スパート・ルーイン

【スパート、崩壊】



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………ッ」


 荒い息で剣を振り抜く。クレヨンを抱えるツギハギ人形の使い魔が両断される。崩れ落ちる両膝。全身から噴き出す、やたらと粘っこい汗が不快極まりない。

 マギア・スパートは、焦点の合っていない目で無理矢理前を向く。


(クソ……ッ! また逃げられた……使い魔を放っておくわけにはいかないし、ネガの居場所も全然掴めない!)


 瓦解するネガの結界の中で、変身が解ける。吊された人形のように覚束ない動き。魔力は枯渇し、もはやまともに魔法を発動出来ない状態。それでも、見据えて、やるべきことはある。


「…………………………」


 進む先に立ちはだかるのは、煤けた赤。


「使いな」


 投げ渡されるヴィレを、スパートは気怠げに受け取った。だが、そのまま投げ返す。


「……キャッチボールじゃねーんだぞ。何考えてやがる」

「……それは、こっちの台詞だよ」


 一拍。スパートの踏み込みが風を揺らす。大振りの突きが。正義の、魔法の、剣が。デッドロックの首に届く寸前、彼女の片手一本に握り潰される。刀身を砕いた左手から血が滴るのを、デッドロックは見向きもしない。



「お前だろ――――――――ヒロさんを殺したのは」



 ビクリ、とデッドロックの肩が跳ねた。スパートは砕けた刃の破片を掴み、絶叫とともにデッドロックに叩きつける。デッドロックの右足がその腹部に突き刺さった。浮いた身体の顔面を、デッドロックの左手が掴む。


「やっぱり、死んでたのか…………」


 呟いた言葉に、スパートが暴れた。だが、顔面を鷲掴みにされて呻くことしか出来ない。スパートの全身全霊が、切り傷まみれの片手に完封される。


「何故、あたしに勝てないのか分かるか?」


 左手に力を込めると、スパートの四肢が弛緩していく。


「マギアはな、魔法と魔力が大事だ。魔法の性質は契約時に決まっちまうから、魔力の量、よーするにヴィレの数をきちんとコントロールしておくのが基本だ」


 投げ返されたヴィレをポケットに突っ込み、デッドロックは力を緩める。


「いつ、どうなるか分からない。けど、戦いは待っちゃくれねーのさ。いざという時に全力を発揮できねーよーじゃ、正義が聞いて呆れる」


 流浪のデッドロック。縄張りを持たないマギアは、何が起きても戦えるように備えていた。バランスを取って。加減を弁えて。そうやって生き抜いてきた。


「備えて、いつでも全力を発揮できるよーに。ヒロイックはそんなことを教えなかったのかい?」


 透明な液体が、赤みを帯びて地面に滴る。スパートの涙が傷に沁みたか、デッドロックは顔をしかめた。


「ヒロさんは、正しいことをしていた。絶対に正しいんだ。正義なんだ。だからこんな結末は間違っている。でも、ダメなんだ。どうやっても、うまくいかない。あたしは、ただ、あの英雄の背中に、少しでも近付きたくて……それだけなのに………………」

「分かるよ」


 スパートの身体を静かに下ろす。

 答えになっていない、とりとめのない言葉も。


「あたしもそうだったから――――」







 あの日。

 ヒロイックに助けられたデッドロックは、同盟を申し込まれた。一人で我武者羅に戦ってきたデッドロックに戦い方を教えてくれた。マギアとしての生き方を教えてくれた。強くて、綺麗で、正しくて。そんな彼女の生き様に、崇拝のような愛情すら芽生えた。


――――どうしてヒロさんは、あたしにここまでしてくれるの?

――――正義のためよ。


 英雄は、真っ直ぐに言い切った。


――――貴女はずっとずっと強くなる。二人でなら、もっとたくさんのネガが倒せる。もっともっとたくさんの人たちを救えるの。

――――じゃあ、あたしが弱かったら、正義じゃなかったら。


 英雄は、困ったように笑った。その答えはついぞ返ってこなかった。

 絶対の正義は遙か高くにあって、自分ではどう足掻いても届かない。これまでの人生は、全てが誤りだった。そう突き付けられてしまいそうで。その結果が、この夜だった。家族全てを滅ぼした悪魔の末路だった。


 デッドロックは正義を諦めた。そして、ヒロイックと袂を分かつに至った。

 要するに――――魂を賭けた願いから逃げ出したのだ。







「……お前見てると、苦しいんだよ。昔の自分を見ているようで」


 嫌みなくらいに晴れた空だった。日暮、夕闇、日没。そんな境目の時間。デッドロックとスパートは、こそこそと隠れるように路地裏で座り込んでいた。まるで、後ろめたいことから逃げるように。


「ヒロイックは死んだ。あいつの正義も絶対ではなかった。そんなものを追うのはもーよしなよ」

「……そういうあんたは、


 その言葉に、赤の少女が唇を噛み締めた。たったそれだけの言葉が、見透かされたような言葉の刃が、今までのどんな攻撃よりも堪えた。

 のデッドロック。

 諦めて、それでも手離せなくて、惨めったらしく魂の願いにしがみつく姿。力を付けて、経験を重ねて、今度こそ並び立つために。


「だから、神里に戻ってきたんでしょ……? うん⋯⋯分かったよ。ヒロさんを殺した奴は別にいる」


 俯く緑の少女。瞳がぐらぐら揺れて、世界が歪む。あまりにも不穏な様子にデッドロックが動いた。雑に抵抗するスパートの手を払いのけ、衣服をはだけさせる。


「どーなってんだ――――これ」


 そこから覗くだけでも、肉体に夥しい数の矢印が刻まれているのが分かった。目視すると、魔力の気配を感じる。認識されることで存在の痕跡を現わす。淡く、緑に瞬く凶光。ほんの一瞬、あの、二足歩行のウサギを思い出した。


「この矢印……なにかのマーキングか? どーも心臓に向いてやがるな……」


 即ち、マギアの急所。

 そのまま衣服を剥ぎ取ろうとすると。


「――――あぁ、そういうことか」


 スパートが不意に口を開く。


「ネガ……人の呪いの具現…………確かに、そう言っていたもんね」


 魔力の波動が轟いた。デッドロックの身体を薙ぎ倒すほどの衝撃。


「なんで、魔力なんてすっからかんじゃッ!?」


 顔を上げて、見た。浮き上がる半裸の少女。その肉体に浮かぶ矢印に緑光灯る。心臓の脈動のように点滅している、ソレは。

 デッドロックは見た。スパートも、きっと見ていたのだろう。


「フェアヴァイレドッホ――――」


 彼女らの死神を。







 抱きしめた感覚がまだ残っている。想像よりもずっとずっと細い身体だった。あまり体格には恵まれていないようだった。そんな身体で、あれほど強靭に立ち振る舞っていたのだ。


「デッドロック。アンタが今も正義を掴もうとしているのは、嫌でも分かるよ……」


 何故、英雄のいる神里に来たのか。

 何故、『終演』と戦おうとするのか。

 何故、あやかや寧子を助けてくれたのか。

 何故、ネガに襲われた人を助けようとしたのか。

 そんな行動の一つ一つが、根拠として積み重なっていく。もしくは。最初からそう信じているあやかが、彼女の行動の一つ一つに意味を見出しているだけなのか。

 鮮烈の赤。あやかの目にはそう映っている。


「アンタに追い付きたいんだ」


 正義は遥か高みにあって、だから手を伸ばしたいのだと。

 だが、現実はうまく行かない。ついにあやかを置いたまま単独行動を始められてしまった。何となく避けられているようで、心が痛む。あやかはデッドロックの枕を抱えてゴロゴロ転がる。


『聞こえるか――――ッ!?』

「ひょわっ!?」


 突如として頭に響いた声にあやかが飛び上がる。めっふぃかと思ったが、脳はデッドロックの声を認識していた。


『やべーことになった。すぐに来いッ!!』


 思念の端、尋常ではない焦りの色を感じた。ベッドのスプリングで跳ね起き、反動で窓から飛び出す。


「えーと、なんだ、どうすんだ――――『こうか!? 聞こえるかッ!?』

『っとお!? バカ、声がでけー! 事情を説明する時間が惜しい。場所は――――』


 あやかは力強く頷いた。夜の神里を駆ける。あの追いかけっこが活きている。

 満天の星の下、ネガの結界の気配を感じた。

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