、こんがり焼かれたお茶菓子スコーンが幾つか。


「さっきの鎖⋯⋯ここのネガのものか」


 真由美はテーブルを見渡した。

 椅子に座るぬいぐるみたち。赤、緑、灰、黒と分かり易い符号を見せる。そして、橙。ぬいぐるみではなくデザイア当人が鎖で雁字搦めになって無理矢理席に着かされていた。残る空席は、二つ。


「私と、ヒロイックのネガ⋯⋯」


 砂時計が引っ繰り返って少し、二人は虚空から伸びた鎖によって異界へと引き摺り込まれた。ジョーカー、デッドロック、スパートが集まっていたのは視認していた。


。だから……消去法で、ヒロイックがネガ堕ちしたことになる)

「やあやあ、僕がメルヒェンのはかりごとに乗ったのは、それがより破滅的だったからさ。僕は破滅したくてマギアになったからね」

「聞いてもいないことをベラベラと⋯⋯」


 悪態をついて気付く。デザイアはこちらを見ていない。空席の一つに向かって話しかけている。真由美は訝しげに、もう一つの空席に近付く。妙な悪寒が全身に走った。

 手が震える。足が竦む。躊躇に固まる。


「圧巻だよ、ほんと」

(鬼も蛇も出尽くした。それでもジョーカーは絶対に止めてみせる。だから⋯⋯進まないと)


 座る。

 見えた。

 姿はだいぶ幼いが、間違いなく郁ヒロ本人だった。この幼さは、せいぜい十歳くらいだろうか。白いハットの下からは、子供らしい無邪気な表情が覗く。その耳からぶら下がる黄色いイヤリング。


「僕が貴女に縛り付けられている――――こんな素敵なことは、他にない」

(しまった――――先にスコープを覗いておくべきだった)


 狂気じみた雑音と、ネガの放つ威圧感。この場は異様な場に飲まれている。真由美は、動揺を、無理矢理噛み殺した。額に汗が滲む。小さなヒロがカップを持ち上げた。真由美とデザイアはそれにならう。


「私は罪悪感を抱いている。心地良さを抱いていたのに、それを全て打ち壊してしまった。全て、自分の、欲のためです」


 声を聞いて、心臓が締め付けられるようだった。自分の声、自らの口が発した音声だった。自覚していなかった本音を引き出され、顔の筋肉が不自然に震える。


「私は――――後悔している」


 じゃらり。

 椅子の足から鎖が伸びる。まるで毒蛇のような不気味な動き。



 水色の炎が鎖を焼いた。小さなヒロが慌ててカップを落とす。狼狽の間に、真由美は渾身の蹴りでテーブルを跳ね飛ばした。テーブルと椅子に挟まれて幼女が藻掻く。


「甘ったるい夢想に沈んでやる気も――――ないッ!!」


 泡だらけのデザイアが鎖の拘束から脱出する。緩んだ隙に、摩擦を減らしたか。棍棒で隣の灰色のぬいぐるみを殴打する。中綿が弾け飛んだ。


「まずは一体! どうせなら地獄までタダ乗りさせてもらうよ」

「……調子いいわね」


 浮かぶ泡、構える棍棒。橙のマギアがへらへら笑う。やはりその目は笑っていなかったが。


「なにを するの いたい いたい」


 顔の半分をどろりと溶かしながら、小さなヒロがテーブルから抜け出した。その全身に水色の杭が突き刺さる。そして、溶け落ちる小さなヒロの首を水色の刀で両断した。鮮やかな手並みに、デザイアが口笛を吹く。

 空っぽのカップにイヤリングが落ちて、からんと音を立てた。何も起きない。真由美は眉をひそめる。


「アレがネガの本体じゃないの……?」


 魔法のフィールドスコープを覗く。得体が知れない。たった今溶け落ちたのはどうやら使い魔のようだった。テーブルが紐解ける。


「い――ッ!?」


 デザイアの喉の奥から、空気の塊が漏れた。膨大な布束が暴れ回る。同時に鎖が弾け飛ぶ音がした。赤、緑、黒のぬいぐるみがムクリと起き上がる。


「あの、ブローチ……変じゃない?」


 赤いぬいぐるみの胸元に光る、黄色いブローチ。そんなものさっきまであったか。

 真由美が右手を振るい、衝撃波が布束をまとめて吹き飛ばす。まとめて吹き飛ばされるブローチ。ぬいぐるみたちがソレを守る。


(アクセサリーに擬態していたってわけね)


 ブローチがまばゆい光を発する。反射的に後ろに下がる真由美はネガの姿を捉えていた。ブローチが指輪に姿を変えると、緑のぬいぐるみの薬指に収まった。


「これが……ネガ」


 気付く。ぬいぐるみの手足はリボンで縛られていた。余程逃げられたくないのだろう。

 幼いヒロがぬいぐるみから指輪を受け取った。

 直後、光が。

 視界を覆われた真由美の足下から水色のリボンが展開する。全方位、防御は万全だった。大量のシャボン玉が発光を逸らす。だが、狙いは攻撃では無かった。


「いない……?」


 目眩し。警戒に下がるデザイアが視界から消える。鎖の音が耳に響いた。黄色い発光が蛍のように。真由美は目を凝らした。

 小さな小さなネガだった。ほんの親指ほどのサイズ。リスのような妖精が浮かんでいた。その両腕はリボンで、両足は鎖。符号が分かりやすい。アレがネガ本体だ。

 直後。

 両腕のリボンが硬質化、刺突が真由美を襲う。


(速い……ッ!)


 一撃一撃は大した威力は無い。しかし、妖精の高速軌道が容赦なく真由美を嬲り続ける。どれも決定打にはならない。じっくりと、じわじわと、痛ぶるように、真由美は攻撃を受け続ける。


(ダメだ)


 火炎、銃弾、拘束。そのどれもが避けられてしまった。

 水色の光が真由美を癒す。果てのない泥仕合。


(勝てない。いや――――)


 水色の拳銃を両手に握る。周りにさらに四丁。当てるのではなく、相手の動きを乱すために。


(そうだ……もう、勝つ意味がないんだ)


 ネガが急停止する。銃弾があらぬ方向に飛んでいく。気付いたときにはもう遅い。ネガの鎖にその身を絡めとられる。


(『終演』はもう、誰にも止められない。もここまでだ)


 ギリギリと全身を握り潰されながら、真由美は静かに息を吐いた。勝っても負けても大局は変わらない。ならば、これ以上無理をする必要はない。無駄をする必要はない。

 そう思っていた真由美の拘束が弾け飛んだ。身体の自由を得て、真由美は現実に立ち返る。


「メルロ……?」


 両腕を千切られたネガがのた打ち回る。真由美の左右に控えているのはぺらぺらの紙の騎士。鋭いランスが姫を救ったのだ。


「そう……女王の矜持は、それを許さないと言うのね」


 諦めのように真由美は呟いた。ネガの傍らに綿の塊が落ちる。バブルで光の屈折率を操り姿を隠したデザイアの嘲笑。妖精が分かりやすく動揺した。動きが不格好になる。

 真由美の号令に騎士は応じた。隙だらけのネガにランスを突き立てる。


「私は全てを引っ繰り返した――――ケジメをつけに行かないと」


 全てを滅茶苦茶にした、その結末を。真由美は見届けなければならない。

 真由美の分身が二体。日本刀を構えて突貫する。


「…………ッ」


 復活したネガのリボンに戦慄する。不意打ちとはいえ、分身の心臓を穿っていた。本気で潰しにきていた。あれが、技術と経験が上乗せされたヒロイック本人だったらと想定して、ゾッとする。

 ロードの魔法で二人の真由美が飛び回る。変則軌道にもネガは対応してきた。水色の拳銃から放たれる銃弾をかわし、反撃を見舞ってくる。


(小さすぎて狙いが定まらない。せめて、一瞬でも動きを止められたら……)


 肩を貫かれ、真由美は転げ落ちる。紙の騎士は、文字通り紙屑のように引き裂かれた。攻撃の狙いに戦慄する。確実に心臓を狙いにきている。このネガは、マギアの弱点を理解しているのだ。


(どうする……?)


 真由美が立ち止まった。均衡が崩れた。

 分身が八つ裂きにされ、心臓に刺突が迫る。


「そうね――これこそが本当の決まり手かしら」


 真由美とネガが睨み合う。最早、互いに遮るものはない。両者とも、一直線に相手へと。


(これが最善手、けれど……それでも、五分と五分)


 妖精が両腕を伸ばす。そのタイミングで、真由美が前方に加速した。心臓から狙いを外さず、真正面に。


「そこ――――」


 刃を突き立てる真由美。硬質化したリボンを放つネガ。勝負を捨てたわけではない。ネガの攻撃より先に、必殺の突きを浴びせられる算段があった。リボンの先が、左胸に触れる。

 同時、黄色の妖精が串刺しにされた。

 一片の容赦なく、身体の中心を。確実に致命傷だった。ネガの身体がぼろぼろと崩れ落ちていく。


「辛勝、といったところかしら……」


 力なく真由美が這う。ネガの一撃は左胸を貫通していた。小粒の攻撃故に、即死を免れたのだ。

 結界が綻び、解け落ちていく。絡まった布が解けるように。そんな光景を見ながら、真由美は水色の光で致命傷を癒す。


(――――結末を)


 そう決心した直後、脳内で花火が散った。完全に意識の外からの一撃。鈍い痛みに振り返る。血濡れの視界に橙のマギアが映った。棍棒を振り抜いたまま、彼女は戯笑を浮かべていた。


「なに、を⋯⋯⋯⋯?」

「僕は⋯⋯⋯⋯なんだかんだで、あのどうしようもない師匠が大好きなんだ。だから、破滅させたいと思うし⋯⋯一緒に破滅したい。僕があの人の一番になるんだッ!!」


 左胸から綿を生やした少女に、真由美は絶句した。心臓を、まさしく真綿で締められている。その命は、ほんの秒読み状態だろう。それでも、誰よりも活力に溢れたその表情は。


「メーールヒェーーーン」


 破滅願望デザイアが、にっこりと笑う。


「お前は普通に大嫌い。だから、どうしようもなく死んじまえ」


 撲殺。

 脳を叩き潰されて、思考能力を潰される。あとは急転直下。全身を隈なく叩き潰され、どこにそこまで余力があったのかと疑うほど、デザイアは暴力を振り下ろし続けた。

 結界が崩れきる直前、デザイアは真由美の日本刀を奪った。


「僕は――――貴女といたい」

(きっと⋯⋯こんな気持ちなのね。積み上げてきた覚悟が、訳の分からない悪意に塗り潰されるのは)


 心を折られただろう英雄願望トロイメライも、きっと同じことを感じているだろう。

 デザイアは、自身の心臓を串刺しに。

 即死だった。その死体はヒロのネガとともに結界に溶け落ちる。最後の最後に、遅れて生命が尽きた真由美だけが外の世界に残った。

 どうしようもない。

 ただただ悲惨な結末だけが残った。







 爆進する『終演』を、一度は押し留められた。二度目は、だいぶ怪しい。あやかもマギアたちも満身創痍だった。止めるだけではない。倒さなければ。全滅どころではなく、ここら一帯が壊滅するだろう。


「ヒロイックの犠牲は、決して、無駄にしてはいけない」


 ジョーカーの叱咤に、相棒と弟子が畳み掛ける。だが、その表情は暗い。あの英雄の死に少なからず傷を負っている。


「あの人の想いを、我々が、成さないと⋯⋯」

「言われなくとも、分かってるってーの」

「それが⋯⋯⋯⋯ヒロさんの、想いだもんね」


 あやかはロードの魔法で飛び出した。しかし、二度目の突撃が立ち塞がる。


(真由美⋯⋯⋯⋯お前は、何がしたかったんだ?)


 迷いのある拳は、届かない。

 残った仲間たちがめいめいの打開策を講じる。決死の反撃に挑む。しかし、あやかの目には、どこか他人事のように映ってしまう。気力が枯れていくのを実感した。大切に想う少女の裏切りが、絶望の海へと浸す。


「俺は⋯⋯⋯⋯間違っていたのか――――⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」


 疑問の答えは出ない。

 あやかは、運命を解放した『終演』の突進を、甘んじて受けた。







 黒い水面に、あやかはぽつりと立っていた。

 見渡す限り何もない。黒い地平線の無限の世界。一歩踏み込むと水面に波紋が広がった。小さな波が世界に広がっていく。見渡す、そんな気力すら残っていない。ひたすらの諦念を抱いて、あやかは在るがままを受け入れた。

 溶ける。凍える。欲する。無限の欲望。

 無数の腕が水面から生える。夥しい数の人肉があやか一人に殺到する。身体を震わせ、逃げるように捩る。さらに波紋が広がった。黒い方舟の外から、無数の眼差しがあやかに注ぐ。ぎょろりとした眼球があやかを注視する。黒い声があやかを呼んだ。

 求められ、見られ、請われ。全身をなぶられ、大波が行き交う。

 黒い表層に求められ、ヒーローは降り立つ。

 生々しい肉塊に包まれ、あやかは狂笑を上げる。

 請われる声を聞いた。ならば立ち上がらない訳にはいかない。十二月三十一日オワリは歓喜した。




「夢カラ醒メル時ダ」

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