トロイメライ・アンダーブルー

【トロイメライ、感傷】



 目が覚めた。いつものベッドの上だ。

 あやかは最期の光景を思い出す。灼熱の地獄。儚い幻想。届かない想い。びっしりと汗が浮いた両手で、顔を覆った。心臓が今さらのように鼓動を打つ。脈が速い。全身に血が巡り始めるのを自覚した。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 一点を境に、ふっと身体が冷たくなるのを感じた。ベッドから飛び降り、日課である朝のランニングに出かける。こんな状態でも、身体は習慣を覚えているようだ。

 姉は、まだ起きていない。


(俺は、『終演』を倒すために何をすればいい)


 悔恨。


(デッドロックのために、何をしてやれたんだ⋯⋯?)


 強烈な印象に、胸が締めつけられる。あの鮮烈な赤が気になって仕方がない。世界のためと彼女のため、それらが等価であると錯覚してしまうほどに。

 だからこそ、見向きもされなかったことが、辛い。隣に並び立てないことの苦悩を知った。


「今度こそ、絶対に⋯⋯⋯⋯ッ!」


 口に出す決意。

 止まった場所に道は無い。進むしかない現実を、あやかは噛み締めていた。







「おはよう」

「⋯⋯おはよう」

「⋯⋯なに?」


 朝の、登校の時間。

 玄関の前で待っていた真由美と、微妙に気まずい空気になってしまった。あやかが一方的に変わってしまっただけなので、真由美としてはただただハテナが浮かんでいるだけだろう。


「⋯⋯これ、浮気になっちゃうのかな」

「え?」

「なんでもない」


 二人は並んで歩き出す。


「そういえば、さ。真由美はどうしてマギアになったの?」

「アンタには教えない」


 即答だった。駆け引きとか抜きに哀しくなって、あやかは口を窄めた。


「⋯⋯俺は、ヒーローになりたかった。誰だって問答無用に救って魅せる、そんな生き方に憧れたんだ」

「⋯⋯どうして?」

「え?」


 予想外の言葉に、あやかは呆けた声を出す。


「そんなもの、なんの得にもならないじゃない」

「得とか損とかじゃなくてだな⋯⋯」


 言いたい言葉が見つからない。中途半端に溶けていく反論は、真由美に届かなかった。無言で歩く二人。


「ヒーローってさ」


 しばらくして、真由美が口を開いた。


「自己犠牲に全部を投げ捨てたいってこと? それとも、都合の良い存在として?」


 あんまりな言葉。だが、その直球の言葉を否定することは出来ない。今のあやかには。

 真由美は、ピッと人差し指をあやかに向けた。見上げる視線に、揺れる瞳に、果たしてどんな感情が込められていたのか。


「同じようで、全然ちがうことよ。アンタは――どうなりたいの?」


 魔法の力。この手には、強大な力がある。

 マギアはどんな奴にもなれる。けれど、どんな奴にかはならないといけない。あやかはその言葉を思い出す。遠い昔の、そんな記憶。


(ヒーローになりたい――)


 その言葉、その願いは。あやかの魂はどんなものを思い浮かべたのだろうか。自分で分からなくなってしまう。


(デッドロック⋯⋯俺はアイツに生きて欲しかった。強く導いて欲しかった。胸を張って隣に立てるようになりたかった。でも、それはただの我儘だ。救ってやるなんて、きっと欠片も思わなかった)


 救いたいのか。求められたいのか。

 その差は、絶対的だ。


「肝に命じておく――――自分の答えは、しっかり出すよ」


 真由美は、ぷいと顔を逸らす。あやかは高梁の景色を見回した。


「でも、この世界を守りたいって気持ちは⋯⋯確かに『本物』だ」

「⋯⋯さてね。本当は全部が『偽物』なのかもよ?」

「意地悪はやめてくれよ」


 あやかが小さく笑った。

 神里と高梁を隔てる大橋。小さな公園。閑静な住宅街。遠くに見える畑の群れ。見慣れた景色が、あやかの感性を刺激する。懐かしさと、愛しさ。この景色が破壊されないために、あやかは拳を握りたい。


「なんか、変わったわね」

「そうか?」


 そうでないはずはない。変わらないはずがない。それほどの経験を積んできた。けれど、説明が難しくて、あやかは惚けたように笑うだけだった。


「じゃあさ、真由美はどうなりたいの?」


 そして、仕返しのように聞き返す。


「どんなマギアになりたい?」

「私は」


 開いた口が、半端な形で歪んだ。答えは来ない。それは分かり切っていたことだ。だが、あやかは耳を傾き続ける。



「私は――――助けたいし、振り向いて欲しい」


 その、小さな言葉。そこに、際限のない、深い想いが刻まれていた。


「私は、私の世界を守りたいの」



 信念。

 水色の魂が煌めいた。

 心臓がざわめく。得体の知れないナニカに当てられて、あやかは口を強く結んだ。心臓が飛び出しそうだった。脈が速い。血が沸騰しそうなほど、熱い。顔が真っ赤に茹で上がっていることまで気が回らなかった。


「⋯⋯真由美には、真由美の戦いがあるんだね」

「誰にだって、きっとそうよ」


 いつもの通学路の果て。並んで歩く二人の少女は、目的地に到着した。

 そこには、彼女たちが通う中学校が――――無かった。

 何も無い敷地がぽっかりと広がっている。二人は数秒立ち止まると、自然な口ぶりで話し始める。


「じゃ、私は用事があるから」

「りょ、またね」


 あやかは、何物でもない門を潜った。その先は、何も無いただの空き地だ。あやかは迷いなくに座る。

 そこには、椅子があった。

 最初からあったのか、後から現れたのか。そんなことに意味は無かった。ただ、そこには椅子があった。あやかはその椅子が自分の席であるように腰掛ける。


「じゃあ、始めるか」


 目線を上げる。その先には、もう一つの椅子。そこに座っている相手は居なかった。立っていたのだ。口をバッテンに塞がれ、両耳をぴょこぴょこ揺らしている、二足歩行のウサギ。

 めっふぃは座れないらしい。

 あやかはどうでもいい知識を身につけた。

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