デザイア・コンパニオン
【デザイア、地獄への道連れ】
黄昏時。
「いいんじゃねえの? 気にすることかよ」
あやかは言った。寧子はぐっと唇を噛む。
こんな当たり前の自分が、果たしてマギアとして戦っていてもよいのか。スパートは思い悩んでいた。この前の乱戦が尾を引いているらしい。しかし、あやかはもはや、そんなことに頓着はしていない。
「俺たちはもう、マギアの力を手に入れちまっている。だから、戦ってもいいんだ。戦わないと⋯⋯ダメなんだ」
あやかが差し出す手を、寧子は素直に掴めない。困ったように笑うあやか。
「⋯⋯あたしはさ。みんなの足を引っ張ることしか出来ない。うまくいかないんだ。正しいことが、うまく出来ない」
「俺だって⋯⋯⋯⋯⋯⋯そうさ」
「あやかは、強いじゃん」
助けられなかった、命。呪詛に満ちた表情。親友と思っていた少女の最期を。
「うまくいかないことだらけだ。何度、繰り返しても」
考えないようにしていたこと。
これまでどれだけ下手を打ってきたのか。あやかにとっては過ぎたことでも、あの童話の女王や『終演』に奪われたものはあまりにも莫大だ。それも、一度や二度ではない。
(真由美を⋯⋯⋯⋯どうすればよかったんだろ。俺は、本当にアイツのために戦いたかったのだろうか)
正義のため。
「ヒロさん、こういっちゃなんだけど⋯⋯本当に同じ人間なのか疑問に思うことがあるの。あの人は、正しい事を正しいようにやっちゃうんだ」
あやかは神里の英雄とは付き合いが浅い。それでも、只者ではない相手なのは身に染みていた。強く、ブレず、揺るぎない。英雄という主柱に雁字搦めに縛りつけられた異常性。勘の鋭いあやかだからこそ、感じることがあった。
「本物の英雄って、そういうことなのかもしれないぜ」
「あたしには、なれないよ」
どこか、遠い。果てしなく遠い理想。いっそ辿り着けないことに安心してしまうような。
「――――そして、理想との乖離に君たちは壊される」
影が、細長い影がゆらりと揺れていた。不敵に笑む橙の少女は見知った相手。
「一間、どこ行ってたんだ。一晩空けて心配したんだぞ」
気の抜けたことを言うあやか。異常をアクセサリーにしたような破滅願望。そうした少女の性根を見てきているからこそ。寧子が腕を伸ばした。長身を左右に揺らす少女の口が、三日月のように割れる。
「『本物』と『偽物』の違いを教えてあげよう。『本物』はね、どこまでも貫き通せるんだ。苦悩も挫折もある。けど、そんなもので止まりはしない」
橙色の矢印。
夥しい数のそれらが、心臓を、魂の蔵を指している。
「『本物』の輝きってのは、尽きず、果てず、神々しい。半端な憧れを持つ『偽物』どもはそいつに群がるんだ。どうしようもないよ。人の心を掴んで離さない。故に『本物』なんだから」
泡。デザイアの魔法が二人の足を止める。
「そして――――『本物』は『偽物』を取り壊す。
君たちが憧れに届くことなんて、決して、ない。あの輝きが僕を狂わせた。ああなりたいと思ってしまった。そんなこと、絶対に出来るはずないのにッ!!」
棍棒を地面に叩き付ける。アスファルトが粉々に砕け。土煙が視界を覆う。あやかはその中に橙の揺らぎを見た。
「君たちも、思い知る。あの英雄に壊される。デッドロックですら逃げ出した! 劇薬だ! お前らなんかに耐えられるわけがない!」
寧子を庇うように前に出て、打撃を蹴り上げた。重さが乗る前の棍棒が遠くに弾かれる。デザイアが大きく開けた口に、あやかは拳の照準を合わせた。
「押し潰される未来に、破滅す――――ッ!!?」
会話は諦めた。
魔法が放たれる前に、拳が大口を塞いだ。口の中で弾けた魔法が、デザイア自身を戒めた。口からドロドロの赤い液体を吐きながらうずくまる。その姿を、あやかは無感情に見下ろしていた。
―――― 君、面白いなー気に入っちゃったよ。
思い出す。
―――― 君はどんなマギアになりたい?
思い出す。
―――― トロイメライ、大好きだよ。一緒に破滅しよう。
思い出す。
特別な奴になればいい。その言葉が遠い過去のように感じる。色褪せたフィルムを眺めているようだった。どうしても、どうしようもなく、遠い。まるで自分の記憶ではないみたいに。
「デザイア、いいな」
「うん⋯⋯⋯⋯やって」
水滴が落ちる。その涙は一体誰のものだったか。全てを諦めたデザイアと、感情を噛み潰すトロイメライ。交わされた意志が暴力に転嫁する。
「――――待ってッ!!」
悲痛な声で止めたのはスパートだった。何がなんだか分からない彼女は、それでもやるべきことを実行していた。誰も望んでいないことが起ころうとしている。それは、止めなければいけない。
「ダメだ。デザイアはもうダメだ。今すぐ心臓を叩き潰すのが、唯一の救いなんだ」
「待ってよ。分からないって。そんなことしたくないのは、あやか自身が一番良く分かってるでしょ!」
「説明している時間がない。だから、離せ」
「じゃあ振り解いてでもやってみろよッ!!」
声に、あやかははっとした。デザイアへの介錯を止められて、全く抵抗しない自分がいる。真由美の時も、もしかしたらそうだったのかもしれない。誰かが、こうして隣に立っていてくれさえすれば、何かが違ったのかもしれない。
そんな自分を、呪詛に蝕まれたデザイアが見上げていた。
「ヒロイックなら躊躇わなかった」
運命への捨て台詞。
僅かに口角を上げ、引き攣ったような笑み。見たことのない表情だった。破滅。少女が願った答えが降臨する。
「友達⋯⋯だったんでしょ? 躊躇うことが悪かったなんて、あたしには思えない」
少女が変質する。情念の怪物。異形の檻。異界が二人のマギアを捕らえた。
「デザイアは――――ネガに堕ちた」
スパートは顔を曇らせる。言葉よりも分かりやすい現実が具現していた。
「これから、たくさん殺す。多くの人が犠牲になる。だから、俺たちの手で葬らないといけない」
「うん――――あたしたちは、マギアだ」
迷宮が屹立する。当て布だらけの粗雑な壁。二人の前に倒れる長身の少女は、物言わぬ死体だ。魂の抜けた人形だ。
呪詛を吐き出す魂は、この迷宮のどこかに。
マギア二人は手を合わせる。
「「フェアヴァイレドッホ」」
♪
童心の『グルメル・ゲルム』
このネガは「逸楽」の性質を持つ。
人をおちょくって無邪気に楽しむ破滅的快楽主義者。
どんな大惨事も愉快に受け入れられる器の大きさが自慢。
遊ぶだけ遊んだら勝手に破滅する。
その身の破滅を余すことなく楽しむ。それがネガの全て。
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