デッドロック・ディゾナンス
【デッドロック、認知的不協和】
「あ、たし⋯⋯は――――――――――」
パン、と。
小気味よい音とともに、その手は弾かれる。
「まだ、諦めてない。ヒロさんに、並べるように、なる」
寧子が振るった腕が、水の波面を立てる。陽炎の人形が鎮火し、夕陽が水面に墜ちた。
「自分一人で、正しく在れるようになる。そうしたら、きっと、胸を張ってヒロさんの隣に立てる」
「無理だ。お前ごときが追いつけやしない。ぶっ壊れて仕舞いだよ」
「それでも――――――やる」
寧子が歩き始める。
「まだ、諦めたフリを続けるの――先輩?」
寧子が向きを変える。明らかに何かを見据えた目線。彼女は止まらない。デッドロックはもう立ちはだからなかった。
「なにがある?」
「ネガだ⋯⋯少し遠いけど」
「分かるんだな。感知が鋭いタイプか、あんた才能あるよ」
きょとんと寧子が呆けた。デッドロックには何も感じなかったらしい。
「なー! ヒロなんかと手を切ってさ、あたしらと組まないか? その能力、ずっと役立てるし⋯⋯⋯⋯気が合うと思うんだ、なんとなくね」
「ごめん、無理」
即答だった。
「でも、チョコはありがと」
苦笑するデッドロックを背に、寧子が走り出す。思い込んだら直情一直線。すっかり煤けてしまったデッドロックにとっては、かつての黒歴史を見せられているようなむず痒さだった。
「⋯⋯⋯⋯うまくいかねーな、お互い」
デッドロックが立ち上がる。振り返った先に、見知った顔があった。黄金色に輝く英雄の魂。神里の英雄が鎖を垂らしながら近付いてくる。
「派手に魔力をばら撒いちゃって⋯⋯誘っているの?」
「おいおい、目当ての新人ちゃんはもー行っちゃったぞ? 追わなくていーのかい?」
おどけたデッドロックが大槍を前に立てる。一触即発。ぶつけ合う殺気が、お互いの足を縫い止める。
ヒロイックの中で、声が響いた。
――――いいのか?
(そんなの⋯⋯⋯⋯)
先に動いたのはヒロイック。その出足にデッドロックが大槍を突き出した。蹴りが槍先を逸らし、鎖の殴打が槍の持ち手を弾く。
(いいわけ、ないじゃない――――ッ!!)
デッドロックのはるか背後、大槍が突き刺さった。一本取られたはずのデッドロックが小さく笑う。そして、英雄にその道を譲った。
「なんだ、元気そーじゃん」
ヒロは、足を進める。大槍が塵と消えた。燃え落ちる煙が、寧子の進んだ先を示していた。ヒロは一度も振り向かず、そしてデッドロックはそんな彼女の背中を見つめていた。
「⋯⋯⋯⋯遅せーんだよ、バカ。今度こそうまくやんな」
残った板チョコを噛み砕く。妙に満ち足りた心地だった。
「なーんか白けちまったな。あたしの役目は――――きっともー終わりなんだ」
「そう。貴女はここで終わりよ、デッドロック」
声に、はっと顔を上げる。気が緩んだその一瞬を狙われていた。腕が縛り上げられて動かせない。
一瞬の出来事だった。完全に不意を突かれ、ろくに抵抗出来なかった。
(この魔法は、まさかヒロのッ!?)
だが、そんなはずはない。彼女は、たった今。
それに、リボンは水色だった。
(違う……複製か!? マギア・メルヒェン!!)
ジョーカーから聞いていた。高梁から来たマギア二人、その片割れ。盟主からは度々警戒を促されていた相手だ。
彼女はヒロイックと同盟を組んでいた。であれば、それは十分に敵対する理由になる。
(なんてこった……)
まさか狙われるとは、となるほど間抜けではない。常に警戒はしていた。しかし、まさかこの一瞬を狙われるとは。いや、まさにこの瞬間こそを彼女は狙っていたのだろう。
(あーあー、自業自得じゃねーか……)
無駄に長居し、余計なことに首を突っ込んでしまった。これはその報い。口を縛られて声が上がらない。既に全身が拘束されている。
しかし、その目には水色の暗殺者が映っていた。
殺気立った眼差し。何が彼女をそこまでさせるのかは分からない。その手に握るのは、なんの冗談か水色の槍だった。黄昏の光が廃工場に走る。
(――――ごめんね、ヒロさん)
静かに目を瞑る。これが報いと、最期を覚悟した。
それから数秒。痛覚は機能していなかった。デッドロックは目を開けた。死槍の穂先はデッドロックまで到達していない。
「ぐ、うぅぅぅぅうううう――――ッ!!!!」
メルヒェンが叫ぶ。石突に手を当てて螺子伸ばすが、槍は決して前に進まない。デッドロックの周囲から伸びる無数の鎖が動きを封じていた。
やはり、槍先はデッドロックの心臓に届かない。
「真由美ちゃん」
「最悪⋯⋯失敗した」
刃を素手のまま掴むのは、ヒロイックだった。その手はずたずたに引き裂かれ、鮮血が滴り落ちる。しかし、槍は決して前に進まない。英雄は握力に任せて槍を砕いた。
「私はもう迷わない。だから、真由美ちゃん。もういいの。もうやめて」
ゆっくりと、真由美が柄から手を離す。ヒロイックは邪魔だと言わんばかりに武器を投げ捨てた。
「…………⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
俯いたままの真由美。表情は見えない。だが、デッドロックは拘束されたままだ。こんな暴挙に出たのも何か目的があってこそ。そう簡単に諦めるわけがない。
「……ごめんなさい。私はもう、この子だって諦めたくないの」
ヒロイックは鋭く蹴り上げた。何かを弾いた音。真由美の表情が崩れる。
「真由美ちゃん、もう手詰まりよ」
弾いたのは、小太刀。
小さな爆風で投撃され、弾かれ、デッドロックの拘束を引き裂いた。
「てめー……よくも⋯⋯⋯⋯」
神里の英雄コンビ。敵に回すとしたら最悪のペアだ。しかし、真由美はもう止まれない。行動は起こしてしまったのだ。
「ジョーカー……ッ」
歯軋り。怒りの形相で二人の奥の闇を睨む。そこには誰もいない。何も届かない。
「終わりのあやかは、きっと成功する。だからここで数を減らさないと……!」
無数の白球が真由美を囲う。形作るのは水色の槍。
「なにをわけわかんねーことを!」
「止めるわ」
大量に浮かんだ槍が、真由美によって掃射される。
「貴女も一緒よ。あやかちゃんだって、そう。私の大切な仲間⋯⋯だから、私はもう離さない」
指から飛び出た鎖が槍を弾く。崩れた布陣を、デッドロックの槍捌きがまとめて粉砕した。追撃を仕掛けるデッドロックを、ヒロイックのリボンが妨害する。
「下がってて。これは私の戦いよ」
「…………ちっ」
十指を向けられ、デッドロックは舌打ちをした。乱戦は、マズイ。タイマンならともかく、混戦ならば分があるのはヒロイックの方だ。
だが、デッドロックとしてはここで不確定要素は潰しておきたかった。
「……ふーん、新人ちゃんはいーのかい?」
だから、揺さぶる。だが、ヒロイックは一笑に付した。
「大丈夫よ。私も、寧子ちゃんも、一人じゃないの」
そう。もう一人。デッドロックは気付く。高梁から来た片割れがいたはずだ。託したというのか。デッドロックが知らない、そんな彼女の選択だった。
「……そうかい。相変わらずとは思ってたが、少しは変わったみてーだな」
デッドロックはさっさと引き下がる。真由美がデッドロックに攻撃するが、ことごとくが英雄に完封される。
「なー……ありがと、な」
「ええ……ありがとう」
ヒロイックは自然体に構える。迷いはない。やるべきことは、もう見えた。
「さぁ。お話聞かせて頂戴――――真由美ちゃん」
♪
形影の『ドット・マター』
このネガは「無機」の性質を持つ。
色を持つことを厭い、背景で在ろうとした果ての姿。
自らを浮き彫りにしようとする異邦人を決して認めない。
世界と同化してでも異物をすり潰す。
世界を受容して人物を排除する。それがこのネガの全て。
♪
寧子は、マギア・スパートは自分の弱さに自覚的だった。
だから一人では生きていけないことなんて、とっくのとうに理解していた。それでも、マギアの使命としてネガを倒す。ここが死に場所になっても構わない。そんな覚悟だった。
そんな彼女の前に立ちはだかるのは、灰色のマギア。
「まさか……あんたが立ちふさがるなんてね」
緑のマギア装束を纏うスパートとは対照的に、あやかは生身のままだった。ネガ狩りに来たのではないことは一目で分かった。
何故ならば、彼女の身体は結界の入り口に向いていたのだから。倒すべきネガに背を向けていたからだ。
「よう、遅かったな。ネガの結界で待っていれば、絶対に来ると思ったぜ」
追う当ては無かった。だから、待ち伏せをした。正義のマギアならば、ネガの結界を絶対に放置しないと確信していた。
「どいて。あたしはネガを倒す」
「どかねえよ。お前、そのまま破滅する気だろ」
「なんで、そんなこと⋯⋯⋯⋯」
「見ていれば、分かる」
かつての自分のようだった。どうしようもなく追い詰められて、破滅の道と気付きながらも、進むしかない。
「あたしの道は――――正しい!! だから進むんだ!!」
「俺はお前を失いたくない。だから止める」
ネガの結界では、魂の彩が際立つ。感情が浮き彫りになる。ここでなら、互いの本音をぶつけ合える。
(ネガを倒して、それで終わりじゃ解決しない。寧子にきちんと向き合って、ちゃんと一緒に帰るんだ)
ぶん殴ってでも連れ帰る。ネガは、一緒に、力を合わせて倒せばいい。あやかはそのまま、拳を構えた。彼女に出来ることは、いつだってこれ一つだった。
「つまんねえ意地、もう張らせねえぞ」
「⋯⋯⋯⋯どういうつもり?」
「意地の張り合いで勝ってみせる――――勝負だッ!!」
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