ジョーカー・デスパレード

【ジョーカー、絶望展望】



(寧子の奴、どこ行った!?)


 そんなに時間は経っていないはずなのに、追いつけない。そもそも違う方向に進んでしまっているのかも知れない。だが、止まるわけにはいかない。少なくとも神里からは出ていないはずだ。


(寧子、お前を取り戻す⋯⋯⋯⋯!)


 恩人だった。あの絵本の女王との死闘で、あやかは野垂れ死ぬ直前だった。マギアの肉体ならば問題はないかも知れない。けれど、夢の中で感じた心地良い癒しは決して忘れない。

 『治癒』の魔法が、死闘の傷を癒した。寧子に助けられたあの日、あやかは小さな救いを感じていた。


(俺は、きっとお前に憧れていたんだ)


 そんな風に誰かの力になれる存在に。

 走って、走って、あやかは見知った後ろ姿を見つけた。それは緑の少女ではなく。


「え、なにやってんの?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯散歩」


 ジョーカーが普通に出歩いていた。寧子を探していたあやかは拍子抜けする。


「スパート⋯⋯探しているの?」

「見たのか!?」

「⋯⋯彼女は、もう諦めて」


 足が止まる。そして耳を疑った。目元の隈が眠たげな印象を与える。蠢くような、そんなギョロ目。不吉を着て歩いているような少女。

 それでも、あやかは良い奴だと思っていた。分かりにくいが、性根は真っ直ぐだと感じていた。


「スパートは、助からない。ヒロイックから離れて、彼女が、生きる術はない。『終演』には不要⋯⋯分かるでしょ? それに、喪失を経て、ヒロイックはより、強くなる」


 言っていること、言いたいこと。それは分かる。彼女が現実をシビアに見ていることも知っている。それでも、看過出来ない一言だった。


「俺は、出来るかもしれないことを諦めたくない」

「本当の、正念場⋯⋯その時まで、保たないわ」


 耳が痛い。確かに、あやかは万全な状態で『終演』に挑めたことすらない。到達するのですら至難の域だった。


「だから⋯⋯⋯⋯諦めるのか」

「諦める? これが、正道。それだけ」


 ジョーカーの言葉は正しい。繰り返しているあやかだからこそ、尚更そう思う。しかし、言葉だけではない実感があやかに反論をさせた。


「ジョーカー――――お前、何もかもを諦めた目をしているぞ」


 はっと、表情が動いたのを感じた。あやかも人のことを言えない。真由美を見捨てて、寧子を救えず、デッドロックとヒロイックを失った。ジョーカーと二人きりで『終演』に挑んだ時の自分は、きっと同じような顔をしていたのだろう。


「スパートを、寧子を見捨てないことが無駄だとは思えない。俺は戦う意志を手離したくない」


 意志。それは魂の煌めきが発する、心の原動力。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯戦う、気なの?」


 あやかは手を伸ばした。


「一緒、じゃないのか?」


 ジョーカーは目を伏せた。それがどういう意味だったのかは、あやかには分からない。けれど、しばらく見ているとなんとなくイジらしく感じた。放っておけない、そんな庇護欲を掻き立てられるような。


(⋯⋯デッドロックが入れ込んでる理由、なんとなく分かった気がする)

「どうする、気?」


 言葉に、脇道に逸れかけた思考が戻ってきた。


「寧子を説得して連れ戻す。いいや、説得じゃなくてもいい。ぶん殴ってでも取り戻す」

「⋯⋯⋯⋯乱暴」


 ぶっきらぼうに言いながら、それでも口元が柔んだことをあやかは見逃さなかった。ジョーカーが目線を上げた。


「貴女が戦うなら⋯⋯私も、挑戦する。スパートは⋯⋯任せていい?」

「もちろんだ!」

「今夜、決着をつける」


 現実感のない宣言。


「ヒロイックとデッドロック。彼女たちの、因縁に、ピリオドを打つ」

「策があんだな?」


 ジョーカーは頷いた。だから、それまでにスパートをどうにかしろ。彼女はそう言いたいのだ。あやかは頷き返した。


「⋯⋯⋯⋯時間が、ない。警戒すべきは、

(真由美を?)


 どうしてその名前が。あやかは首を捻る。


「彼女こそ⋯⋯⋯⋯⋯⋯正体の知れない、逸脱者イレギュラー。気をつけて」


 警告。あやかはそれを素直に受け入れられなかった。確かに、彼女は何かを隠している。しかし、それはジョーカーも同じことだ。全てを晒さずに信じられはしない。それでも、あやかには深い信頼がある。


「真由美は、俺の仲間だ」


 一拍置いて。


「⋯⋯⋯⋯相棒だ」


 頰が熱くなるのを感じる。手を団扇にして誤魔化したが、余計に際立ってしまっていた。ジョーカーが眼力を上げる。


「彼女に、そんなに、入れ込む理由は⋯⋯?」

「親友だからだ」


 あやかは即答した。


「俺は⋯⋯真由美を守りたい。アイツのために戦いたいんだ」


 大胆な告白に、ジョーカーは目を逸らした。言ったあやかが気恥ずかしくなってしまう。


「本気、なのね⋯⋯⋯⋯羨ましい、わ」

「――――お前には、そんな相手はいないのか?」

「⋯⋯⋯⋯ええ、多分」


 多分。

 その言葉に引っ掛かりを感じた。目を虚にさせるジョーカーが道を空けた。時間がない。あやかは駆け出した。振り返ると、黒の少女が小さく手を振っていた。







「よーよー! やんちゃしちゃってんね!」


 声を聞いて、寧子は顔を上げた。寂れた公園のブランコ。それを吊り下げている鉄棒に、流浪のデッドロックはぶら下がっていた。逆さ吊りである。


「⋯⋯あんたは確か」

のデッドロック。英雄様から逃げ出した半端モンさ」


 引っ掛けた足をポールダンスのように繰り、デッドロックは器用に寧子の前に降り立った。


「なに? 各個撃破のつもり?」

「んなことしてもヒロを怒らせるだけさ。逆効果だ」


 デッドロックが隣のブランコに腰を下ろす。ぶらぶら漕ぎ出す姿は、まるで幼い少女のような無邪気さだった。


「ちょっと話をしようさね」

「はあ?」

「着いてこいよ」


 疑いながらも、寧子は続く。ケラケラ笑うデッドロックに。

 しばらく歩いて、人目のつかない廃工場で彼女は立ち止まった。赤と緑の少女は、封鎖された敷地で向かい合う。


「ここなら、邪魔は入んねーだろ」

「⋯⋯勝手に立ち入っちゃだめじゃない?」

「かってーな、お前……」


 半分に割った板チョコが手渡される。寧子は釈然としない顔のまま受け取った。石畳の上を適当に掃って腰を下ろす。


「いや、なんなの? 勢いでここまで来ちゃったけど」

「見たぞ。ヒロイックから離れたんだな」


 甘いはずのチョコを囓って、苦い顔が浮かぶ。探りを入れてきたことを警戒したが、直感がそうではないと告げていた。


「そう言えば、あんたもヒロさんと組んでいたんだっけ」

「ああ。でも、逃げ出した。あたしらは同じ穴のむじなさ」


 言い返せない。寧子が口を一文字に結ぶ。


「別に責めちゃいねーさ。責められる立場でもないしね。ただ、勘違いしちゃ困る。この方が、ヒロにとってもいーんだ」

「⋯⋯どういうこと?」

「あいつは、の英雄だ。あたしみたいなパチモンとは違う。でも、しょーねは似たようなもんだから、分かるんだ。あいつはあーいう風にしか生きられない。英雄でしかいられない」


 赤く燃える正義への激情。今はすっかり煤けてしまったデッドロックには、その心の機微がよく分かった。だからこそ、コンビを組めていた。


「本来、英雄ヒロイックは生粋の一匹狼だったのさ。分かるだろ? 奴は、独りのほーが圧倒的に強い。仲間は助け合うモンだから、それが正しいから、仲間を守る戦い方をするよーになる。守る戦い方なんて、向いていないのにな。あいつは、仲間がいると、全力で戦えない」


 寧子にも、それがよく分かった。離れていった理由、それは。


「見ていられなかった。

 あたしみたいなお荷物のせいで、正義を完遂出来ない。英雄が無欠ではいられない。こんなもんじゃねーんだ、ヒロは。だからあたしはあいつのところから去った。あんたが憧れた英雄は、誰よりも力強かったはずだ」


 足を引っ張るから。役に立たないから。そんな理由では、本当は無かったのだ。英雄が矮小化していく現実に、自分の正義が許せない。そして、なにより。


「足りないのは、あたしの力。無力な自分が、圧倒的な正義を壊していく」

「そーだ。だから、きっと正しい選択をした。間違っていない」


 夕焼けの光が、静かに炎上する。まるで蜃気楼のように風景が歪み、陽炎の人形が二人を取り囲んだ。


「捨てちまえ、正しさなんて。魔法の力は自分のモンだ。運命とやらも自分のモンだ。やりたいようにやりゃーいーんだ」


 熱病に侵されたような熱さが、脳を焼く。蕩けさせる。麻薬のように言葉が心地良い。


「来いよ。あんたが自分らしく生きられるよーに、あたしが色々教えてやる」


 トロンと呆けた目が、デッドロックと向き合った。陽炎の人形が踊る。デッドロックは右手を伸ばした。

 掴め、と。

 デッドロックが獰猛に笑った。

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