スパート・デッド・エンドフェイズ

【スパート、死線引き】



「リロぉードぉぉお!!」


 群体蝿の翅を、あやかの拳圧が吹き飛ばす。霧散する蝕腕は数秒もしない間に形を取り戻す。迫る蠅の猛追をスパートの剣が両断する。が、群体には効果が薄い。まるで形の無い霧のように翅が広がった。


「ちょっと、これどうしようもなくない!?」

「正面突破しかねえけど魔力が足りねえ!!」


 四枚翅の蝿の王が羽ばたいた。風圧で体勢を崩され、その隙に蝿の群体が殺到する。

 ヒロイックが一度ダウンした際に、リボンの防護は解けている。だが、使い魔が全滅した今ならば腐臭ははるかにマシだ。戦闘に支障をきたすほどではない。


「リロードリロード! インパクトショット!!」


 拳圧。直接受けた蝿も数百単位で死滅した。翅が霧散する。しかし、完全に体勢を崩したあやかには続く足が踏めない。


「行けえええ――――!!!!」


 直情一直線。緑光一閃、蝿の王に突っ込む。スパートの刺殺、それは確かにネガの頭部を貫いた。

 だが。


「浅いッ!?」


 ネガは僅かに仰け反っただけ。刺突傷から噴き出す黒い汚水は、すぐさま漆黒の矢印に覆い塞がれる。蝿の王が、ギロリと複眼を剥いた。耳障りな奇声とともに、スパートを突き飛ばす。


「寧子ッ!」


 飛び出したあやかがスパートの身体を受け止めた。衝撃を二人で分散する。それでもダメージは大きい。リペアや治癒の魔法で立て直すよりも速く、死の翅が。


(ここまで、なのか!? 真由美も、一間も見捨てて、寧子も守れずに、『終演』に辿り着きすらせずに――こんな、ことが)


 許せるか。

 ブチリ、と。頭の血管が切れる音を確かに聞いた。あやかはスパートを庇いながら反撃の拳を握る。交錯の一瞬。



「頑張ったわね」



 いつだってそうだ。奇妙に力が抜けていくのを感じた。彼女は、間に合うのだ。絶対の窮地に、そこに立つことが出来る。あやかとは違って。

 あやかとは一線を画している。そんな『本物』の英雄の立ち姿。


「ヒロさん⋯⋯!」


 スパートの希望に満ちた声。そんな声を上げたくもなる。英雄ヒーローの登場には。そして、そんな英雄の隣には。


「デッドロック⋯⋯」


 煤けた赤。大槍を担いだマギア・デッドロック。

 英雄と同じくらい頼もしく思えるその背中。彼女もまた、あやかの中では英雄ヒーローであった。


「腕、ナマってねーだろーな?」

「あら、貴女こそ鍛錬は欠かしていないでしょうね?」


 かつて、神里には『英雄コンビ』と称されるマギアたちがいた。

 その魂の、圧倒的煌めきと、あまりにも遠い背中。それを感じて、あやかは唇を強く噛み締めた。







 大地に突き刺した大槍の上に、デッドロックが立つ。パン、と両手を組むと蝿王の翅に四本の大槍が飛来した。群体の中心を串刺しにすると、発火。炎上し、飛び散る火の粉の中、ヒロイックが華麗に駆ける。


「相変わらず、雑なんだから⋯⋯」

「るせー! ネガさえ倒しちまえば終わりだろーが」


 ジャラリ。

 ヒロイックの右の五指から伸びる鎖が蝿の王を縛る。飛び散る蝿の群れをリボンの風呂敷で牽制しながら、左手を挙げ、指を弾く。


英雄鉄槌リヒトゲヴィヒト!」


 天空から舞い落ちる光の粉。小さく乱反射するそれらは、小さな分銅だった。無数に落ち、無数の蝿を撃墜する。デッドロックの炎で一時的に散り散りになった隙を、ヒロイックが一手で全滅させた。

 表情を弾ませるヒロイックがかつての相方に目配せする。


「譲ってあげる」

「けっ! 調子こきやがって!」


 突き刺した大槍は、デッドロックごと消えていた。そうあやかが知覚した時には、既にデッドロックは蝿の王を間合いに捉えていた。大槍を突き出す。


「消し飛びな」


 大槍がネガを串刺しにする。それだけではない。内側から、爆炎が蝿の巨体を蹂躙していた。ネガの外に火の粉は漏れない。きっちりネガを殺し切る熱量。どうだ、とでも言いたげな視線でヒロイックをめつける。


「はい、よくできました!」


 デッドロックは舌打ちした。


(すげえ⋯⋯こんな、ここまで差があるのか)


 デッドロックとヒロイック。あやかが知る中では最高峰の実力者たちだ。


(この人たちがいれば⋯⋯⋯⋯この人たちを味方につければ、きっと『終演』だって越えられる)


 『終演』さえ越えられれば、憂うことは何も無い。本気でそんなことを思っていた。だから、気付かなかった。


「ヒロさん――――」


 英雄ヒロイックを囲む矢印の群れを。


「危ないッ!!」


 マギア・スパートは感知が鋭いタイプだ。そんな独り言を、あやかはデッドロックから聞いたことがある。誰よりも先に駆け出した緑の閃光。

 トロイメライは気付かなかった。

 デッドロックは間に合わなかった。

 ヒロイックは反応できなかった。

 唯一、スパートのみがその身を滑り込ませた。焼け落ちていくネガの屍肉から飛び出した矢印の前へと。


「どう、して…………?」


 短槍を両手に携えたデッドロックが、ヒロイック前に立つ。追撃は無かった。七色の矢印がスパートの身体に吸い込まれる。ヒロイックがデッドロックを押し退けた。


「やっと、ヒロさんの……役に、立てた…………」


 駆け寄ろうとするヒロイックを、デッドロックが力尽くで止める。羽交い締めにされたヒロイックが見たのは、緑の矢印が、スパートの肌をのたくっている光景だった。

 そして、両手にマーカーを握る少女の幻影。

 長い髪を波のようにはためかせ、マギアの死神がにたりとわらう。いつからそこにいたのか。きっと、最初からそこにいたのだ。矢印のマーキングの根元に、『M・M』はいるのだから。


「アレが――――マーカー、メイカー……?」


 あまりにも現実離れした悲劇に、あやかは呆然と一言を溢した。







 これが運命だと、そう思った。

 当たり前の日常が、どれほど尊いものであったのか。それが今なら痛いほど分かる。きちんと与えられて、しっかりと揃っていた。


――――運命的でありたい。


 正義を求めるロマンは、魂を焚きつけた。緑炎に身を焦がしながら、コレしかないと思った。賭けに乗らなければ、果てが破滅であるとすら思えた。

 これしかない。

 これが運命だ。

 その結果が、コレだ。何一つ成し遂げられない、足を引っ張ってばかりの自分だ。なんの意味がある。なんの価値がある。


――――くだらない。


 これまでの感情の機微。その一つ一つがひどくどうでもいいものに思えた。魂が黒く明滅する。心臓の動きが緩慢になるのを感じる。

 現実味の無い浮遊感。まるで水中を漂っているような。あてもなく、流れに揺られる魚の心地。流されて、流されて、流されて。その先に鋭い刃が待ち受けていた。諦観とともに刃を受け入れる。


――――ああ、これが絶望なのか。


 刃が血肉と化し、心臓を緑の矢印が覆った。







「待――――――――ってくれ!!」


 言葉は遅れてついてきた。自分で何をやっているのか、ようやく理解する。スパートの全身に淡く光る緑の矢印。『M・M』のマーキング。ネガと果てる前に、その心臓を潰そうとするヒロイックとデッドロック。

 その間に、あやかは立ちはだかっていた。


「あれは、スパートだ! 寧子なんだぞ!」

「知っているわ」

「アイツは良い奴なんだ! 強い奴なんだ! ネガになんてならねえ!」

「ネガになるのよ。そして多くの人が犠牲になる」

「だって、友達だろ!」

「私たちはマギアよ」「時間がねーよ」


 デッドロックが、その槍先をスパートの心臓に定める。


(ああ――――なにやってるんだろ。

 二人が正しい。俺は間違ったことをしている。分かってる。真由美を見捨てた。一間も助けられなかった。だから、今さらなんだって言うんだ。この二人だって、きっと同じだ。たくさん助けられなくて、色んな失敗をして、それでも、だからこそ正しい道を貫こうとしている。

 ネガを、倒す。もう二回も同じ事をやってのけたじゃねえか……)


 デッドロックの槍を、あやかが抱えるように押し止めた。腕力は拮抗。英雄ヒロイックが前に出る。


「でも――――だから、違うんだ……もう、繰り返したくない」


 力が、湧いてくる。デッドロックを槍ごと押し退ける。ヒロイックは、中途半端な高さに手を上げて、数秒止まっていた。


「――――寧子を、助けたい」


 ヒロイックが、その手を下ろす。


「俺が、やるよ。ネガの呪いから寧子を取り返す。他の誰でもない、。俺が英雄ヒーローになってやるんだ!」


 それが、自分の魂を賭けた願いだから。

 ようやく、思い出す。


「ほんとーにやれんのか? 手はあるのか?」

「俺の魔法の性質は『反復』だ。やってみせる。だから力を貸して欲しい!」


 うじうじと思い悩んでいるのも、性に合わない。そんな当たり前のことをようやく思い出した。

 だから、これ以上、一歩たりとも退いてやるつもりはない。

 デッドロックが槍を下ろした。三人のマギアが見つめる先、呪いに堕とされた少女が浮かび上がる。少女は自分の世界の終わりに、これまでの人生と、なにより見てきた世界を総括した。


『くだない、こんな世界』


 吐き出される、堕胎した魂。

 くだらなくなんてない。そう言い返すためにも、あやかは強く拳を握った。

 呪いが――――芽吹く。



「フェアヴァイレドッホ――――直情直進スパート

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