ヒロイック・ルーム

【ヒロイック、おもてなし】



 ヒロイックはあっさりと二人を部屋に上げた。食品を冷蔵庫に入れ、優雅に紅茶を振る舞うくらいの余裕を示していた。それどころか晩ご飯のリクエストを聞かれる始末だ。買い物前だったら良かったのにね、という言葉には流石は英雄と言わんばかりの大物っぷりだった。


「さて、じゃあ貴女たちの事情を聞かせてもらおうかしら」


 六角形テーブルに並べられたカップから、ウバの甘い香りが漂ってくる。淹れたてだ。お手本のようなお客様対応に、あやかも真由美もすっかりたじたじだった。まだ何の話もしていないのに、場の空気はヒロイックによって完全に支配されている。


「神里に『終演』が「学校はどうしたの? お家の人にはちゃんと連絡した?」


 思ってもみなかったことを言われてあやかが黙る。出鼻を挫かれた。


「ちゃんと書き置き残して「私たち、故あって家を出ています。この街にも関わることです」

「ダメよ、使命のために生活を犠牲にしちゃ」


 めっ、と人差し指を立てるヒロイック。


(なんか、前回と全然対応が違うな⋯⋯そもそもまともに対等な相手と見てもらえてねえってか。言ってることはまさしくその通りなんだけど⋯⋯)


 だからこそ、言い返せない。

 真由美も口を一文字に結んでしまって、困ったようにあやかを見上げる。あやかの口元が緩むが、そんな目で見られてもどうしようもない。


「――――デザイア。マギア・デザイアは神里に来てるんですか?」


 だから、話題を変えた。


「それと、デッドロックも」

「ふぅん、高梁のマギアって本当だったのね。デッドロックのことも彼女に聞いたのかしら?」


 前回と今回の違い。それはデザイアが一緒ではないこと。二人は師弟関係だったらしい。ヒロイックにとっても一目置く相手なのかもしれない。


「そんなとこだよ⋯⋯です。俺たちは『M・M』や『終演』の脅威をなんとかしたいんです」

「いいわ。しばらくここに泊まっていきなさい。その代わり、お家の人に心配かけないように、ちゃんと連絡しておくのよ?」


 二人は生返事で頷いた。具体的なアクションを起こす気がないのはヒロイックも感じ取ったが、マギアについて正直に説明しろとも言えないのでここは流す。


「⋯⋯あの。やけにあっさり受け入れるんですね」


 まとまりかけた話に、真由美が声を投げた。あやかがテーブルの下で脇腹を小突くが、彼女は止まらなかった。


「そうねえ。確かに貴女たちは相当怪しいけど、私も戦力が足りていないの。お互いの目的が達成できるなら、素敵な関係だと思わない?」


 優しく諭すような、柔和な微笑み。


「貴女たちが本当に困っているのは事実みたいだし、それなら私は力を貸すわ。裏切っちゃうと⋯⋯⋯⋯ひどいんだからね?」


 愛らしい脅しに、あやかの背筋が凍る。英雄ヒロイックの本気を彼女は一度見ているのだ。


「それに、打算をかなぐり捨てて助けようとしてくれたその姿勢、私は嫌いじゃないわ。思惑があっても、その人となりの本質はきっと曲がらない。私、そういうのよく分かるの」


 ウインクにあやかの胸がむず痒くなる。誤魔化すようにしたり顔を真由美に向けた。あやかの判断が正しかった。そう誇るように。

 しかし、真由美は口を結んだままだった。大人しく目線を逸らして何も言わない。その頰がほんのり赤く染まっていることに、あやかは一抹の不安を感じた。

 パン、と家主が手を叩く。


「はい! じゃあお夕飯の準備しちゃうから、お風呂先に済ませてきてね」







 人の本質は変わらない。英雄の目はその性根を鋭く見抜く。

 それは彼女が生まれながらに持ち合わせていた才能では全くなくて、度重なる裏切りから身についた経験則だった。マギアとして戦っていくためには、自分が強くなるしかない。そんな我武者羅な地獄に差した一筋の光を思い出す。


(生きてる⋯⋯⋯⋯?)


 たったそれだけ。そんな当たり前のようなことが奇跡みたいだった。

 蜘蛛のようなネガを追って、ヒロイックは結界内を彷徨い続けていた。逃げ隠れするネガと使い魔どもを相手取って、丸半日。死体。死体。また、死体。どれほどの人間を喰ったのか、腐乱死体ばかりが蜘蛛の迷宮に転がっていた。


「大丈夫?」


 声が不気味に反響した。この憔悴仕切った声が自分のものなのかと驚いた。壁に寄りかかったままの少女が顔を向けた。

 反応がある。

 生きている。

 赤い少女は虫の息だ。そんな痛々しい姿を見て、ヒロイックの胸中がかっと燃え上がった。怒りが込み上げてくる。憎しみが湧き上がってくる。記憶を失う直前の自分も、きっと同じような気持ちだったのだろう。


「怖かったでしょ。もう大丈夫」


 感情を押し殺して、傷だらけの少女を抱き締める。自分の姿の方が酷い有様だったが、そんなことにも気付いていなかった。

 背後の気配に敏感になる。敵意を殺意で相殺した。感情のタガが外れた魔法が、どれほど追っても届かなかったネガを縛り上げる。強く。もっと強く。力技で化け蜘蛛を圧殺する。


「遅れてごめんね。もう大丈夫だから」


 辛い想いをさせてしまった。

 赤の少女はマギアだった。肉体はこの程度では死滅しない。しかし、心が死にかけてる姿に、かつての自分をダブらせた。郁ヒロには何も残らなかった。そんな悲劇を目の当たりにするのは、一度で十分だ。

 自分が流しているのは、血なのか、それとも涙なのか。血ならこれまでたくさん流してきた。しかし、涙を流したのは記憶の中では初めてなのだ。


(どっちでもいい⋯⋯⋯⋯この子が無事だった。それだけで私は私の存在意義生きていていい理由を見出せる)


 蜘蛛のネガの、唯一の生存者。マギアである以上、少女も戦い続けなければならない。一人にしてしまうのは心配だったが、マギア同士では分かり合えないのは散々身に染みている。彼女が家に帰るまで見届け、心の中で別れを告げた。

 そして、翌日。


「あんたと一緒にいたら、正義が分かるかもしれない」


 そんな少女は、真っ直ぐにヒロイックの元に戻ってきた。思わず吹き出してしまったその笑い声は、記憶の中で一等大きなものだった。


――――私と一緒に、戦ってくれるの?


 そんな縋るような言葉を、赤い太陽は受け入れてくれた。

 予感があった。運命を感じた。この子と二人なら、今とは別の道が見つかるかもしれない。


「ヒロさんはどこをとってもあたしの理想の正義なんだ」

――――ずっと前から私もマギアの友達がいてくれたらなって

「またご馳走になっちゃったね」

――――貴女のためにお料理を練習しているの

「ネガのせいで誰かが傷つく。そんなことは絶対に許されない」

――――正義を曲げないその心、私にはない頑なさ


 マギアになったことで、脅かされていたヒロ少女の命は確かに救われた。

 自分が命を救われることでネガと戦う力を手に入れたのなら。ネガの手によって悲しむ人を、一人でも多く減らすために戦い続けるべきだ。そんな表向きの使命感に、すっかり心を張り詰めさせてしまっていた。


――――だから、今は○○○○さんが一緒に戦ってくれてとても嬉しいわ

――――この子は他のマギアとは違う気がする

――――マギア同士でこんなにも解り合えるなんて思わなかった


 マギアとして人々の為に戦うと決めたあの日から心の奥で密かに求めていた理想の仲間に。誰かから求められる、そんな理想の自分に。


――――やっと私は、自分の運命に巡り会えたんだ

「ヒロさん、あたしにもっと正義を教えてよ!」



「元気にしているかしら、あの子⋯⋯⋯⋯」


 どうにも行き過ぎで、自分に劣らず頭のネジが飛んでいる。そんなかつての相棒に想いを馳せる。きっと、転がり込んできたあの少女が似ていたからだ。爛々と輝くあの、煤ける前のかつての赤に。


「そういえば、どんなにお料理を教えても下手っぴだったっけ。まともなもの食べていればいいんだけど」


 独り言だ。夕食の準備を続けながら、ヒロイックはほんのり微笑んだ。







「なんでだよ、ポテトにはケチャップだろ! マヨはねーよ!」


 一方、煤けた赤はファーストフード店でジャンクフードを摘んでいた。


「いや、お前の好みは聞いてないよ⋯⋯」


 橙の少女、二階堂一間。マギア・デザイア。電柱のように細長い少女は呆れたように呟いた。

 もう一人、不吉な黒の少女がハンバーガーをちまちま齧っている。あんまり口が大きく開かないようで、微笑ましい苦戦をしている。


「おいおい、白黒つけなきゃ同盟の話はなしだぜ!? ここはびょーどーな審査員に判定して頂く必要があるな」

「この陰キャちゃんに対するお前の信頼なんなの!?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯味が重い」

「「マヨケチャ以前の問題だ!!」」


 マギア・デッドロック。

 マギア・ジョーカー。

 マギア・デザイア。

 神里に集った三人のマギアは密かに同盟を結んでいた。打倒『終演』、英雄ヒロイックの神里支配を奪取するため。そして。


「やっぱりデザイア如きがあたしと組むのは、不足が過ぎるってもんだ」

「お前どうして僕をそこまで目の敵にするの? ヒロさんに気に入られたのがそこまでジェラシー?」

「ぶっ殺すぞこのアマ」

「油がきつい⋯⋯⋯⋯」

「おーおーわりーわりー! ほら、シェイク飲めよ」

「あまい⋯⋯どろどろする⋯⋯」

「この差はなに⋯⋯?」


 完全に利害の一致のみで組んでいるはずの少女たちは、賑やかな交流をなしていた。側から見れば、仲睦まじい少女たちの馴れ合いに見えるだろう。柔らかな空気に包まれる三人が向き合う。


「⋯⋯⋯⋯デザイア。協力、ありがとう。心強い」

「いや、あんたが盟主なの未だに信じられないんだけど」


 一間の言葉にムッとしたデッドロックが不吉な少女の肩を抱く。マギア三人の同盟。それは歪な産声を上げた。

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