メルヒェン・ナイトメア・マーカー

【メルヒェン、悪夢の跡】



 クレヨンで塗り潰したような、稚拙な星空。魂の抜けた少女の肉体。そんな成れ果てを見下ろす、童話の女王。


「真由美――――⋯⋯」


 記憶の中の少女。愛らしく、ひたむきで、でも不器用で攻撃的な少女。あやかの中の真由美は、すぐに壊れてしまいそうな、儚い水色の硝子ガラスだった。砕けてしまう危うさ。放って置けないお姫様。

 だから、と信じていた。

 記憶の中の少女。十二月三十一日あやかの大道寺真由美。それは、勇者あやかに守られるお姫様。ただ、それだけ。そんな少女が、背中の後ろでどんな顔をしていたのか。あやかは思い出せない。


(いいや――――――――違う)


 最初から、見ていなかった。都合の良いお姫様の仮面しか映っていなかった。今なら、よく分かる。


「真由美、お前なんだな」


 水色のマネキンのようなネガ。童話の女王は、まさに宿敵だった。


「お前は、このまま多くの人を傷付ける。殺して、喰っちまう。だから、俺はお前を退治する」


 取ってつけたような言葉を、まるで言い訳のように並べる。感情を削ぎ落とし、表情を削ぎ落とし、ただただマギアの使命だけを残す。そうでなければ、心がどうかしてしまいそうだった。

 ネガの結界では、魂が、感情の彩が、際立つ。

 心が乱れ、奥底の欲望が息吹を発する。

 あやかは拳を握り締めた。もう、何もかもが分からない。そこまで、憎いのか。ここまでするほど、憎いのか。何故だ、どうしてだ。頭に浮かぶぐるぐるを掻き消す。あやかは拳を握り締めた。


「⋯⋯うようよと、湧いてきやがったな」


 逡巡の時間だけ、窮地が迫る。女王を守る騎士が次々と。。守りたかった少女は、今は、退治する側にいるのだ。


「リロード!」


 大量の使い魔での物量戦。あやかが天敵とも呼べる相手。相性が悪いとか、そんなレベルではなかった。アレは徹頭徹尾、あやかを殺すための姿なのだ。


「どうして…………」


 疑問は尽きない。抗議も届かない。重く、鈍っていく拳を引きずりながら、それでも進まなければならない。


――――アンタには一生分からないわ


 重い言葉が、突きつけられたような気がした。想いがのしかかってくる。あやかは叫んだ。腹の奥底から、心の奥深くから。心臓が震えた。


「……ぁ、ぐ……っ」


 ネガの、真由美の拳が。あやかの頬を殴り抜いた。血を吐きながらあやかが吹っ飛ばされる。ネガにどのくらいの自我が残っているのかは分からない。だが。恨み、怨嗟、怒り。巨大な呪咀の声は、確かにあやかまで届いていた。


「戦わなきゃ」


 声に出して、己を鼓舞する。拳を強く握り、使い魔を蹴散らす。戦わなければ。それがマギアの使命。そして、戦わなければ生き残れない。


「戦わなきゃ……ッ!」


 水色のマネキンは応じなかった。大量の使い魔の群れに身を隠す。ロードの魔法を使う暇すら与えられない。果ての見えない波状攻撃だった。


「……逃げんな」


 果たして、それはどちらに向けた言葉か。


「戦えよぉ!!」


 血反吐を吐き、それでも進む。拒まれて拒絶されて。しかし、ネガはあやかと距離を取る。明確に示された心の距離。


「――――ッッ!!!!」


 声にならない絶叫が。それでも届かない。距離は縮まらない。牙の生えた本があやかを引きずり込み、無数の紙騎士が立ちはだかる。


(終わる、のか……?)


 避けられない破滅が迫る。だが、あやかはやり直せる。何度でも繰り返しやり直せる。今回は失敗した。それでも次は。それもダメならまた次が。

 そんな、所詮慰めのような言葉が、果たしてどれだけの意味を持つのか


「――――ぃや、だ⋯⋯」


 欲望が、噴出する。


「嫌だ! ここで、今回で! ケリをつけるんだ!

 もう――――繰り返したくないッ!!」


 こんな。

 こんな。

 こんなこんなこんなこんな。

 こんな――――――想いは、もう、たくさんだ。


「リロードッ!!」


 魂が轟いた。あやかの拳が使い魔を蹴散らす。逃がさない。未来を逃がさない。もう、過去には引き摺り込まれたくない。


「インパクト――――キャノン!!」


 蹴散らせ。進め。ネガを殺せ。化け物を痛ぶれ。そうでなければ、前には進めない。想いを抱えて、前へ。それが、英雄ヒーローへの道なのだから。


「リロードロード!!」


 捉えた。


「リロード! インパクトキャノン!!」


 魔法は、力だ。想いを具現化した暴力で、あやかは宿敵を打ち抜いた。崩れるマネキンの身体。振り下ろされる拳を、あやかは迎え撃つ。


「リロード! リロード! リロード!」


 一発では及ばなくても、あやかには魔法の力がある。何度も、何度も、何度でも。トロイメライの拳が、ネガを打ち砕いた。


「あああああぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁあああああああ――――ッッ!!!!」


 想いが、氾濫する。ネガが崩れ落ち、使い魔どもが塵と散っていく。真由美の呪詛が、想いが、あやかの暴力に散っていく。

 崩壊を始める結界で、あやかは少女の遺体を見つけた。魂が抜けた、ただの肉塊。放って置けば、このまま結界とともに崩れ落ちていく運命。

 あやかは、愛しい少女に手を伸ばす。


「もう――――お前が分からない」


 伸ばした手が、宙を切った。動かないはずの小さな手が、あやかを拒絶した。ただの幻想だ。動くはずがない。仮に動いたとしても、あやかは無理矢理にでも掴むことが出来たはずだ。

 けれど、あやかはそうしなかった。

 魂を亡くした少女に、まるで価値でもないかのように。

 偽りの星空が崩壊する。大道寺真由美の死体は、結界とともに虚空に消える。あやかは、黙ってその光景を見下ろしていた。やがて、精彩に富んだ星空があやかを包む。


(死体なんて持ち帰っても、どうしようもない⋯⋯⋯⋯)


 あやかは、しばらく満天の星を見上げていた。

 景色の既視感を、ぐっと噛み締める。







 翌朝。


「⋯⋯これで、満足かい?」

「ああ、助かった」


 ネガの結界が崩壊する。奇怪植物群のネガを殲滅したマギア二人が、神里と高梁を隔てる境大橋の前で立つ。


「あのネガは、放っておいたら凄まじい脅威になる。成長前に倒せて良かったよ」

「なーんでわかるのさ?」


 興味なさそうにデザイアが言った。あやかは小さく笑って誤魔化す。答えて、信じるはずがない。それにデザイアであれば、勝手に都合の良い答えを見繕ってくれるはずだ。そう考えると、あやかは少し可笑しかった。

 園芸のネガが落としたヴィレを一間に投げ渡す。


「ま、いいさ。神里にはもう行っていいんだね?」


 ご満悦で一間は言った。


「いいよ――――もう、思い残すことはない」


 あやかは、快晴の空を見上げる。太陽が、憎らしいほどに燦々と輝いていた。


「ふぅん、なんかあった?」

「なんでもねえよ」


 その言葉のニュアンスで、一間は愉快そうにわらった。

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