トロイメライ・スパート
【トロイメライ、直情直進】
飛沫の『エラー・エントリー』
このネガは「散逸」の性質を持つ。
抱えてきた全てをぶちまけながら、悪虐に満ちた地獄を泳ぐ。
何もかもを傷つける剣の雫は護りたかったものさえも無差別に斬り割いてしまう。
そんな悲劇に、心優しいネガは剣の涙を流し続けるのだ
至らないこの身を嘆く。それがこのネガの全て。
♪
「俺の
のっぺりとした浮遊感がマギアたちを包む。まるで水中を漂っているようだった。足は着くし、呼吸も出来る。この言い様もない不安定な感覚が、精神を浮き足立たせる。
「元に戻して、反復する魔法。俺はこの魔法で何度もこの世界を繰り返してきた」
ネガが、マギア・スパートの成れの果てが上空に浮かぶ。
全長十メートルはあろう、夥しい物量の鱗に覆われた巨大な深海魚。まるで鎧のようだった。周囲に遊泳する鋸鮫は使い魔だろうか。ネガのくり抜かれた眼窩がマギアたちを捉えた。
「人からネガへの変化が不可逆だとして――――もし、それが逆転できるのだとしたら」
「確証はあるの?」
「ない。けど、それは諦める理由にはならない」
「来るとこまで来ちまったんだ。とことん付き合うよ」
巨大な滴が落ちる。ネガの眼窩から落ちたのは、涙。マギアたちに降り注いだ滴は、華麗で残酷な剣山と咲き誇る。マギアの肉体をズタズタに引き裂く凶刃に。
そんな光景を三人は遠くで見ていた。
「……そんなことも出来るのか」
「魔力で作った幻覚だからね。ネガの知覚も騙せるよ」
(俺が、やる。全部引っ繰り返して――――救って魅せる)
決意を魂に、拳を堅く堅く握り締める。
ヒロイックとデッドロック。最高最大のバックアップがついている。恐れることは何も無い。先が見えない暗闇だとしても。
その一歩を踏み込むことこそが――
♪
『行かなくていいのかい?』
陽が墜ちて、星空が見え隠れする。高層ビルのタワークレーの上でちょこんと体育座りする少女。問われた言葉に小さく呟き、隣のウサギの耳をふん掴む。
「ここを、生き抜けないようじゃ……駄目」
雑に白ウサギを放り投げる。
見開かれたギョロ目。長い髪を夜風に揺らせながら、少女はネガの結界を見下す。
♪
「真っ直ぐ走れ!!」
デッドロックの声に背中を押される。こんな風に、また共闘できるとは思わなかった。あやかは込み上げてくる熱いものを噛み締める。
遊泳する鋸鮫が下から突き上がった槍に貫かれる。まるで銛のようだった。墜落する鮫の群れを駆け抜け、ネガを繋ぎ止めているリボンの道を駆け上がる。どれだけの魔力が必要なのか見当もつかない。あやかの魔力は温存する作戦だった。
「寧子ちゃんをお願い」
ネガがその巨体をくねらせる。しかし、ヒロイックの拘束は決して解けない。流す涙は剣山を咲かせる前にデッドロックの炎が蒸発させた。
「ありがと!!」
歴戦のマギア二人に封殺されたネガに、あやかが飛びついた。銀のグローブを力一杯開く。両手をネガの額に押しつけ、全身全霊で深海魚に張り付く。
「リロード――――ッ!!」
魔力。魔法。
想像しろ。祈れ。願え。想いは奇跡だ。魂は具現する。マギアも、ネガも、そうやって生じてきたのだ。
「リロード!! リロード!! リロードおお――――!!!!」
ネガの周囲で大気が震える。水疱のように蠢く靄が、鋸鮫へと収束した。襲いかかる使い魔の攻撃に、あやかは反応すらしなかった。鎖に絡め取られて槍に串刺しにされる末路などに、一々気を取られている場合では無い。
「へっ、これで後はあの甘ちゃんがしっかりやってくれるだけかね」
「……どうやら、そんなに甘くはないみたいよ」
巨大深海魚から、緑の矢印がいくつも伸びた。ヒロイックの鎖が強引に巻き取り、あやかへの攻撃を防ぐ。ネガの力が格段に増した。拘束するヒロイックが膝をつきながらも拮抗する。
「足場!」
ネガを中心に、円周上に大槍が四本突き刺さった。ヒロイックが指を鳴らすと、大槍を結ぶようにリボンの足場が張り巡った。デッドロックはその伸縮をバネのように跳び回り、矢印の根元を次々と伐採していく。
「あたしの『幻影』が通じない! 『M・M』がネガの知覚を書き換えてやがる!」
「どこまでも、コケにして……ッ!」
怒りに震えるヒロイックが締め付けを強化する。魔力で強化した全身の筋肉を総動員させるが、それでもネガに動きを許す。
「トロイメライ! あんまり、保たねーぞ――――ッ!!」
その様子を見てデッドロックが叫んだ。急激に力を増すネガに、デッドロックの猛攻が削りきれない。
「リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード! リロード!」
(なんで、なんで思い通りにならない――――!?)
深海魚が、
ままならない。想いが霧散する。それが、御子子寧子の想い。彼女の抱いた呪いそのものだった。
「決断しろおお! ヒロイックッ!!」
「駄目よ! 続けて! 諦めないでッ!!」
悲痛な言葉に、デッドロックは唇を噛み締めた。あやかの手に力が増す。だが、矢印の刻印は力を増すばかり。ネガの眼窩から無数の滴が弾け飛んだ。
剣の華が乱れ咲く。ヒロイックの拘束を引き千切って。ネガの巨体があやかを振りほどこうと暴れる。叫んだのはデッドロックだ。彼女が投擲した槍が、ネガの額に深く深く突き刺さる。
「リロードおおおお!!!!」
諦めない。もう、見捨てない。
突き刺さった槍を掴みながら、あやかは魔法を発動し続けていた。縦横無尽に跳び回るデッドロックに、英雄ヒロイックが続いた。鎖、リボン、重り、その肉体。全てを総動員して『M・M』の
「みんな、待ってんぞ! 帰ってこい――――寧子ッ!!」
ギュリン。ギギ。ギュルルルル。
グローブの、銀のリングが回転する。魔法をさらに重ね掛ける。想いを賭ける。ネガの結界では魂の彩が際立つ。であれば、この全身全霊全力の祈りこそが。
「リロード――――ッ」
弾けた。
寧子の魂ではなく、あやかの両手が。
リペアの魔法で再生させようとするが、手遅れだ。ネガに放り出されたあやかが、その突進に晒される。激突の寸前、鼻先に止まる深海魚。
「ぐぐ、ぐ――――ッ!!」
ヒロイックのリボンと鎖。決死の拘束がネガの突進を受け止めていた。殺到する緑の矢印。デッドロックの燃える槍が断ち切る。
「らあああぁぁぁああぁぁぁああ!!!!!!」
巨体が叩き落とされた。落ちるあやかをヒロイックが抱き留める。ネガの落涙。剣の華が朱く染まる。悲鳴合唱。トロイメライとヒロイックがまとめて串刺しになった。
それくらいで、止まるものか。
全身から鮮血を噴き出しながら、二人とも立ち上がる。一人でネガを抑えるデッドロックの元に。
「止まれ――――ッ!!」
世界が、静止した。
肉体の中心を巨槍で串刺しにされ、リボンと鎖で雁字搦めに拘束されている。そんなネガの前に、デッドロックは立ち尽くしていた。剣の華に滅多刺しにされたデッドロックが、無数の矢印に飲み込まれた。
「ケジメをつけるのは――――私よ」
火炎が矢印を押し戻す。デッドロックはまだ戦える。あやかには、そう見えた。
「いーや、ここはあたしに譲ってもらうぜ。マギアの使命よりも大事にしたいモン、ちゃんと見つけたんだな」
御子子寧子を見捨てない。ネガを殺す。
ヒロイックが選択したのは――――前者だった。
「…………貴女も大事よ。他の、何よりも」
デッドロックは静かに笑った。憑き物が落ちたような穏やかな笑みだった。
「あたしが、こうしたいって想うんだ。だから、許してくれ」
「デッドロック!!」
駆け出そうとしたあやかを、ヒロイックが止める。
「……あんたも不思議な奴だ。そのまま、自分を貫けよ。
ヒロを――――――――――頼んだ」
剣の華が焼き尽くされた。ネガの眼窩から伸びる呪詛の刻印を、デッドロックは力強く引っ掴む。
「無駄な意地、張るもんじゃねーぜ………………お互いに、な」
ネガの死力。のたうち回るように巨体が進撃する。その
「あたしの全てを咲かせてやる――――とっておきってやつだ」
デッドロックの熱力が膨張する。肉体が溶けて、弾けて、それでも止まらない。膨大に、莫大に、際限なく少女は発熱する。
魂を薪にくべた、デッドロックの自爆。
その一撃はネガの呪詛を内側から焼き尽くした。
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