ヒロイック・ハウス
【ヒロイック、居城】
「で、でけえ⋯⋯」
見上げて、あやかが絶句する。新興都市として発展を続ける神里市には、不自然に高いビルが疎らに伸びていた。その内の一つ、見上げるタワーマンションの一室がヒロイックの住処らしい。
「すごいよね⋯⋯ヒロさんの家」
「お金持ちかよ。豪邸かよ」
言って、あやかはしまったと口を塞ぐ。隣の一間の表情を盗み見る。
「前の家は、他所のマギアに爆撃されたからね⋯⋯⋯⋯そりゃセキュリティにも気を使うよ」
「「え」」
しみじみと呟く一間に、若手二人が固まった。微妙に体験談っぽく聞こえるのが心臓に悪い。デザイアが過剰に他所のマギアを警戒する理由が垣間見える。
「あ、待って! インターホンあたしが押すよ」
とたとた駆けていく寧子。一間は気にせずに先に進んだ。寧子がオートロックの部屋番を押す前に、ロックが解除される。
「これ、玄関前はカメラで見えるんだっけ?」
「見えても勝手に解除は出来ないよ⋯⋯」
あっけらかんと惚ける一間と、呆れる寧子。あやかは未知の高層ビルに胸を高鳴らせていた。彼女のような人間は、高いところが好きなのだ。
「ほら行くよ、駄犬ちゃん。僕たちは犬となって英雄様に尻尾を振りにいくんだ。ご機嫌取りのお時間だ」
遠い目で、一間が言う。引き気味の寧子と並んで、あやかはエレベーターに乗る。
♪
「いらっしゃい。待っていたわ!」
まるで、気品をドレスのように着飾っているかのようだった。物静かであり、底知れない。一方で、人懐っこい笑みが心を緩ませる。ふわふわした金髪を、右のサイドテールとして流しているのが愛くるしい。
英雄としても、一人の女性としても、完璧さが滲み出ている。あやかは確信した。彼女こそが、英雄ヒロイックだ。
「さあ。あんまりお構い出来ないけど、くつろいでいってね」
ゆるりと回って、明るい色合いのフレアスカートが揺れる。あまりの艶かしさに、あやかは唾を飲み込む。姉とは違った意味での、大人の女性。
(うわぁ⋯⋯幾つなんだろ)
そんな失礼な言葉を思い浮かべると。
「思っているほど上じゃないよ」
一間が耳打ちした。
三人が、招待に応じて上がる。律儀に靴の向きを正す二人に、あやかは倣った。寧子はともかく、一間は意外である。
「私、一人暮らしだから親とか気にしないでね」
間取りは2LDK。一人で住むには豪奢が過ぎる。感嘆の声をあげようとしたあやかだが、奥に見えた仏壇に引っ込まされる。事情を察する。
案内されたのは広いリビングだった。中央に鎮座する六角形のテーブル。一辺ごとに椅子が置かれているのが、どこか象徴的な意味を匂わせていた。中央で揺れている上皿天秤がとにかく謎だ。
「さあさ、座って座って」
気品ある微笑みが、少々鼻につく。音もなく引かれる椅子に腰を下ろす三人。ヒロイックは優雅な所作で紅茶の茶葉を並べる。
「アッサムは苦手?」
「あ、いえ………紅茶とかよく分からないっス」
「そう。デザイアは好きよね?」
「ミルク濃いめでねー。それと、もう名前バレてるから気遣い不要だよ」
ミルクティー。
あやかは、真正面の寧子から、隣の一間に視線を移した。そして、一間の正面にはヒロイック。二人は既知の間柄のようだが、やはり一間の表情が硬い。あやかも、ヒロイックを見て妙なざわめきを感じた。
(神里の英雄――――なんか、苦手な感じだ………)
なんとなく、そう思う。どこが、とは言えないけれど。波長が合わない。今までの人生で初めて出会うタイプだった。
「トロイメライ。この英雄様は喰えないお方だからね。警戒を怠らないように」
一間がヒロイックを見た。
「ひどいわぁ、一間ちゃん。傷ついちゃう」
警告を促されて、あやかはさらに表情を硬くした。なにかのサインなのは理解したが、意図がさっぱり読めない。
「ふふ。そう身構えないで。何か困りごとがあるんでしょう?」
「ああ。神里に、『終演』が来ます。俺はソイツを打倒したい。高梁を守りたいんだ」
英雄の目が細められる。
「……伊達や酔狂で言っているわけじゃないのよね? その情報は、どこから得たの?」
当然、その根拠は尋ねられる。狂言回しが通じる相手ではない。あやかは正直に話した。
「俺の魔法の性質は『反復』だ。何度も繰り返して、何度も失敗して………それでも『終演』を越えられない。だから、力を貸してほしい」
あやかは頭を下げた。八方塞がりなのは事実だ。今まで協力が取り付けられなかったヒロイックがいれば、もしかしたら事態を打開出来るかもしれない。
英雄ヒロイックは、強い。
マギアの力とか、そんな次元の話ではない。あやかの目が、耳が、感覚が、揃って告げていた。魔法抜きの
「それは……」
「信じられないか?」
「いいえ、ごめんなさい。ちょっと驚いただけよ」
「え、信じてくれるの……!?」
なに驚いているのよ、とヒロイックがくすくす笑う。
「魔法は、自然の摂理を超えた現象。有り得ないなんて、在り得ない。まぁ……疑うとしたら、貴女が私を陥れようとしていることくらいね」
「………信頼は、これから勝ち取るよ」
「物分かりが良くて結構。これも繰り返しの賜物かしら」
見透かしたような言葉。隣の一間がくつくつ笑っている。その目も。正面の寧子は優しい笑みを浮かべている。
「師匠のお人好しも相変わらずですね」
「だって――――そんな顔されたら、無下には出来ないわ」
「え? それってどういう?」
「さ、使って」
ヒロイックが、身を乗り出してハンカチを渡した。そして、あやかは初めて自分が涙を流しているのに気付く。まさか受け入れられるとは思わなかったのだ。色々な感情が、心臓でごちゃ混ぜになっている。
「大丈夫よ。一緒に頑張りましょう。神里も、ここ最近はネガが異常に増えて困っていたの。戦力が多いに越したことはないわ」
「ありがとう……ございます」
会話の切れ目を狙って、一間が声を上げた。
「ヴィレの取り分は、僕と師匠の交渉で構わないね?」
「いいわ。私は少し余裕があるから、そちらに多く回すようにする」
「さっすが英雄様! 随分と余裕でいらっしゃる!」
一間の嫌味にも、ヒロイックはにこにこ顔を崩さなかった。隣の寧子はむっとするが、ヒロイックはむしろ嬉しそうだ。
「貴女の元気な煽りを聞くのも久しぶりね」
「やめてよやりにくぃ………………」
本気で弱っている一間という珍しいものを見て、あやかも気持ちが落ち着いた。口に含むミルクティーが頭を冴えさせる。
「ネガが異常に多いって、『終演』の影響………?」
そういえば、前回も突出して強いネガと相対したりもした。あの戦いで、神里は魔窟という印象が強まっている。
「今の話を聞いた後だと、それもあり得るかもしれないわね。けど、私たちは別の可能性を追っているの」
「増えたネガに、謎のマーキングが仕込まれてるんだ!」
ここぞとばかりに寧子が声を上げた。マーキング。あやかの記憶に、引っかかる。
「それ、矢印の――――「知っているの? いえ、見たのって聞くべきかしら?」
『終演』以上に、ヒロイックが食いついた。
「ああ…………見たっていうか、俺もよくは分からないんだけど」
「そう。アレが、ネガの動きを活性化させている。呪詛でも集めているのかしら?」
人の呪い。
あやかは、マギアとネガの関係を口に出すのをやめた。ヒロイックはともかく、寧子や一間の前ではマズい。あやかが続きを発言しないのを見て取ると、ヒロイックは再び口を開いた。
「『
ところで、とヒロイックは一間を見た。
「一間ちゃんは、どうして私のところに来たのかしら?」
「…………デッドロックだよ。奴が神里に潜伏しているらしい」
一間が気まずそうに言った。あんまり言いたくなさそうなので、あやかもそこには触れていなかったのだが。
「本当に?」
「……………………」
一間はあやかを指差した。ヒロイックはそれだけで納得する。
「ふぅん。ブラフじゃない?」
「……デッドロックが本当に神里にいるかどうかは、俺にも分かりません」
「はぁああ!!!!??」
ヒロイックが一睨みで一間を黙らせる。
「けど、アイツは何か目的があって神里に来ていた。だから、きっと今回だって……それに、神里に協力者がいるらしくて」
「協力者――――」
ヒロイックが、神妙に呟く。空になったカップの縁を指でなぞりながら。
「腹を割って情報交換したのは正解かもね。『M・M』の正体…………目下、そのマギアが最有力候補よ」
「えッ! あんたの目を掻い潜って神里で暗躍できる奴がいるの!?」
「そうよ。私も把握しきれていない、謎のマギア。その正体を、まずは探りたい」
『終演』以外にも、敵がいる。その事実はあやかを震撼させた。あやかだけではない。一間もいよいよただ事ではない雰囲気であり、寧子も難しい顔をしている。『終演』と『M・M』、それらに対抗するためには。
だから、とヒロイックは告げる。
「私たち神里と、貴女たち高梁のマギアでパーティを組みましょう。マギア・カルテットってところかしら?」
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