デザイア・レトリック

【デザイア、皮肉】



 人類の歴史には数多くの英雄の名前が記されている。昔、学校で習った。


「間に合って良かった――――ッ!」


 鮮烈な黄色の魂。鮮血に浸食されたその姿は、変わらずに輝き続ける。英雄というものは、皆ここまで輝かしく在るのだろうか。

 そして、隣に立つ苛烈な赤が油断なく周囲を警戒する。ネガの結界はまだ崩壊していない。潰れて役立たずの喉が、掠れて無意味な音を発する。


「もう⋯⋯もう、大丈夫よ――――ッ!」


 英雄は、にっこりと笑いかけてくる。崩れ落ちるネガの、最期の一撃。それはリボンで雁字搦めに拘束されて不発に終わる。赤い槍が異形の肉体を細切れにした。


(そんな顔で僕を見るな。向けられるような価値は、無い)


 崩れ落ちる結界の奥底。瀕死の肉体がこちらに腕を伸ばす。二人のマギアは気付いていないみたいだ。片腕と片足を亡くした女の断末魔が、シャボンに封じられる。

 英雄は嬉しそうに笑った。助けられる命を救えた。それが堪らなく喜ばしいのだろう。まるで自分こそが一番救われたような、そんな顔だ。


「僕は……マギア・デザイア」


 これが英雄と道化の出会い。


「僕に、生き方を教えて下さい……」


 抱き締められた熱は、今でも覚えている。英雄の最期はいつだってだ。昔、学校の先生が授業で言っていた。そして、英雄の向こうで赤いマギアが槍を構えている。警戒を続けている。

 心を通わせた、相棒同士であるらしい。優しくてしつこいほど世話焼きのヒロイックと、やんちゃで頑固ないじめっ子のデッドロック。そんな凸凹コンビにマギアとしての生き方・戦い方を教わった。

 そんな二人が、いつしか心底愛らしいと思えるようになった。


――――ヒロイック、大好きだよ

――――デッドロック、大嫌いだよ


 もう三人が揃うことはない。

 絶対に、ない。

 そう思っていたのに。







「これ、どういう状況?」


 引きずり込まれた路地裏。頭の横に手のひらを置かれて、枝垂しだれかかるように見つめてくる。俗に言う壁ドンというやつだ。


「トロイメライ、話がある」


 一間はそう言ってあやかの股の間に膝をねじ込んだ。思わず目を逸らすあやかの顔を一間が覗き込む。


「あ、あの⋯⋯えっと、うん⋯⋯⋯⋯ぃぃょ」

「デッドロックにつこう」


 一言に断じられて、あやかがとぼけた顔をした。


「え⋯⋯なんで?」

「デッドロックの強硬な姿勢を見ただろう? 間違いない。あいつにはヒロイックを打倒する策がある。戦力がある。じゃなきゃ、あいつがあんな無茶するものか」

「⋯⋯⋯⋯随分詳しいんだな、デッドロックのこと」


 一間が身を引いた。


「なに、その態度? 負ける側についてどうするのさ」

「負けない算段がある。俺はこのままスパートにつく」

「スパート? ヒロイックじゃなくて?」

「言い間違えた」


 あやかは真顔で言った。でも、それは本心からの言葉だった。マギア・スパート。あの正義を求める輝きは魂を惹きつける。


「算段ってなにさ」

「俺だ」

「は?」

「デッドロックは、ヒロイック以外の雑魚は脅威の勘定に入れていない」

「そりゃそうだ。お前だって事実めためたにやられて――――いや⋯⋯そうじゃないのか」


 あの狡猾なデザイアだからこそ、あやかの手に気付いた。あの場であやかは。必死に縋り付くフリをして、しかし実力を抑えていた。


「アレ相手によくやるよ⋯⋯」

「みんな戦える。戦力になる。卑屈にならないでよ、一間。手数が増えれば、それだけ届きやすくなる。お前の狡猾さがデッドロック――そしてへの対抗策になるはずだぜ」


 一間は曖昧な笑みを浮かべた。そして、何かを言おうとして口を閉じる。時間切れだ、と一言。



「あら――――悪巧みの時間はもうおしまい?」



 流石にあやかも顔を引きつらせた。路地裏の入口。当たり前の様にヒロイックが聞き耳を立てていた。全く気付かなかった。慌てるあやかと対照的に、慣れているらしい一間は澄ました顔だ。


「ちぇーお見通しか。期待の大型新人に免じて裏切らないでいてやるよーだ!」

「あんた、よくもいけしゃあしゃあと⋯⋯⋯⋯!」


 潔癖な寧子には一間の汚さは受け入れられないらしい。余裕の笑みで受け流している師匠の分もまとめて怒ってくれているようだった。今にも斬りかかりそうな弟子を、英雄が宥める。


「ネガは追えそう?」

「難しいよ。デッドロックがマークしているだろうし、距離もだいぶ離れてる」

「あら、じゃあ追えばまた会えるのかしら」

「僕は絶対についていかないからな!」


 デザイアの扱いが巧い。あやかは密かに頰を膨らませる。三人だけの世界が出来てしまっているようで、どうも収まりが悪い。


「ネガを見逃すのか?」


  ぶすっとした顔であやかが言う。ヒロイックは笑いを堪えながら返した。


「無理よ。追えないわ。

 一間ちゃんがこう言っているのは単なる見栄。後は自分に有利な展開に持っていくための狂言かしら。はたまた、貴女を気遣った無茶への牽制かもね」


 瞬時に口を噤んだあやか。顔面に熱を持つのが腹ただしい。むぅと唇を尖らせるあやかの頭を、優しい手が撫でた。意外に大きい。


「大丈夫。ちゃんと取り返すわ。デッドロックも⋯⋯私がどうにかする」


 その、コンマ数秒の沈黙。そんなものに、あやかは妙な優越感を抱いてしまった。形容し難い自己嫌悪。


「『MマーカーMメーカー』や『終演』を打倒できるなら、いいよ⋯⋯」


 不貞腐れるように吐き捨てるあやかに、ヒロイックが小さな笑みを零した。見透かされたような仕草に、あやかはますます頰を膨らませる。


「なんとかするわ」


 その一言に込められた確かな自信。それがさらにあやかの頰を膨らませた。

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