トロイメライ・シュバルツマルクト

【トロイメライ、暗躍】



「⋯⋯⋯⋯さあ、上がって」


 殺風景な部屋だった。白い壁に囲われた大きな部屋。その中央に不自然に置かれた黒いソファーがひたすら異質だ。部屋に本棚も無いはずなのに、ソファー脇に大量の漫画本が積み上がっている。


「……漫画とか、読むんだな」

「それ、デッドロックがいつも片付けない……」

「そうか…………」


 うち捨てられた子犬のような目をされて、あやかは追求するのを止めた。ぺたぺたと台所に向かう家主の後ろ姿を見ながらソファーに身を沈める。やはり落ち着かない。

 マギア・ジョーカー。

 淡泊ながらもそれなりに大きなこの一軒家は、彼女が住んでいる家だった。

 この二日間、あやかは彼女のことを探し続けた。素性不明の少女だとしても、この街に住んでいることは以前聞いていた。避けられているので無ければいずれ見つかるはずだ。


「よく、私を……見つけたわね」

「必死だったからな」


 少し離れた場所からも、ジョーカーの声はよく通った。声量は小さいはずなのに不思議だ。


「話をするならアンタだと思った。俺は今の対立構造をなんとかしたい」

「……なんとか?」

「ヒロイックとデッドロック、二人を組ませたい。俺は『終演』を倒したいんだ」


 しばらく無言が続いた。深い香りがあやかの鼻孔をくすぐった。トレーの上にコーヒーカップを乗せたジョーカーが戻ってきた。カップは二人分。


「悪ぃ」

「ううん…………砂糖……ミルク……使う?」

「じゃあ……ミルクで」


 ゆらり。まるで幽鬼のようなただずまい。現実感の無い、人間離れした立ち姿。水墨のような儚さに、あやかは目を奪われた。


「…………どうしたの?」

「――――ぇ、ああ、コーヒー好きなんだなって」


 奇妙な魅力に目を奪われたなどとは言えない。あやかは頬を揉んで誤魔化す。

 あやかの前に置かれたカップが湯気を上げていた。スプーンとミルクもさりげなく傍に。ジョーカーはブラックのままだ。テーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろす。


「そうね」

「ほら、ヒロイックのとこはずっと紅茶だったからさ!」

「………………そう」

(やべ、なんか機嫌損ねたっぽい)


 ミルクをかき混ぜ、一口。ヒロイックが淹れた紅茶に匹敵するお手前だった。顔に出ていたらしい。それを見たジョーカーの表情が柔らかくなる。


「その誘い、私個人は是非受けたい。私の目的も、『終演』の撃破だから」


 その目に、強い光が灯る。儚く、薄い。そんな印象の少女だったが、その芯には揺るがないものを抱いている。あやかは、知っていた。


「でも……どうする気? あの二人の溝は深いわ」

「そこなんだよなぁ…………皆で協力できれば話は早いんだけど」

「…………ノープラン、なのね」


 返す言葉も無い。それでも、あやかは理由があってここにいる。


「打算はない。旨みもない。でも、頼む。ジョーカー、アンタの力を貸してくれ――――目的は同じはずだ!」

「……それは、ヒロイックへの裏切り……じゃないの? それに、私に、デッドロックへの……背信を求めるの?」


 ヒロイック勢力とデッドロック勢力。期せず出来上がってしまった対立軸は、表だった衝突も無くに燻り続けている。このままではバラバラに『終演』へ挑むことになる。

 それで勝てるとは、あやかは思わなかった。


「アンタの目的と俺の目的。それを果たすために同盟を組んでいるはずだ。それに……二人の仲直りのために動くのが、本当に裏切りになるのか?」

「それは――――――――……」


 ジョーカーが言い淀む。どこか思うところがあったのかもしれない。


「『終演』を倒すための戦力が欲しい。そのためにデッドロックを神里に呼び寄せた。英雄で、神里を縄張りにしているヒロイックじゃなくて。なんでだ?」


 違和感があった。神里市は、ずっとヒロイックが守ってきた。そこにデッドロックとジョーカーが入り込んだ。それが今の構図だ。デッドロックの戦力は強大だが、神里の英雄を敵にしてまで欲しいものなのか。


「貴女、どこまで知っているの?」

「俺は、。俺の魔法の性質は『反復』だ」

「――――――――え?」


 かちゃん、とカップが落ちる。

 割れたり溢れたりはしなかったが、ジョーカー自身はそんなこと気にも止めていない様子だった。見開いた瞳孔が小刻みに揺れる。異様な驚きの反応だった。


「まあ荒唐無稽ってのは認めるよ。。でも、飲み込んでくれ」

「いや、疑っている、わけでは⋯⋯でも、そんなこと⋯⋯⋯⋯?」


 それは、どういうことか。

 あやかが問う前に、ジョーカーは言葉を切り替えた。


「マギア・デッドロック……彼女もまた、英雄。流浪の彼女を、探して、神里に呼び戻すことは……必要だった。でも、その……ヒロイックを怒らせたのは、計算違いだった」

「デッドロックもまた、英雄……?」


 英雄ヒロイック。

 その称号は、単に彼女の功績と実力を示しているものだと思っていた。しかし、ジョーカーの口ぶりだと、なにか決定的なものが関わっているようだ。あやかの興味はすっかりそちらに移ってしまった。


「ヒロイックが、と呼ばれている理由……今はもう、ソレを、知っているマギアは……少ない、かもしれない」


 理由――――それは。



「ヒロイックとデッドロック、神里の英雄コンビ。


――――――彼女たちは、かつて、退



 息が、止まる。

 伝説のネガ、『終演』。かつて、戦って生き残ったマギアがいたのだ。ヒロイックも、デッドロックも、そんなことは一言も口にしなかった。だから、なのだ。ジョーカーがデッドロックと同盟を組んだのは。


(俺の、祈るような希望とは違う。コイツの目には確かな勝機が見えている。目指して戦っている)


 ヒロイックとデッドロックの二人きりで『終演』に渡り合ったのだ。


「俺がいる。

 真由美がいる。

 寧子がいる。

 一間がいる。

 そして――――ジョーカーがいる」


 正しく理解した。出口の無い絶望の迷宮、そんなものはどこにもない。勝てる。確かな実感が魂を震わせた。


「早合点、しないで。今の神里には、不確定要素が……多すぎる。ヒロイックとデッドロック、他のマギアも……本当に『終演』へ至れる、か」

「マーカー、メーカー」


 その名に、ジョーカーは頷いた。


「……他にも、あるけど、それが一番の障害。呪詛を増幅させる奴を……もし、『終演』と同時に相手取ることに、なったら」


 目下、それが最悪のシナリオ。『終演』までに『M・M』をなんとか撃破すること。当初の目標通りだったが、その重みが一層増してくる。


「奴は、なんなんだ?」

「ネガでは、ない。メフィストフェレスも、認識していない、逸脱者イレギュラー

(囁きの悪魔のことも知っている。そんなジョーカーでも、『M・M』の正体は分からないのか)


 囁きの悪魔、メフィストフェレス。そういえば、あの二足歩行のウサギの姿はしばらく見ていない。


「⋯⋯なんとなく、だけど。あのには、人為と、悪意を⋯⋯感じる。警戒は、した方がいい」

「人為⋯⋯?」


 人の為。人の意図。


「呪いを加速させる⋯⋯⋯⋯そんなものが誰かの手で動いている。それが本当なら、俺は絶対に許さない」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯そう、ね。そろそろ、デッドロックたちが、買い出しから戻って来る」

「分かった、そろそろ戻るよ。話せて嬉しかった、ありがとな」


 残ったコーヒーを飲み干してあやかが帰る。ソファーに座ったまま、ジョーカーは小さく手を振った。


「⋯⋯⋯⋯私こそ、ありがとう」


 小さく呟いたその声は、あやかの耳には届かなかった。







「よー、逢引はもー終わりか?」


 ギクリ、とあやかの足が止まった。煤けた赤、デッドロックが大槍を構えて待っていた。


「白昼どーどースパイたぁ肝が座ってんね」

「⋯⋯そんなつもりじゃ」

「じゃ、どーいうつもりだ?」


 あやかは口を結んだ。言葉を選ばなければ、デッドロックに串刺しにされる。あやかは少し考えて、ようやく口を開く。待ってくれるだけ温情だった。


「手を組めないか、そう交渉しにきた」


 正直に白状する。デッドロックだけではなく、デザイアもいるのだ。奸計で競えるなどとは思えない。


「お前がヒロイックと手を切るってーなら聞いてやるよ」

「そういうのじゃない。みんな、一緒だ。全員で『終演』に臨む。どうしてもヒロイックとは手を組めないのか。⋯⋯元は、相棒同士だったんだろ?」


 あやかの右頬にザックリと斬り傷が走った。垂れる血をあやかは拭った。視線を外した一瞬で、喉元に槍先が突きつけられている。視線がぶつかる。デッドロックの殺気が空気を凍らせた。


「――――――待って」


 目線は外さなかった。まるでフィルムのコマを横から挟んだかのようだった。二人の間に入ったジョーカーが槍を退ける。


「⋯⋯私が、招待した。情報交換⋯⋯黙ってて、ごめんなさい」

「しゃーねーな!」


 デッドロックが槍を消した。力が抜けたあやかが尻餅をつく。


「ジョーカー、あんたもあんただ。ボーとして危なっかしーんだから気をつけろよ」

「⋯⋯うん」


 ジョーカーが目線であやかに語りかけた。逃げろ。意図を汲んだあやかが姿をくらます。それを確認したか、別の少女が声を上げる。


「ふぅん、流浪のデッドロックが甘くなったモンだね」

「あ、なんだよ?」

「べっつにー?」


 一間だった。木陰に隠れるように立っていた彼女が表に出てくる。気怠そうなジョーカーが無言で家に戻る。デッドロックがその後ろに続く。


「⋯⋯ほんと、なんでそいつには甘いのかな」


 一間は、深く溜息を吐いた。

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