メルヒェン・ビュー

【メルヒェン、夢の景色】



『それはどういう意味なのかな?』


 パイプ椅子にちょこんと置かれためっふぃ。表情の読めない顔があやかを見上げる。


「どうもこうも、お前色んなことを隠してるだろ。全部吐けよ」

『全部、というと?』

「マギアとネガの関係。『M・M』や『終演』について。なにより、お前の正体と目的だよ」


 全てを眼前に突き付ける。これまでの経験であやかには情報が蓄積されている。めっふぃからしてみれば、契約したてのあやかがこんな情報を持っているのは不可解だろう。

 それに、準備もしてきた。高梁のネガをあらかじめ倒してきたあやかには、魔力飴ヴィレの蓄えもある。


『虚々実々、理不尽だ。君はどこまで知っているんだい?』

「ネガの正体、それと『終演』については聞いたよ。『M・M』ってのは何者なんだ? ただのネガとは違うみたいだし……」

『聞いた、ね。『M・M』というのは、かの都市伝説のことかな。神里のマギア・ヒロイックが行方を追っていたから彼女に聞いてみるといい』

「都市伝説?」


 ヒロイックと連携を取ることはもちろんだったが、それ以前に、予想しない言葉を聞いた。


『マギアとネガについては知っているんだったね?』

「魔法の具現…………強すぎる想いは現実を歪めるってやつか」


 それが、魔法の力。マギアもネガも、元を辿れば人の想いから具現したもの。


『アレも同じだよ。呪詛を加速させる呪詛。ネガとは明確に別物ではあるけど、情念の怪物という点では同種のものさ』

「――――で、結局はなんだ?」


 めっふぃは首から上をガクガク震わせる。


「はぐらかすなよ。マギアは魂の願いを賭けて魔法の力を得る。ネガは人の呪いが具現したもの。。出所不明で通るかよ!」


 めっふぃは黙したままだ。あやかは一歩詰め寄る。


「どうせ知ってるんだろ! どこの誰が! あんな! を祈ったんだ!!」

『トロイメライ、君はなにか思い違いをしている』

「じゃあ言えよ。そもそもお前の目的はなんだ。正体はなんだ!?」

『トロイメライ』


 めっふぃのウサ耳がぴんと天を突いた。


「……悪ぃ、感情的になった。落ち着いて聞くよ…………でもまあ、もう逃げらんねえけどな」


 めっふぃと話をする上で、あやかは一つ布石を打っていた。認識から外れるめっふぃの、それさえあれば尋問から逃れることは容易い。だが、例外はあった。あやかの記憶には、めっふぃの行動を制限できた少女が存在している。


「ふぅん、まんまと利用されちゃった」


 マギア・メルヒェン、大道寺真由美。

 あやかにとって守りたい存在。見捨ててしまって、何度も救えなくて、それを深く深く悔いた。細い線、小さな身体。星の光に照らされて、儚げな印象が浮かび上がる。

 そして、彼女の魔法は確かにめっふぃの行動を制限していた。この場に時間差で真由美を呼び出したのは、あやかの策だ。思惑通り、少女は口を割った。



ささやきの悪魔、メフィストフェレス」


『君たちは、どこまで…………』



 その反応は、正解と捉えて良いだろう。

 めっふぃ。メフィストフェレス。囁きの悪魔。それがこの白ウサギの正体。


「どっかで聞いたことあるような……?」

「ゲーテの戯曲『ファウスト』、有名な古典よ。ファウスト伝説の悪魔が実在していたなんて驚きだわ。コイツも、情念の怪物とやらなんでしょうけど」


 二足歩行二頭身の白ウサギ。魔法の世界への誘い人。そんなファンタジーな存在が生態系として存在しているわけがない。『M・M』と同じような情念の怪物だったとしても、理解の範疇を超えるものでは無い。


『メルヒェン、君は何者なんだ』

「私はマギアよ。お前が自分で作ったでしょう? 甘言蜜語かんげんみつごでファウスト博士に取り入っては、その魂を籠絡して弄んだ悪魔さん」


 強烈な皮肉に、あやかの方が肝を冷やした。妙に殺気立っている。真由美がなにか大きな情報を握っているのは明らかだった。不機嫌なのは、それ故か。


「めっふぃは、そんなヤバい奴だったのか……?」

「本来はね。でも、アイツの口を見てみなさい」


 白ウサギの口はバッテンで塞がれている。喋ることを禁じられている。めっふぃ自身はそう称していた。


「アイツの声には魔力がある。魂を籠絡する魔性の言葉よ。けど、ファウスト博士はそれに打ち克った。そして、女神アリスに完全敗北を喫したことで、その最大の武器である『囁き』の力を失った。そうよね?」


 めっふぃは無反応だ。


「要するに、コイツはもうとっくに終わっているのよ。終わったものをどうこうする気はないわ。私が魔法を使うのは――――これから終わらせるものに対してだから」


 囁きの悪魔メフィストフェレスは完全に沈黙した。既に無用の置物と化した白ウサギに、星の姫は背を向ける。向き合うのは二人のマギア。

 英雄願望トロイメライ夢心地メルヒェン


「私はともかく⋯⋯アンタの行動は相当不可解よ。一体どんなタネがあるのかしら」

「同じ時間を何度も繰り返しているって言ったら信じるか?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 返ってくるのは敵意だけ。やはりどうあっても信じてはもらえないようだ。


「俺を、どうする気だ?」

「ここで殺す。それで全て終わりよ」

「⋯⋯やっぱり、分かんないよ」


 思い出す。あやかの記憶の中の真由美を。

 儚げな、とても強がりな少女。危うい均衡で成り立っているお嬢様。守ってあげたい。心からそう思った。近くにいて、それだけじゃないものも感じた。色を感じたのだ。色彩豊かな少女に、あやかは。


「俺は真由美を守りたい」

「自分の英雄願望を満たしたいだけでしょう? そんな勝手な欲望にこれ以上付き合う気はないわ」

「そうだよ、俺の勝手だよ。でも⋯⋯それだけじゃない」


 あやかは手を伸ばす。少し震えて、ぎこちなく。不格好な笑みを浮かべながら。


「一緒にいたいんだ。真由美と一緒にいると安心する。手離したくない⋯⋯⋯⋯それじゃあ、ダメかな」


 言葉にして、ようやく気付いた。気持ちがはっきりした。囁きの悪魔が言葉を力としているのも、その力が失われていることも、強く実感した。この力は、とても強いものだ。

 力が湧いてくる。戦える。

 真由美からの視線は手厳しい。冷ややかで、殺意がみなぎっている。そんな想いをこれまでさせていたのだ。あやかは受け止めた。その上で、少女が欲しい。親友を手離したくない。


「お前がいない戦いは――――とっても、辛かった。もう嫌なんだ」


 見捨てて、それでも戦って、初めて理解した。


「真由美。俺にはお前が必要だ」


 そのための覚悟を。


「⋯⋯解らない。アンタは本当に意味不明で不愉快よ」

「俺はいつもこうだよ。だからいい加減、名前で呼んでくれ――――認めてくれ」

「絶対、嫌。アンタは私に倒されるのよ」


 満天の星。

 真夜中のグラウンド。

 二つの魔法が灯る。







 大道寺家は旧家の系譜だ。

 その血統は江戸幕府の時代から続くものであり、現在に至っても相応の社会的地位を有している。資産家として周辺地域に幅を利かせている。大道寺真由美は、そんな良家の一人娘だった。


(私は母親の顔を知らない)


 一人娘であり、跡取りでもあった。彼女の母親は、娘を産んで亡くなったそうだ。嫁入りしてきた母親を溺愛していた父親は、他の女性と縁を持とうとはしなかった。だから、一人娘である真由美に全てを詰め込んだ。大道寺家を継ぐ人間としての教育は熾烈を極める。


(私には、才能が無い)


 何事もある程度はこなせる。しかし、突出した才能というものは持ち合わせていなかった。才女と呼ぶにはあまりにも凡庸。それが父も娘もよく分かっていた。

 父親からの、失望の混じった視線が恐ろしい。優秀で、厳格で、心底尊敬できる父親からの失望が、何より恐ろしかった。最愛の妻の命を奪った娘。きっとそんな風に想われているのだ。やがて、あらゆる人の目を恐れるようになった。

 寝る間も惜しんで勉強した。いつの間に眠る方法を忘れた。寝なくても動けるようになった。起きているのか、眠っているのか、そんな境界すら見失っていた。


(私には、誰も、いない)


 青春を犠牲にした。とうに父親から見捨てられていることは感じていた。名門の学校ではなく、ありふれた公立の学校。

 優秀な婿を迎えて、大道寺家に相応しい子どもを産ませる。きっと、そんな価値しか自分には残されていなかったのだろう。それでも、努力だけは積み重ねる。一人で、誰にも負けないように。

 誰よりも積み重ねた。

 それだけは胸を張って断言できる。

 それでも、天才には敵わない。『本物』を知ってしまった。鮮やかにおおせるその存在を。焦がれるほど嫉妬した。当たり前のように居座る高みに、自分は絶対に届かない。いつしか、愚劣な両目はその背中を追うようになっていた。


(私は――――なんのために生きているのだろう)


 覆す、全てを。

 想いの力ならば、誰にも負けない。

 この魔法の力さえあれば、きっと並び立てる。魂だって賭けてもいい。


「私の魔法はなんでも出来る」


 さあ、魔法の呪文を口にしよう。







「「時よ止まれ、おまえは美しいフェアヴァイレドッホ」」


 想像力を具現する、魔法の呪文。

 二人の少女は言葉を連ねる。灰色と水色。マギアとマギアが魂の煌めきをぶつけ合う。


『やれやれ。こんなことに一体なんの意味があるんだ。虚々実々、理不尽だ』


 途方に暮れた悪魔が、その死闘を見届ける。

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