トロイメライ・デッドロック

【トロイメライ、袋小路】



 満天の星。光がスポットライトのように悲劇を照らす。観客は、たった一人と一匹。舞台裏の登場人物が、陽炎の結界を廃ビルの上から見下ろしている。


『さて、この状況にどうやって責任を負うつもりだい?』

「デッドロックがネガに堕落したこと、について?」

『違うよ。このままトロイメライがやられたらどうするつもりなのかって聞いているんだ』


 長い黒髪が夜風にそよぐ。黒の少女はギョロリと双眸を向けた。


「あのままネガと化したスパートを放置していたら、二人とも間違いなく死んでいたわ」

『トロイメライ、彼女だけは『終演』を打倒するにあたって不可欠だ。君は分かっているはずだろう?』

「そうね――――ま、そんなところかしら」


 口を封じられたウサギの抗議もどこ吹く風。少女はその場から動かない。


「どちらにせよ、ここを乗り切れないようじゃ先はないわ。見守らさせてもらう」

『ジョーカー、君は本当に自分の役目を理解しているのかい?』


 少女、マギア・ジョーカーは面倒臭そうに手を払った。

 結界の中。灼熱の死闘をじっと見つめる。






幽鬼の『フェードアウト・フーチャー』


このネガは「憤怒」の性質を持つ。

嘘と本当が混じり合って揺らぐ陽炎。

形を持たずにただただ怒りの呪詛を振り撒き続ける。

世界丸ごと覆い尽くす怒りを果たせば、このネガは消滅するだろう。

どっちつかずに移ろい焼き尽くす。それがこのネガの全て。






 暑い。熱い。

 轟々と燃え盛る結界内であやかが無事なのは、マギアとしての超人的な身体能力によるものに過ぎない。こんな結界に引きずり込まれた人がいれば、即座にその身は焼かれて尽きるだろう。

 恐らく、魂を捕食する猶予もない。だが、このネガはそんなことを然程も気にしないのだろう。ただただ焼き尽くすだけ。焼き尽くして、燃え尽きるだけ。


「デッドロック、なのか⋯⋯⋯⋯?」


 縋るようなあやかの声。募らせる後悔が足を重たくする。他に、道は無かったのだろうか。こんな結末なんかじゃない。もっとうまくやれる方法が、あったのではないか。

 灼熱の業火が、少女をかたどった。

 人型の炎は、あやかがよく知る少女のように見えた。


「デッドロック⋯⋯ッ!」


 応える声は、ない。脱け殻と化した彼女の身体は、ついに業火に飲まれて蒸発した。目の前には陽炎のように揺らぐネガ。摂氏三千度に至る怪物が腕を伸ばす。


「バカやろう……なんでだよ」


 呪いに飲まれたマギアの末路。デッドロックが辿ったどん底の運命。後戻りは出来ない。不可逆の現象。あやかは、未だに現実を認識出来ない。


「どうすればよかった。何が出来るんだ」


 自問自答しても答えは出ない。灼熱の腕を跳んで回避する。徒手空拳で追うネガを掻い潜り、そのボディに一撃を見舞った。凄まじい熱量が拳を襲う。それでも、あやかの固有魔法フェルラーゲンは前に進むことしか出来ない。繰り返すことしか出来ない。


「――――リロードッ!!」


 拳を振り抜く。陽炎を散らす。業火を砕く。握った拳が、何より堅く、それ以上に熱く。身体は動いた。まだ戦える。揺らぐように身体を整えるネガ。灼熱の大槍を構え、あやかに向ける。


「本当に……デッドロックなんだな」


 槍捌きを身に受けながら、あやかは実感する。がむしゃらに拳を振るい、心を奮い立たせ。目の前の現実をただただ打ち抜く。炎は揺らぐ。地獄のインファイトがあやかの精神をも削っていった。


――――マギアが、ネガを生んだ⋯⋯


 今まで倒してきた、殺してきたネガは。その正体は、一体誰の呪いだったのだろうか。かつて何度も死闘を繰り広げた、あの絵本の女王だって。どこかの少女の想いの果てなのかもしれない。

 あやかはめっふぃを呼べない。真実を知るのが果てしなく恐ろしかった。


(ああ、そうか……)


 人の呪いが行き着く先。願いで始まり、呪いで終わる魂。そんな悲劇が、果たしてネガの数だけ起きてきたのだろうか。少なくても、袋小路デッドロックという呪いの形は、今、こうして、目の前に、顕現している。


「だったら――――とことん付き合ってやるよ」


 それが、あやかの答えだった。至らぬ正義に焦がれ、ままならない世界を恨み、怒りに壊れた少女に対する、一つの答え。独りぼっちにはしない。戦って、戦って、戦い抜く。絶望に顔を曇らせながら、あやかは自らの身体に鞭を打つ。

 どれほどの拳が振り抜かれたか。

 どれほどの刺突を受けたか。

 肉体は火傷塗れで、魂は焼き焦げそうだった。どれだけの傷を受けようが、魔力が続く限り、リペアの魔法でいくらでも再生出来る。あやかは奥歯で魔力飴ヴィレを噛み砕いた。


「リロードリロード、クラッシュ――――ッ!!」


 拳が加速ブーストする。ネガの中心を打ち抜き、その身体が崩れ落ちていく。自己修復が追いつかずに身体だけがボロボロのあやかと同じく、ネガも消耗していく一方だった。槍はへし折れ、火の粉と散っていく。

 炎の戦士は既に満身創痍だ。トドメをさすため、あやかは動く。


(名前、最期まで教えてくれなかったな⋯⋯)


 少女の死体は既に跡形も残っていない。しかし、そんなものに意味はない。彼女の命は、呪詛に満ちた魂は、ここで真に潰える。


(デッドロック……ッ!)


 せめて、知る少女の記号を心の中で叫ぶ。赤い少女の帰りを待つ者は誰もいない。全てを失い、頼るものもなく、独りで戦い続けた者の末路。

 だから、せめて、名前は知らずとも、その記号だけはせめて。


(俺は戦うよ。一人でも戦う――一緒に戦う)


 マギアに課せられた戦いの運命。それを体言するように、あやかの拳が放たれる。


「デッドロックッ!!!!」


 目から涙が溢れて止まらない。そんなちっぽけな水玉は、地面に落ちる前に蒸発する。振り抜いた拳が、呪詛の熱気を振り払う。

 それは。

 心を許した、しかし通わせられなかった少女に対する、最期の手向け。


――――さようなら


 その声は、蒸発して消えた。

 陽炎が掻き消える。

 それを見届けたあやかは、静かに目を閉じた。








 目を開けた時。

 あやかが見たのは、腹から突き出た巨大な赤槍だった。








「ぁ――――れ……?」


 振り返るまでもない。背後には巨大な蝋燭が赤槍を突いていた。内臓が、肉体の内側から焼かれていく。心臓も。魂も。


「そう、いえば……アンタの魔、法……嘘、つきやがった…な――」


 槍が蒸発する。上半身と下半身はほとんど繋がっていなかった。まさに腹の皮一枚で人間の形を保っている状態。


「ああ――――デッドロック」


 あやかの前に、赤い少女が立ちはだかる。偽物だということは瞬時に分かった。だが、どうしても手を伸ばしてしまう。どうしても捨てられない。あの、炎の結界の中、あやかは熱病に侵されたみたいに戦い続けた。止まることなく戦い続けた。偽りの、幻と。


 マギア・デッドロック。

 その魔法の性質は――――『幻影』。


 全ては幻。偽りで、の成れの果て。

 赤い少女の手があやかの額を撫でる。肉体を溶かした少女は、少し、その表情を弛める。欲しいものを与えられて、仄かに喜ぶ純真な少女のように。

 痛みは、とっくのとうに焼き切れていた。

 心臓が塵と化し、心情だけが溶け落ちた。



――――やっぱり、アンタには敵わないなぁ……

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