トロイメライ・ミドルフェイズ

【トロイメライ、中間地点】



「俺は、失敗したのか…………?」


 ネガの結界が、溶け落ちていく。境大橋のすぐ近く。境界の場所だった。黒炭と化したデッドロックの死体が、魂が抜けた寧子の肉体を抱えていた。


「⋯⋯⋯⋯いいえ。貴女を止めなかった、私の責任よ。貴女は正しいことをしようとした」


 しようとした。実現できなければ、それは正義ではない。

 あやかはヒロイックの表情を盗み見た。のっぺりとした無表情。あたかも、一間を思わせるような。デッドロックとスパート。彼女もまた、旧知の仲を二人ともうしなったのだ。


「ごめんね――――私が未熟だった」


 なにもかもが凝縮された一言だった。異界が、スパートの呪詛が水流のように流れ落ちていく。あやかは二つの死体のところに駆け寄ろうとして、ヒロイックに肩を掴まれた。

 止められる。代わりに、神里の英雄が前に。

 英雄は、虚空の一点のみを見つめていた。


「だから、負の連鎖はここで断ち切る」

(雨――――――?)


 ぼんやりと、そんなことに思い至った。満天の星が降らす、こんな色鮮やかな雨は。不自然だ。この世界は、いつだって星が煌めいて――



「マー、カー――」


 ヒロイックが十指を開く。鞭のように鎖がうねり出た。


「メエエエカアアアアアア――――――ッッ!!!!」



 デッドロックの死体から、髪の長い少女の影が這いずり出る。崩れる少女の焼き跡。魂を燃やした果てが陵辱される。それが何よりも冒涜的な気がして、ヒロイックは憤怒を露わにする。


「り。りり」


 揺らす。揺れる。魂の鈴。

 鎖が『M・M』の四肢を引き抜いた。リボンがマーキングの盾となる。仇敵に肉薄したヒロイックの攻撃は、蹴りだった。鎖で雁字搦めに巻き取られた『M・M』は、英雄の蹴りでその土手っ腹を撃ち抜かれる。


「りりりりりりりり――」


 止まらない。どちらも止まらない。ヒロイックの重りの雨が矢印のマーキングを阻害する。再生する『M・M』の四肢をヒロイックの鎖が撃ち砕く。両手を縫い止められたヒロイックだが、蹴り技だけで『M・M』を圧倒していた。


「りり――りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりィィィィ――――――ッッッッ!!!!!!」


 まさに、蹂躙。

 ペンキのように弾けていく『M・M』の身体を、ズタズタに、容赦無く、圧倒的に壊していく。もう二度と顕現されないように。呪詛の一粒すら残さぬように。あやかはそんな凄惨な光景に目を奪われていた。


(これが――――――ヒロイック)


 その、正真正銘本気の戦い。

 実感する。今までどれだけ自分たちが足を引っ張り続けていたのか。そして、察する。デッドロックは何故ヒロイックとのコンビを解消したのか。


(この人、独りの方が圧倒的に強いんだ――――)


 雨が止んだ。ぐちゃぐちゃのペンキで塗りたくったようなヒロイックの身体が、星の光に照らされる。


「結局、こんな――――いつもうまくいかない⋯⋯難しいのね」


 サイケデリックな様相の英雄は、困ったような笑みを浮かべながら流し目であやかを見据える。


「ねえ。魔法というのは、情念が現実を歪めた産物だって知っているんでしょう。どうしようもない想いの氾濫が、現実の蓋に押し込まれて。普通はね、夢は現実に折り合いをつけながら叶えるものなんだって」


 あたかも、自分はそうではないように。

 事実、マギアはそうだった。めっふぃの言葉を思い出す。強過ぎる情念が現実を塗り替えてしまった存在、情念の怪物。マギアとは、約束の賭けによってその姿に指向性を与えられた者にすぎない。


「知って、それでも戦い続ける。貴女は強いわね。ううん、まだまだ強くなる。だから、頑張って。挫けないで」

「なに、言って⋯⋯⋯⋯?」

「そんな、貴女なら、もしかしたら⋯⋯私にも勝てるのかしら?」


 意図を理解するのに数秒かかった。

 焦れた英雄が大声で叫ぶ。



「私を殺して――――――――はやく!!!!」



 それは、呪詛刻印者マーカー・メーカーの置き土産。リボンと鎖から伝っていく矢印が、ついにヒロイックに届く。

 じゃらり。

 鎖がヒロイックの首を縛った。ベキベキベキと骨が折れる音が響く。しかし、首をへし折ったくらいではマギアは死滅しない。そして、ヒロイックの攻撃手段では自身の心臓を破壊できない。

 あやかの踏み込みが、二歩先を穿つ。


「インパクト――――キャノンッッ!!!!」


 膨れ上がる拳撃。くたりと倒れたヒロイックの頭部、その口から大量のリボンが飛び出す。指向性を持つ、矢印の形状で。


「くっっっ――――そぉぉおお!!!!」


 真っ正面からねじ伏せられる。りりり。歪な鈴の音。リボンで首を補正したヒロイックが、虚ろな双眸をこちらに向けた。


「『終演』は……アンタが戦うべきだ。ここで終わらせてやるかよ」


 下。

 顎下から蹴り上げられて、あやかの脳が揺れた。意識がブレる。右腕に巻き付けられた鎖があやかを上に飛ばし、そのまま地面に叩きつけた。


「リロードリペア!」


 砕けた骨を復元。


「リロードクラッシュ!」


 鎖への衝撃をさせる。弾けた鎖から逃れたあやかを、ヒロイックの蹴りが遠ざけた。


(強えぇ――――ここまで、差があんのかよ……ッ!)


 距離を離されればあやかの攻撃は届かない。この距離は、ヒロイックの間合い。全身をリボンで拘束するヒロイック。その抵抗すら引き千切って、英雄の呪詛が進撃する。


「りり」

(手が無い。けど諦めんな。探せ。進め。ここまで来て、こんな――――ッ!)

「り、り、り、り」

「しま――――っ」


 リボンによる拘束。それも、手首から先を完封されるチェックメイト。それでもあやかは足掻こうと――――























パン



 乾いた声。銃声。たった一発の弾丸が事態を打破する。

 ヒロイックの魔法が霧散する。拘束から解かれたあやかは、『M・M』の悪夢が終わったことを理解した。英雄が、静かに倒れる。心臓を撃ち抜かれて、即死だった。


「そう、か…………そうだったな」


 神里に集まったマギアは、もう一人いた。デッドロックの同盟相手、隠れた最後の一人。

 腰まで届く艶やかな黒髪が夜風に揺れる。妙な既視感を抱いた。異質を着て歩いているような、そんな雰囲気の少女。


「…………無事?」


 目前に出現した、ぎょろりと蠢く双眸。

 彼女は、マギア・ジョーカー。







 運命の至る空。最果ての時。


「無事か、ジョーカー!?」

「私は、いい……奴を、絶対に、倒して」


 破壊の嵐。数十メートルに達する高層ビルが根こそぎ浮き上がるほどの風圧。『終演』が放つ大火球が、黒のマギアがいた場所を直撃する。


「くっっそぉ!!」


 爆発炎上。鉄屑に圧し潰されたままのジョーカーに回避する手は無かったはずだ。


「リロードリロード――――クラッシュ!!」


 飛んでくるどこかの学校の校舎を、真っ正面から拳で破砕する。打ち負けたあやかの体勢が揺らぎ、暴風に薙ぎ払われる。足がつかない空中で揉みくちゃにされ、意識が飛びそうになった。ひりつく肌。四方に雑に飛ばされる大火球があやかに迫る。


「セット……歪曲」


 その内の一つ、直撃コースだった大火球があらぬ方向に飛んでいく。捻れた空間。そう認識した直後、あやかは大地にしっかりと立っていた。


「悪い」

「こっちも……もう、大技は、使えない…………貴女の突破力に、賭けるしか、ない」

「任せろ。俺がぶち抜いてやる」


 息も絶え絶え、血だらけのジョーカーがあやかの背中に手を当てる。ここまで辛うじて戦いになっていたのは、マギア・ジョーカーのによるところが大きい。


(ジョーカーはもう戦えない。俺がここで決めるしか――ないッ!!)


 見据える上空。運命の砂時計。巨大で、膨大で、圧倒的な、そんな砂時計が天に浮かんでいた。星空すら吹き飛ばし、砂を落とす。

 終焉へのカウントダウン。砂はもうほとんど落ちかけている。


「リロード、ロード!!」


 道。破壊神という運命を打ち砕く、あやかの意志。少女はもう、その歩みを止めない。

 諦めない。止まらない。絶対に掴み取る。

 真由美は、一間は、寧子は。

 デッドロックは、ヒロイックは。

 そして、後ろで倒れるジョーカーだって。

 彼女たちがいたから、あやかはここまで来られた。そんな少女たちに報いるためにも、なにより他ならぬ自分のためにも。最短、最速、一直線。『終演』に迫るあやかに、大火球が飛来する。あやかはただ、拳を握った。



「とぉどぉおおけえええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――ッッッッ!!!!!!!!」



 運命の砂が、ついに落ちた。

 砂時計が引っ繰り返る。世界が――――暗転した。

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