トロイメライ・ヘル

【トロイメライ、地獄】



「リロード、ショット!」

「えりゃあ!!」


 あやかの拳も、スパートの斬撃も、当て布のように継ぎ接ぎだらけな壁は破れなかった。単純な強度ではない、得体の知れないなにかが迷宮を支えている。


「上をよじ登るってわけにもいかないな⋯⋯」


 箱庭は綴じられている。僅か二メートル強の高さに異界の果てがあった。天井というよりは天幕。小粒の橙の光が散りばめられ、視界は明瞭に照らされている。


「どこかにネガはいるんだよね」

「一間のことだから⋯⋯⋯⋯実は外にいましたとかもありそう。まずは迷路の中を探そう」


 スパートは召喚した剣を地面に突き刺した。ここは通ったという目印だ。道は前と後ろだけ。二人は迷わず前に進んだ。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 しばらく進んで、判断に困る。分かれ道ごとに剣を突き刺しては、その角度で通った道を示してきた。角度の違う剣が二本刺さっているのを見て、この分岐点には三度目だと気付く。


「真っ直ぐ進んだつもりがどん詰まりか」

「というか、どうすんの⋯⋯⋯⋯?」


 視線の先。虚ろな目の老人が太極拳を披露していた。結界内にいたので使い魔を疑ったが、どうやらそうではなさそうだった。この短時間で犠牲者を飲み込んだとすれば、その脅威度は計り知れない。


「やりかねない。一間なら、特に」

「待って。あたしたちが通った道って繁華街に繋がっていたような⋯⋯」

「急げ!」


 まだ見ぬネガが、自身の破滅願望への道連れを望んでいるのだとしたら。それは、未曾有の大惨事を示唆している。並走する二人のマギアは、言いようもない焦燥感に焦がれた。未だネガの姿すら見えない。


「おいおいマジか⋯⋯!」


 スーツ姿の、鞄を提げた一団。中学生の彼女らには知らぬことだが、退勤ラッシュの時間だった。揃いも揃って中折れ帽を被っているのがどこかシュールだ。


「待って待ってこれどういうこと!?」


 慌てるスパート。スーツの一団が、鞄を振りかぶって襲いかかってくる。

 前に出たのはあやかだ。剣を握る緑のマギアと違って、彼女ならば傷つけずに拘束出来る。そう考えたのも一瞬。


「が、は⋯⋯っ」


 またもに受けたあやかが流血とともに吹っ飛んだ。明らかにただの鞄ではない。鉄の塊でもぶつけられたかのような衝撃だ。攻撃の反動で中折れ帽が浮いた。

 ボタンで彩られた稚拙な目鼻。

 一目で分かった。ネガの使い魔だ。


「ああぁぁぁああ――――!!」


 スパートが吠えた。あやかに群がるスーツの一団を斬っては捨てる。血飛沫が舞った。どいつもこいつもちゃんと赤いのがいやらしい。


(人型の使い魔⋯⋯⋯⋯! 考えられるとすれば――)


 スパートが振り下ろす刃を、あやかのグローブが止めた。邪魔をされたスパートがキッと睨みつける。


「⋯⋯⋯⋯よく見ろ」

「⋯⋯⋯⋯ッ!」


 絶句。

 使い魔の中に一人紛れていたのは、本物の人間だった。斬られた肩を押さえながら、虚ろな目で呻いている。あやかが止めなければ一刀両断だっただろう。剣が、落ちる。


「あれ、あたし⋯⋯なんて、ことを⋯⋯⋯⋯」

「これがネガの狙いだ。飲み込まれるな。

 使 


 まさに悪辣。最悪を回避出来たのは、一間という少女の願望を知っていたが故である。一発限りの、しかしながら必殺の奇策。ネガ自身に策を考える正気があるとは思えない。その魂の髄に染みた願望が導いた一手か。

 あやかは深く息を吸い込み、鋭く吐き出す。ここで逆上のぼせては敵の思う壺だ。血液を循環させ、冷静さを取り戻す。


「⋯⋯こうじゃなきゃ、アイツは生き残れなかった。弱いからだ。そうしなければ生き残れなかったからだ。けど、見つけてしまえばこっちのもんだ。だから、折れるな」


 息が荒い。顔を青くするスパートは震える手で剣を握り直す。自身の魔法で、自分が傷つけた相手を治癒する。


「絶対に、許さない⋯⋯⋯⋯!」


 言葉で言うのも、決意を示すのも、結果に結びつかなければ意味がない。走り始めた二人の目には、橙ではなく、赤が目立つ。倒れた女性は死体だった。その腹に突き刺さっているのは――――剣。


「どう、して⋯⋯⋯⋯?」


 同じ光景が、いくつも。

 目を覆いたくなる悲劇。ネガは結界に取り込んだ人間の魂を喰らう。だから、直接殺害して魂を潰してしまうことに意味なんてない。それに、わざわざ殺しに行くのは、ネガ自身の姿を晒してしまう危険があった。


(違う、そうじゃない⋯⋯)


 これは、自分たちに向けられた刃だ。二階堂一間がマギア二人に突き出した刃だ。あやかはそれをはっきりと理解した。目印に刺したスパートの剣。わざわざソレを使って犠牲者を自害させたのだ。

 マギア・スパートの心は、完全に折られた。

 ネガに堕ちても、デザイアはデザイアだった。あやかは膝をつかない。デザイアの知らない地獄を、彼女は幾度も辿ってきたのだ。迷宮に取り込まれた犠牲者の救出方法なんて、皆目見当もつかない。それでも心だけは折らない。考えるのは、ネガをどうやって見つけて、潰すかだ。


(真由美を見捨てて、俺はここに立っている。コレで折れるなんて思うなよ。絶対にぶちのめしてやる)


 不自然に現れたの扉をめ付ける。新手の罠を警戒した。だから、そこから現れた人物には心底驚いた。


「ごきげんよう」


 マギア・ヒロイック。神里が誇る英雄が現れた。







 ヒロイックがパトロールに加わっていなかったのには理由がある。療養のためだ。肉体を貫通するほどの傷をようやく塞いだばかりの彼女は、とてもではないが戦える状態ではなかった。

 スパートの魔法も、穴を塞いだ時点で固辞されていた。魔力の消費を防ぐためという理由だったが、当のスパートは隠れて落ち込んでいる始末。こういうところがチグハグな師弟である。


「状況は?」


 使い魔を鎖で簀巻きにしながら、英雄は微笑んだ。本当に駆けつけたばかりのようだ。震えて声が出ないスパートに代わってあやかが口を開く。



 ヒロイックの笑みが消える。わざとショックが大きくなるような言い方をしたが、本当に効果があるとは思わなかった。


「その反応、マギアとネガの関係を知って――」

「⋯⋯逆に、貴女は何故知っているの?」


 説明している時間が惜しい。ヒロイックもそう考えたようで、返事は待たなかった。ふわりと舞踊のような一回転で、英雄の魔法が展開する。


(英雄の魔法、素直に答えるわけはないか⋯⋯)


 迷宮に巻き込まれた犠牲者たちを、黄色いリボンがふんわりと包み込んだ。結び目を蝶々に彩られたのは、どうやら施錠ロックを掛けたようだった。


「スパートを守って」

「了解」


 うずくまった彼女はもう戦えそうにない。だが、戦える状態ではないのはヒロイックも同じだ。


「本当に、一人で大丈夫ですか?」

「なんとかする」


 妙に力強い言葉だ。


「それに、相手は一間ちゃんでしょ? あの子の扱いなら、私、慣れてるわ」


 余裕ぶってウインクを飛ばす。その瞳が不穏に揺れるところをあやかは見逃さなかった。強がりは英雄の宿命か。あやかは無言で頷いた。

 ジャラリ。

 蠢く鎖の音だ。ヒロイックが迷宮のあちこちに武器に飛ばす。鎖で雁字搦めになっているのは使い魔だろう。じっくりと縛り潰される光景は妙な恐ろしさがある。


「ネガを捕捉したわ」

「え、迷路の中にいたの!?」

「――と考えることを想定して、敢えてってとこかしら。遠過ぎて拘束が追いつかないわ。こっちに誘導する。トドメは頼める?」

「当たり前だ」


 ヒロイックが来てから被弾の危険は格段に減っている。ならば、あやかが攻撃に回れるのは道理だ。どうやらヒロイックの中では、一撃の威力はトロイメライの方が上だと考えているらしい。

 鎖に追いやられたネガは正面からやってきた。針金のように細長い、奇妙な人型だった。顔のパーツはどれも妙に細長く引き延ばされている。だが、その両目から落ちる雫が、あやかの拳を鈍らせた。


「krkiKKKIIRRRRIIIIIKKIIIRIIRIRIIIII――――!!!!」


 ネガの泣き声。耳と心に響く金切声。あやかは気合で踏み締める。


「リロード――ッ!!」



 そして、目の前に投げ出された。

 



(落ち着け。俺は真由美を見捨てた。今さら躊躇う理由なんてない。一間だって同じだ。ネガに堕ちたんだ。真由美と同じだ。このまま放置していたら多くの人が犠牲になる。俺は一間のためにも討たなきゃいけねえ。それは絶対に正しいことだ)


 永遠にも感じる時間だった。魔力で反復させた拳撃であれば、その屍肉は容易く砕けるだろう。ネガごと砕いてしまえば、差し当たってこの地獄は終わる。


(だから――――やれ)


 動かない。

 あやかの拳は動かない。

 その視界を、鮮烈の黄が封じた。見えないが、何が起こったのかは分かった。ネガが盾にした死体ごと貫いた英雄の一撃を。


「まだまだ私が必要なようね」


 その言葉の意味は察せられない。

 だが、無事である理由はなかった。一間が助けられなくなったと聞いて、確かに英雄は表情を変えた。あの一瞬、確かに無の表情だった。無事であるはずなわけがない。ヒロイックもあやかと同じく、下手をすればあやかと同じ以上に、逡巡があったはずだ。


「英雄」


 ふと、あやかはその言葉を零していた。


「りりり、そうよ。だから私は正しいことを為さなければいけない」


 とぼけたように英雄が微笑む。ぐちゃぐちゃに潰れた一間の肉体。崩れゆく結界の中、ヒロイックは一度たりとも一間を抱き抱えようとはしなかった。この異界に置き去りにすることは決定事項のようだ。


「一間と、仲が良かったんすか⋯⋯?」

「そうね。貴女よりはずっと、あの子のことを、ずっとずっと知っているわ」


 伸ばそうとする手を、ぐっと抑え込む。その心の動きが、あやかには手に取るように分かった。あの時の自分であり、今の自分でもある。

 ヒロイックが、トロイメライとスパートを抱き抱えた。

 その奇妙な熱量に酔いしれる。英雄の抱擁力といったところか。彼女の持つ英雄の輝き。それが紛れもない本物であることを、あやかは確かに感じた。

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