ヒロイック・フェイト
【ヒロイック、因縁】
砂塵の『ロック・アラート』
このネガは「無為」の性質を持つ。
あるがままで居たい、自然の領域に還った姿。
誰にも乱されることなきまま、なにもかもが荒廃した。
潤いをもたらそうとする侵入者は徹底的に排除する。
誰にも揺るがされない自然と化す。それがこのネガの全て。
♪
(この結界って)
白面の、死の砂漠。灰色の大石や黒い枯れ木が点在する殺風景。心の芯が固まるようだった。かつてのヒロイックが逃げ出したネガ。あれから随分と経つはずだが、まだ存在していたのか。
泣き声。幻聴が聞こえる。トラウマが信念を揺らし、それでも一呼吸で揺れを収める。
(もう、あの頃の私じゃない)
強くなった。
そして、仲間がいる。
「真由美ちゃん、観察をお願い」
「はい」
魔法のフィールドスコープを覗くメルヒェン。ネガも使い魔も見当たらない。心当たりがあるとすれば、結界中央に展開する巨大な蟻地獄か。
「ネガはあの中に」
「見たまんまじゃねえか⋯⋯」
分かりやすい罠。しかし、この大砂漠の底に隠れているのであれば厄介だ。誘き出すためには、覚悟を決めて蟻地獄に飛び込まなければ。あやかの右手首にリボンが巻きついた。
「行けそう? 無理なら私が行くけど」
「行くよ。アンタにばっかいい格好させねえぜ!」
あやかが不敵に笑う。何が起こるか分からない死地に飛び込むのだ。向いているのは、あやかの再生魔法かスパートの治癒魔法。実力を鑑みて、どちらを特攻させるべきかははっきりしていた。
「気を付けてね、あやか」
「おう! バッチリぶっ潰してやるぜ」
「あら、頼もしい」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
一人で飛び込むなら、こうは行かなかっただろう。だが、今は頼れる仲間がいる。特に、後ろに天下の大英雄が控えてくれていることが、この上なく頼もしい。あやかは巻きついたリボンを撫でた。
派手に飛び込もうとした、その時。
「――――――待って」
腕を掴まれたあやかが止まる。スパートの手だった。
「どうした?」
「⋯⋯あ、いや、ごめん。やっぱり⋯⋯なんでもないや」
そんな二人のやり取りをメルヒェンが睨みつけた。若干の殺意を感じて、あやかの肩がびくりと跳ねる。
「いやいやいや! そんな怒るなって! 寧子も何かを感じ取っただけかもしんねえだろ!?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯べつに」
「あ、うん。本当ごめん⋯⋯」
スパートが気まずそうに縮こまる。
その上空から、巨大な影が被った。
「――――――――ッ!!?」
空中に投げ出される。リボンに引っ張られ、入れ替わりにヒロイックの足が上がった。
空中ですれ違う。
砂漠にそぐわない金属音が木霊する。鎖を巻いたヒロイックの蹴りが、上空からの攻撃を弾き返していた。でなければ、バネのように落下した一撃はあやかとスパートを襲っただろう。
「使い魔!?」
「いえ、新手よ!!」
スパートが感じた気配。ヒロイックが砂原に墜落する。上空から再び落下する大バネ。スパートが剣を構えて前に。そして。
「ぇ」
目の前に、黒い枯れ木が立ちはだかっていた。こんなところに、あったはずはない。ましてや、二本足が生えているはずもなかった。
(こっちが、使い魔――――――)
大石と枯れ木。二本足が生えて陽気に歩き回っている。とんだカモフラージュだった。不意を突かれたスパートが蹴り飛ばされる。蟻地獄に叩き落とされた緑のマギアを掬ったのは、黄色のリボン。
強引に引き上げた反動で、ヒロイックの身体が蟻地獄に投げ出される。
「ヒロさんッ!?」
「こいつは一騎討ちで潰す! スパートは使い魔を!」
役割を与えられてスパートが走り出す。ヒロイックの身体に、まるで鎧のように鎖が巻きつく。その周囲をリボンの網が展開する。まさに完全武装。じりじりと蟻地獄に吸い込まれる姿にも、頼もしさしかない。
そして、鞭のようなリボンが何かを投げた。
「――――――過保護だっつーの!」
小気味良い音を上げるのはあやかの掌。
上空から急降下する大バネを、あやかの拳がさらに跳ね上げた。
「あの矢印⋯⋯ッ」
大バネに絡みついていた
「突出しすぎないで。本気で走られると私が追いつけない」
「だったら――こうだ!!」
すっと足を持ち上げる。両腕で抱えたお姫様抱っこ。珍しく呆けた真由美の顔を覗き込む。
「見、て、な、い、で。⋯⋯⋯⋯
「りょーかい!」
大バネが膨張した。無数の矢印に分化する。まるでヒロイックの乱舞みたいだ。
「真由美、外から斬り込めるか?」
「ううん、突っ込んで。中から崩す」
「⋯⋯⋯⋯マジかよ」
身を屈めて縮こまる。ロードの魔法でカタパルトのように飛び出したあやかが、呪いの矢印を掻い潜った。一発でも当たればどうなるか分からない。真由美があやかの腕の中から飛び降り、二人背中合わせに周囲を見張る。
「リロード――――リロード」
『反復』の魔法。内側から、一撃で全てをぶっ飛ばす。必要なのは、力。何者をも寄せ付けない、圧倒的な蹂躙力。呪詛を暴力で跳ね除ける。力強い踏み込みが砂漠を揺らした。
「ダメ!!」
大声に気が逸れた。
その一瞬、僅かな隙。
あやかの力が抜けていく。映る世界がスローモーションで流れていく。攻撃は背後から。後頭部への強烈な一撃が意識を刈り取る。視界が暗転するほんの一瞬前、気丈に棍を構える真由美に安堵した。
そして、もう一人。
長い黒髪を振り乱す少女の双眸――――
♪
大顎。
トラウマがフラッシュバックする。救えなかった命。身も心も、決して癒えない傷に苛まれた。砂漠の奥底に鎮座する巨大な白蟻。因縁のネガが蟻地獄の中心から姿を現した。
「悪いけど」
両腕を真横に引く。絡みついたリボンが白蟻の顎を上下に引っ張った。鋼鉄すら噛み砕くとしても、閉じられなければ脅威はない。鎖を巻き付けた英雄の蹴りがネガの上顎を砕く。
「あの頃とおんなじとは思わないことね」
下顎の上に降り立つ。華麗な舞踊の仕草。鎖と重り。重量増し増しの足技がインパクトを放つ。苛烈な震脚。下顎も木っ端微塵に吹き飛んだ。白蟻が蟻地獄から引き摺り出され、引っ繰り返る。
(あの時は、ネガの全容を見るまで至らなかった)
これで終わり、という考えは甘かった。白蟻は砂漠に秘された全身を露わにする。ヒロイックが砕いた大顎が、全身から突き出ていた。身を捩りながら英雄に喰ってかかる。
鎖。
拘束ではなく、打撃。ヒロイックの十指から伸びた鎖が白蟻を叩いた。いくつかの大顎が打撃の嵐をすり抜ける。リボンで牙をいなし、ヒロイックは距離を詰めた。
「りりり。あの時の決着、つけましょうか」
大顎の横っ面を蹴り飛ばす。近付く。大顎が餌に喰らおうと伸びる。女一人を噛み砕こうとする直前、その動きがピタリと止まった。
牙に巻きついたリボンが
「りりりりり。私は、ネガが恐ろしかった。触れるのは怖くて、でもこんな魔法じゃ近付くしかなくて」
鈴のように。
魂を揺らす声を上げるのは、戦意を昂らせるため。
「おかげで蹴飛ばすことしか能がなくなっちゃった。脚もこんなに太くなっちゃって……どうしてくれちゃうの?」
ヒロイックが小さく微笑んだ。
「――――なーんて、ね」
蹴撃。鎖。暴力の大祭りが炸裂する。
「りり。りりりりりり、りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり――――――――ッッ!!!!」
トロイメライのような決定力もなく、メルヒェンのような万能さもなく、スパートのような回復力もない。それでも、マギア・ヒロイックは英雄として誰よりも強く在った。
執念。強迫観念。強靭な魂。それらが圧倒的な暴力として出力される。
独りなら、誰にも見られない。こんな醜い
(ああ、これが⋯⋯)
砂色の矢印。『M・M』の刻印。ネガの呪詛が増大するが、ヒロイックの拘束は解けない。かえって自縛が進んでネガが悶え苦しむ。
だが。
「りり?」
結界が揺らいだ。流砂の範囲が広がる。ネガの顎の上に飛び乗ったヒロイック。足技を封じられるわけにはいかない。かかる砂はリボンで払い落とし、再び削り始めようとして。
「寧子ちゃん!?」
空中に投げ出された弟子の姿を見た。バラバラに切り刻まれた使い魔の残骸が大量に散らばる。
このままスパートが落下すれば、白蟻の大顎に喰いつかれるだろう。咄嗟にリボンを投げるが、使い魔の死骸が邪魔で届かない。より硬度の高い、鎖を。砂地獄から押し出すか、手元に引き寄せるか。
逡巡。
ネガから目を離した一瞬。
「ヒロさん――――――後ろッッ!!!!」
大きな影がヒロイックに被る。手が止まる。呼吸が止まる。
首だけ振り返った先、白蟻の大顎の中からさらに大顎が生えていた。砂色の矢印が絡み合った、呪印の大顎。その身を喰らう大顎に、抗う術がなかった。ヒロイックが鎖を投げて、スパートの身体を押し出した。
「寧子ちゃん⋯⋯⋯⋯⋯⋯逃げて」
大顎が閉じる。英雄を喰らう。
スパートの悲鳴が響いた。
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