ヒロイック・ミーティング

【ヒロイック、会合】



 翌日。

 例の六角テーブルについた三人のマギアが顔を突き合わせていた。暗い表情のあやかと寧子。対照的にヒロイックの表情は柔らかいままだった。


「一間ちゃんのこと……残念だったわね」


 冷め始めたダージリンの香りと、もう一つ。リビングの端に灯されたアロマキャンドルが緊張を解す。それでも、突き付けられた真実は重過ぎて、身体と心は縮こまったままだ。


「なにが、起きたんですか……?」


 真実から一番遠いのは、やはりマギア・スパートだ。ヒロイックは四番目の椅子を一瞥する。一間がこれまで使っていた席には、口を封じられたウサギがちょこんと収まっていた。


『説明したとおりだよ、スパート。デザイアはネガへと堕ちた。彼女の願いが呪詛に敗れてしまったんだ。事象は不可逆。ああなってしまってはどうしようもない』


 寧子は訝しげな視線を送る。封じられた口の隙間から、細いストローで紅茶を吸い上げるウサギ。

 からん、と無機質な音が響いた。テーブル中央の上皿天秤が傾いた。不審に覗き込むあやか。片方の皿に分銅は置かれていた。小さな、10gほどの分銅だ。


「――――そこじゃねえんだろ、本題は」

「そうね。情念を有する知的生命体である以上、ネガへの変異は誰にでも起こりうる。マギアになったからといって、そのリスクが格段に跳ね上がっただけに過ぎない。本質は何も変わらないのよ」


 あやかは謎の分銅を無視した。今度は音も無く天秤が釣り合う。小さな問題だった。あやすように微笑む英雄は、やはりどこか見えている世界が違う。


「一間は、どうしてネガになった?」

「マギアだから、じゃないの……?」

「きっと、それだけじゃないの。あの子はこれまでマギアで在り続けた。今さら、あっさり呪詛に飲み込まれるものではないわ」


 ヒロイックが立ち上がった。慣れた所作で紅茶のお替わりを煎れる。半分ほど残った寧子のカップと、一度も口を付けなかったあやかのカップを下げる。そして、残ったものを、空になっためっふぃのカップに雑に放り込んだ。ウサギは文句一つ言わずに吸い上げる。


「――――『MマーカーMメーカー』」


 かららん。

 左右に振れる上皿天秤。ヒロイックの笑みが陰を深くする。湯気を上げるダージリンを二人の前に置くと、ヒロイックはゆっくりと腰を下ろした。


「そうね。あの子が、やられた。単なるネガやマギアの類いであるとは思えない」

「……そうとう、アイツのことを高く買っていたんですね」


 あやかの言葉尻が荒む。ヒロイックに対する、言いようもない嫌悪感。その正体が自分の中で見い出せない。実力も、信念も認めているのに。ジレンマに焦がれる。


「あの子のを、貴女も知っているのではなくて?」


 あやかは、むすっと黙った。


「――――デッドロックに接触しましょう。『M・M』に関与しているのなら潰す。無関係なら警戒を呼び掛ける。噂の同盟相手も気になるもの」


 トロイメライとスパート。二人を一瞥して、ヒロイックはそう締め括った。二人とも首を縦に振った。これ以上の案が出ないことを、これが最上の正しさであると、ヒロイックには分かっていた。

 そのを見せつけられ、二人は何も言えなかった。事実、ネガと化したデザイアには二人とも手も足も出なかったのだ。


「私も前線に出るわ。だから、寧子ちゃんに治癒をお願いしたいの」


 寧子の手を取る英雄が、柔らかく微笑む。


「お願い――――貴女の力が必要よ」


 力強く、元気づけるように。







 口の中で魔力飴ヴィレを転がしながら、寧子は夜空を見上げていた。満天の星、光が夜の闇を振り払う。

 ヒロイックの治癒は済んでいた。今夜は三人ともヒロイックの家に泊まり込み。トロイメライとヒロイックは既に眠りに就いている。寧子はなんとなく寝付けずに、ベランダで黄昏れていた。


「あたしは――――なにがしたかったんだろう」


 運命。

 あの白ウサギと出会った時、確かにそう感じた。運命に誘う白ウサギ。世界の裏側から人々を守る、そんな正義の味方。

 自分の運命のために戦いたい。少女はそう願った。


「遠いなぁ⋯⋯ヒロさん」


 何もかもうまくいない、それでも喰らい付いていた戦いの日々。ふとした油断が生んだ危機を、神里の英雄は華麗に救ってくれた。

 あの、輝く背中に憧れた。

 黄金色に輝く運命を感じた。あの人こそが、自分の目指す道なのだと。そんな確信があった。強く、美しく、圧倒的に正しい。一緒にいればいるほど実感が募る。それと同時に、どうしても感じてしまうこと。


「遠い………………なんで、こんなにも」


 英雄も、完璧ではない。失敗もするし、失いもするし、挫折もする。それでも、英雄ヒロイックが折れる瞬間というのを、寧子は見たことが無かった。今回もそうだ。何が起きても英雄は決して揺るがない。


「それに引き換え――――あたしは「なんだってーのかい?」


 隣を見て固まった。呆けて、ぽかんと空いた口に突っ込まれる。反射で咀嚼するとほんのり甘い。チョコレートだ。


「『本物』は『偽物』を喰い潰す。だから、そんなしょいこむことはねーのさ」

「マギア・デッドロック……」


 赤のマギア。いつからここにいたのだろう。警戒に目を細める寧子。その唇をデッドロックの指が封じた。


「まー待て。ヒロのことなら心配しなくてもすぐに気付くよ。それより話をしよーぜ」

「……あんた、敵でしょ?」

「んーそんなこと言ったっけなー? あたしはだからね」


 あっけらかんとデッドロックは笑った。


「……昔、ヒロさんと組んでたんだって?」

「聞いてたか。まーそーだ。ついていけなくなって、コンビは解消したけどな…………ちょうど、今のあんたと同じじょーきょーさ」

「あたしは、ヒロさんから離れるつもりはないよ」

「辛いだけだ」


 同じ道を辿ってきたのだ。言葉の重みが違った。


「何をしても、どれだけ頑張っても、あの輝きは隣にいる。折れることなんて許さない、そんな強靭な英雄がそこにはいる。あたしは一度ぽっきり折れちまった。デザイアもそーさ。あんたもすぐにでもそーなる。そして、思い知るのさ。

 自分が間違っていた。

 自分が無能だった。

 自分が無価値だった。

 分かるだろ? そもそも目指すべきモンじゃない。あんな、英雄、なんて。本当の英雄でいられる奴なんてのは――――ほんの一握りの『本物』だけさ。あたしはそーじゃなかったし、もちろんあんたも違う」


 デッドロックは星空なんて見なかった。真っ直ぐに寧子の横顔を見つめ、柔らかい、そして全てを諦めたような、そんな儚い笑みを浮かべている。悪魔の囁きだ、と寧子は感じた。


「逃げちまえよ。このまま壊れちまうよりは、利口なはずだ。なんならあたしが拾ってやってもいい。きっとヒロは、止めない」


 

 その言葉が、一番重かった。仲間を失ったくらいでは、あの英雄は決して止まらない。分かっていたことだ。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる、そんな優しくて頼れる姉のような振る舞いも、それが仲間に対する理想的な付き合いだと思っているからそうしているだけ。


「距離を取っても、会えなくなるわけじゃない。敵になる必要なんてない。でも、違う道には進むべきだ。あたしや、デザイアのように。

 じゃないと――――あんたが壊れちまうよ」


 寧子は、ようやくデッドロックの方を向いた。目が合って、デッドロックが気まずそうに視線を泳がせる。純粋な気遣いから声を掛けてくれたことが、寧子にはよく分かった。


「ありがと。あんた、意外と良い奴だゾ」

「はぁ!? ば、ばかっ! どーしてそーなんだよ!!」


 頬を染めて慌てるデッドロックに、寧子は思わず噴き出してしまった。自然な笑みは、いつ以来であったか。それほどまでに張り詰めていた。


「大体あたしは、あのうるせー小言マシンを「あら」……おおぅ、その…………「どうしたの? 続けて?」


 柔和な笑みでベランダに踏み入ったのは、件の英雄様だった。寧子とデッドロックの間に割り入ると、流し目でデッドロックを見据える。


「おー、あー…………いーんだよ、んなこたぁ!! それよりも本題だ。デザイアがやられたのは本当か?」

「今さら、貴女に口が挟めるとでも?」

「『MマーカーMメーカー』か? あたしらもそいつを追っている」


 ヒロイックは無言で頷いた。


「手掛かりは?」

「ある。が…………迂闊に手を出せる相手じゃねーよ」

「手を組む気は?」

「ない。だが情報だけはきょーゆーする。『終演』までにはケリをつけておくべきだ」


 デッドロックは部屋の中に視線を移す。窓ガラスに身体を預けて聞き耳を立てているのはトロイメライだ。デッドロックにとっては、最も得体の知れない相手だろう。あやかも、自分の気持ちに整理がついていない。

 だから、お互いに言葉を交わすことはしなかった。


「『M・M』は、感情のベクトルを呪いに収束・加速させるらしい。だから、ネガはより強大になるし、人の心はネガに急落する。あたしらマギアだって同じさ」


 ネガ化の原因であり、神里にネガが多く発生する元凶だと。デッドロックはそう説明する。


「マーキング……あの矢印の根元に、奴は必ずいる。あたしらは尻尾を掴むまで待つつもりだ。あんたらはどーすんだ?」

「私は、ひと暴れして誘き出すわ。そちらはそちらで好きになさい。でも……そもそもその情報は確かなのかしら? 貴女が一緒にいるマギア、信用出来るの?」

「信用の判断は任せるさ。あたしは信じた。信じられなくなったら裏切る。敵や味方に拘るなんてバカらしーのさ」


 ニヒルな笑み。言うだけ言ってデッドロックは飛び去って行った。ヒロイックは追わなかった。


「――――ごめんね、大事になっちゃった。二人は少し避難していなさい。私が片を付けてくるわ」

「あたしも、戦います」


 寧子は真っ直ぐに言い切った。


「一緒に、戦ってくれませんか?」

「俺もやりますよ。一間の仇を……討たせてくれ」


 ヒロイックは二人に背を向けた。


「そうね……二人とも、マギアだものね」


 その声に、若干の震えが乗る。数秒後、振り返ったヒロイックが浮かべたのはいつもの微笑みだった。


「うん――――よろしくね」

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