スパート・テラー

【スパート、怯え】



(鍵、空いてる?)


 ヒロイックの部屋に戻ってきたあやかは首を傾げた。ヒロは真由美とパトロールに行っているはずだ。彼女に限って戸締り忘れの無用心はないだろう。


「あれ、戻ってたんだ?」

「寧子一人? 珍しいね」


 リビングで寛いでいたのは寧子だった。緑の少女は暗い顔で困ったように笑う。その目元は黒く滲んでいて、調子が悪そうだった。


「そういや寧子も合鍵持ってるんだっけ⋯⋯あの人合鍵いくつ作ってんだ? 布団とかも六人分常備されてるし⋯⋯⋯⋯」

「そこは突っ込まないであげるのが優しさだと思うよ⋯⋯」


 言って、寧子は立ち上がった。帰り支度を始める。


「もう帰るのか?」

「うん。ヒロさんはしばらく戻ってこなさそうだし。あやかもあんまり単独行動して心配させちゃダメだよ」


 あやかがぺろりと舌を出した。


「そう⋯⋯だな。でも、用があったんじゃないのか? この時間だと学校も早退したんだろ?」

「うん⋯⋯まあ。でも、すぐ済む話だから、下で待っているよ」


 あやかは寧子の前に立ち塞がる。思い詰めたような少女に、嫌な予感を募らせたのだ。


「話ってなんだ?」

「…………ちょっと、ね」

「同盟に関わることか?」


 寧子は躊躇いがちに頷いた。


「あたしは、みんなの足を引っ張ることしか出来ない。これから大きな戦いが起こるんでしょ? あたしが居たら、ヒロさんは本気で戦えないよ⋯⋯あの人は、いつも窮屈そうに戦ってるから」


 あやかは否定出来ない。実際に見てしまったから。英雄ヒロイックは独りの方がずっと強い。あの苛烈な戦いぶりに付いていけるかどうか、あやかにも自信が無かった。


「待て」


 寧子は止まらなかった。


「どうするつもりだ?」

「別に。あたしはマギアとして戦う。でも、足手纏いになるのは嫌なの。一人で、やれるとこまでやってみるよ」


 バラバラになる。

 離れ離れになる。

 同じマギアなのに。同じ宿命を背負っているのに。

 ドアが閉まる音を聞いた。あやかは追いかけることができなかった。寧子を引き留めることが、本当に彼女のためになるのか。『終演』打倒のためになるのか。


「本気で戦えなくなるのに…………ヒロイックはどうして仲間なんて作ったんだろ」


 孤高の英雄。

 デッドロック、デザイア、スパート。ヒロイックはどうして彼女らと共に戦ってきたのか。そして、どうして彼女らは離れていったのか。破滅的な悪循環に思い当たる。


「このままじゃ、ダメだ」


 後悔する。後悔したはずだ。

 真由美を見捨てたこと。寧子を救えなかったこと。それを悔やんで足を重くしてしまった。だから『終演』に敗北した。度重なる死の記憶が、心を腐らせる。


「ビビるな」


 英雄ヒーローは孤独かもしれない。それでも、怖じ気付いて目を背けるのだけは、絶対に違うはずだ。


「戦おう――――俺は英雄ヒーローになるんだ」


 『終演』を越すことが全てでは無かった。あやかの魂に刻んだ願いは、もっともっと広大だった。ゆっくり振り返る。


(考えろ。俺に何が出来る。何をすべきだ――――)


 堅く閉じたドアに、足を向けた。







「あれ、寧子ちゃん早いのね」


 エコバックを手にヒロが微笑む。半歩後ろにはビニール袋を抱える真由美が。こうして見るとまるで母娘おやこのようだった。


「合鍵あったでしょ? 上がってくれてよかったのに」

「ヒロさん」

「お夕飯食べてく? パトロール行く前に仕込みを済ませとくわ」

「ヒロさん、ねえ」

「ひょっとして学校短縮授業だった? 調べとくんだったわね」

「聞いて」


 差し出された、否、突き返された合鍵にヒロは固まる。嫌な予兆を、なあなあで乗り過ごそうとしたみたいだ。ヒロの手から滑り落ちるエコバックを、真由美が掴んだ。


「どういう、意味?」

「ヒロさん。あたしたち――――もうチームを組むのはやめよう」


 寧子は、キッパリと言い放った。


「どうして」

「あたしがいると、ヒロさんは全力で戦えない。それどころか、みんなの足を引っ張っちゃう。それは正しくないことだよ」


 正しくない。その言葉はまるで楔のように。


「別に、敵対したいわけじゃないんだ。あたしはあたしでちゃんと戦う。自分の力でしっかりやりたいんだ⋯⋯⋯⋯ちゃんと、ヒロさんの隣に立てるように」


 悩んで、無力を痛感して、そして必死に絞り出した言葉だった。いっぱいいっぱいの決意表明。だから寧子は気付かなかった。

 すっぽりと抜け落ちた英雄の表情。もしあやかが見たならば、橙の少女を連想していただろう。


「⋯⋯⋯⋯貴女も、私から離れていくのね」

「あたし、ちゃんと強くなります。その時は、胸を張ってヒロさんの相棒を名乗って見せますよ!」


 ヒロは合鍵を受け取った。受け取ってしまった。それは、別れの象徴。去っていく寧子の後を、ヒロは追うことが出来ない。


「ああ⋯⋯ごめん、真由美ちゃん」

「いえ」


 腕を震わせて耐える真由美から、エコバックを預かる。そのまま、何食わぬ顔で帰路を進む。マギア・スパートが『終演』までに一級戦の戦力になれるとは思えない。

 むしろ、と断言出来る。英雄の目利きだった。彼女はもう帰っては来ない。


「ヒロイック!!」


 エレベーターのボタンを押したのと同時に、あやかが慌ただしく非常階段から躍り出た。


「そこ、使っちゃダメよ」

「んなことより! 寧子に会わなかったか!?」


 ヒロは足でエレベーターのドアを押さえながら、寧子の合鍵を見せた。それであやかも察してしまう。


「いいのか? 本当に?」

「どうしようもない。あの子が自分で選んだ道に、私が割り込めはしない」

?」


 ヒロは無言で足を引いた。エレベーターのドアが閉まる。狭まる視界で、あやかが走り出したのが見えた。

 無言。

 上昇するGが重圧を底上げする。やがて、身体が縦に引き延ばされるような感覚。開いたドアから真由美が降りた。


「ごめん、真由美ちゃん」


 その腕に、パンパンに膨らんだエコバックが再び乗せられる。


「冷蔵庫にしまっといてくれる?」


 ヒロは、エレベーターから降りなかった。一階へ、とんぼ返り。真由美は深く溜息をついた。







「ほーらな! やっぱ無理じゃんかよ」


 双眼鏡を乱雑に振り回しながら、デッドロックは唇を尖らせた。身を潜めていた大木から飛び降りる。


「なぁにが無理なんだよ」


 大木に枝のように張り付いていた一間が姿を見せる。本気で気付いていなかったらしいデッドロックが珍しく狼狽した。


「な!? サボってんじゃねーぞ! ネガの一体や二体探してこいよ!」

「お前もな」


 両手を広げ、一間はわざとらしく頭を振った。


「⋯⋯むっかしからそーいうとこ、気に食わねーんだ。ふざけてんのか?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 一間が親指を噛んだ。噛み締めた。皮膚が破かれて血が滴る。


「ふざけてんのはお前だよ! デッドロック、一体なに考えてるんだ」


 並んで立つと、一間の方が上背はある。それでも、犬歯を剥いたデッドロックの迫力はその差を感じさせなかった。


「マギア・ジョーカー。あいつに何をそこまで入れ込んでるんだい?」


 流浪のデッドロック。苛烈で激情家の、赤い魂。そんな彼女が、あの得体の知れない黒のマギアには甘々だった。一時期近くにいた一間だからこそ、その異常さは身に染みる。


「別に。妙にほっとけねーだけだよ」

「それであんなにベタベタなのかい?」

「⋯⋯何が言いてーんだ」

大事なのかって聞いてるんだ」


 あの人。一間が指す人物が頭に浮かぶ。デッドロックは苦虫を噛み潰したような顔をした。一間は、その反応に舌打ちした。抜け落ちた表情に、侮蔑の色が混ざる。


「どの面下げて戻って、このザマかよ。あの人がどれだけ泣いたか、どれだけ苦しんだか、お前は知らないだろ」

「お前こそ、どの口で言ってんだ」

「⋯⋯そうだよ。僕も逃げたさ。でも、お前には着いていけるだけの力があったじゃないか」


 糾弾する資格がないことくらい、本人にも分かっている。俯く一間の頭に、デッドロックは手を乗せた。


「ヒロのこと、分かってねーな。

 あいつは、強いよ。いくら凹んでも、時間が経てばちゃんと乗り越える。苦しんでも、進んでいける。だから英雄なのさ。あいつこそ、真の正義だ。絶対に正しい。

 だから、あたしらみたいなハンパものが足引っ張っちゃダメだ。あいつは、誰かと一緒だと弱くなっちまう」


 一間は、その手を振り払う。何も言わずに、頷いた。


「『終演』を越えて、あいつは英雄になった⋯⋯あたしは、なれなかった。あたしが足を引っ張ったから、『終演』を仕留め損ねたんだ。

 だから、あたしは、自分が悪だって気付いたんだ」


 眩しい光。あまりにも眩しすぎて、周りはみんな影になる。より、露悪的に。


「⋯⋯そう考えると、壊れる前に離れていったあいつは――――随分お利口だったな」

「僕には⋯⋯⋯⋯利口だとは思えないけどね」


 昏い決意を秘めた、緑の瞳。

 一間はそこに破滅的な未来を感じた。デッドロックが静かに頷く。道は分かたれた。しかし、違えた道は別のものを見せてもくれた。

 煤けた赤、デッドロックが動く。

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