メルヒェン・ナイトメア

【メルヒェン、悪夢】



 人が、人に向ける悪意。

 あやかは、めっふぃとの会話を思い出した。ネガの正体。それは、具現化した呪詛の魔法。悪意。害意。そんな漠然とした概念。


「真由美、聞いてたの?」

「挙動がおかしいから、つけていたの」


 ストーキングされるのは喜ばしい限りだが、猜疑心しかないのは頂けない。


「デザイアのこと、知っていたの?」

「ああ」


 そして、隠さず一言。


「真由美は、デッドロックと接触したのか?」

「⋯⋯⋯⋯なんのこと?」


 予想外の返事に、あやかは顔をしかめた。まだ、デッドロックはメルヒェンにコンタクトを取っていないらしい。どのタイミングで接触したのか、分かりにくい。


「話をはぐらかさないで。神里に『終演』が来るって、どこで知ったの?」

「お前こそどうして知ってるんだよ」


 真由美が罰の悪そうな顔で目を逸らした。あれは、素でやってしまった表情だ。時々ドジるお嬢様が見せるレアな表情。あやかは知っている。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯どうでもいいでしょ」

(やっぱり、真由美もなにか知ってるんだ⋯⋯)


 過去のループの経験があるからと言って、それは圧倒的なアドバンテージには至らない。だが、運命の終極点が神里であることは確かなようだ。でなければ、真由美はこんな強硬策には出ないだろう。


「⋯⋯いいよ、話す。だから、それ、仕舞ってよ」


 抜身の刀身。真由美の背後から、水色の刀が顔を覗かせた。隠していたつもりのようだが、あっさり見抜かれた。真由美が舌打ちし、凶器を前に回す。仕舞う気はないらしい。


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 睨み合うこと、たっぷり一分間。折れるのは、あやかの方だ。


「俺の魔法。その性質は『反復』だ」


 一息置いて。


「そして――――俺はこの数週間を何度も繰り返している。だから、知っている。隠されたことも、これから起こることも」


 真由美の反応は鈍かった。その表情、纏う雰囲気を見れば、あんまり良い感情を持たれていないのは分かる。訝しげに目を細める少女は、構える日本刀と相まって剣吞だ。


「⋯⋯⋯⋯誤魔化すつもり?」

「事実だ。なんなら、全部話すぞ」


 真由美が手で制する。取り合う気もないらしい。どうして、彼女は頑なにあやかのことを信じないのか。歯噛みする。己の信用のなさが、歯痒い。


「真由美、聞いてくれ」

「妄言に脳を侵されろって? のを黙って受け入れるとでも?」

「⋯⋯だから、なんでそうなる」


 マギアになってから、どういうわけか強情が過ぎる。は、そうではなかった。ツレないところは多々あっても、ここまでではなかった。


「さあね。自分の心臓にでも聞いてみたら?」


 煽り文句を口に、真由美が道を空ける。尋問は諦めたようだ。無言で、お先にどうぞ、とばかりに手を差し出している。


(なにも、そこまでしなくても⋯⋯)


 不信感を煽るような行動を取ってしまったことは認めるが、それだけで、果たしてここまでされるものなのだろうか。変に逆らっても状況が悪化するだけだと思い、あやかは帰路を進む。

 だが、どうだろうか。

 もし、悪化して、悪化して、ドン底の奥底まで、既に至っているとしたら。

 角を曲がった先、あやかは異様な殺気を感じた。まるで、ネガの気配のようだった。最初の、契約したばかりのあやかだったら、きっと反応出来なかった。だが、今のあやかには、潜り抜けた修羅場の経験が根付いている。



「――――――シッ!!!!」



 後ろ回し蹴り。

 砕けた刀身と、驚いた真由美の表情。それらが奇妙に記憶に焼き付いた。失敗したのが何よりの計算外。それは、加減抜きであやかを屠ろうとした、その事実の裏付け。


「どういう、つもりだ⋯⋯⋯⋯?」

「なん、で⋯⋯? 変身もせずに、私の一撃を防ぐなんて⋯⋯」

「どういう、つもりなんだよ⋯⋯!」


 メルヒェンの手に生まれる、新たな日本刀。それが振るわれる前に、あやかが真由美を投げ飛ばす。


「なあ、なんでだよ⋯⋯真由美。マギアになったからって、何がそんなに変わる? 何がお前をそうさせるんだ? そんなに「黙りなさいッ!!」


 今までに、この少女から、こんな声を聞いたことはなかった。

 嫌悪。

 怒り。

 憎悪。

 そして、呪詛。

 あらゆる負の感情がごちゃ混ぜになって、どうしようもなくなった糺弾の声。そんな声を浴びせられるのは初めてだった。それも、心を寄せる相手から。


「ここでアンタを潰せば、全てに片がつく」


 いったん距離を空けられる。あやかは追わなかった。正中に刀を構えた真由美を見て、どこか諦めたような表情で腰を落とす。


(デッドロックは強かった。そして、俺は弱かった。だから救えなかったんだ)


 構えるのは、拳。

 あやかの武器はそれしかない。


(強くなろう。何もかもを掴み取れる、そんな強さを。真由美――お前の闇は、俺が晴らす。だから、まずは洗いざらい吐かせてやるぞ)


 力強く、揺るがない。それが、あやかが夢見たヒーローの姿。


「フェアヴァイレドッホ――――トロイメライ」







 性質たちの悪い悪夢だった。

 理想は、果てしない。妥協出来ないからこそ目指す価値があって、だからこそ届かない。それは、尽きない欲望のようだった。


(届かない背中を追った。いつか並び立つことを夢見た)


 夢。将来の夢であり、寝ているときに見る夢でもある。要するに、現実でも真実でもないものだ。儚く届かない、ただの偽りだ。


(『偽物』。そんな中途半端を許さない、圧倒的な『本物』)


 それを掴むために、少女は戦うことを選んだ。夢のように漂い、真実を渇望する。そんな、とびっきりの欲望。熱にうなされるように、少女は力を示す。


(魔法の力。なんだって出来る、魔法の力。私は、そんな魔法の力を手に入れた)


 ままならない。そんな世界に叛逆するための力を示す。

 弱い自分に、勇気の一歩を。







 満天の星の下、少女と少女は争い続ける。


「リロード!」


 弾かれる刀身。徒手空拳で応戦するあやかは、リーチが圧倒的に不利である。それでも、デッドロックの槍捌きに比べればなんてことはない。


(動きは素人。マギアになって身体能力が増大したからといって、魔法以外の技術が伸びるわけじゃあない!)


 積み重ねてきたもの。それは喧嘩慣れしているあやかの方が圧倒的に大きい。空中から掃射される刀を、バックステップで回避する。心臓を狙った突き。刀身の横を裏拳でへし折る。


「ちょこまかと⋯⋯⋯⋯!」

(踏み込めない⋯⋯⋯⋯!)


 差を埋めるとしたら、やはり超常の力。即ち魔法だ。

 底無しに生成され続ける日本刀。手数が追いつかない。致命傷を辛うじて回避し続けるあやか。だが、表情には出さない。

 弾く。

 捌く。

 へし折る。

 そうして、真由美の攻撃を焦らしていく。手を出させ、凶刃を振るわせ、攻撃を誘う。追い詰められていることは悟らせない。


「ぐ⋯⋯⋯⋯ッ!」

(大振り!)


 攻撃が防がれ続ける真由美が、大きく踏み込む。あやかはそれに合わせた。横薙ぎを、身を低くして抜け、大地を叩いて足を跳ね上げる。


「な、んで⋯⋯!?」


 柄を握る両手。その手首を強烈に揺らした。握れない。握れなければ、刀を振れない。懐に潜ったあやかが、掌底を向ける。

 だが。


「うおッ!?」


 下から伸びる水色の槍を、あやかがすっ転ぶように回避する。真由美のバックステップ。目で追う隙もなく、縦横無尽の槍撃を全身で対処する。距離を取る真由美。


「リロード」


 だが、あやかは退かなかった。


「ロード!」


 弾けるように、あやかの身体が射出される。二、三本刺さっている槍は気にしない。痛覚が、加速に置いていかれた。


「リペア!」


 肉体の修復。逃げようとする真由美に追いつく。そして、その手を掴む。


「――――それが、アンタの魔法⋯⋯」

「捕まえた。これで俺の話を聞いてくれるな?」


 信じられない。真由美の表情がそう語っていた。彼女の中では、あやかは契約数日のペーペーであるはずだ。この実力差には、思いも及ばない。


「なんで、こんな、力を――――――」


 掴んだ腕が、禍々しく冷える。異様な冷気だった。魔法の予兆を感じて、あやかが大きく飛び退く。両腕を大きく広げた真由美が、天を仰ぐ。

 満天の星が、稚拙に塗り替えられていく。


「真由美⋯⋯⋯⋯!」


 名前を呼ぶばかりで、あやかは動くことが出来なかった。クレヨンで塗り潰されたような、そんな稚拙な星空。忘れようにも忘れられない、そんな地獄の景色。

 崩れる幻想。悲劇のお姫様を守るように、紙のようにぺらぺらな騎士たちが取り囲んだ。少女の歪な幻想。身勝手で、独り善がりの孤独な世界。童話の女王が産声を上げる。


「真由美⋯⋯やっぱり、お前なんだな⋯⋯⋯⋯」


 予感が、確信に変わる。

 宿命の相手を、あやかは見上げた。水色のマネキンのような、そんな怪物を。


「お前は⋯⋯そんなに、俺が⋯⋯⋯⋯⋯⋯憎いのか」


 向けられる感情。

 呪詛の矢尻が、あやかの心臓を射抜く。呪詛幻想、咲き乱れる。



「フェアヴァイレドッホ――――夢心地メルヒェン

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