トロイメライ・ラフ
【トロイメライ、素朴】
「おい、待て⋯⋯⋯⋯!」
先走るあやかの首根っこを、デッドロックがふん掴まえる。じたばた手足を動かすあやかに、デッドロックはびしりと突きつけた。
「まず――――掛け湯をしろ」
はっとするあやかに、熱々のお湯がぶっかけられた。
「目がー! 目がー!」
悶絶するあやかを差し置いて、デッドロックは自分の身体にお湯をかける。足元から、少しずつ上に、優しく。そして、広い湯船で手足を広げて寛ぐ。
部屋の隅に備え付けられた謎風呂。妙に手広く、ひょうたんのような奇妙な形をしたバスタブに、デッドロックも戸惑っていた。
――――ホテルのお風呂ってこんなにすごいんだ!
――――あたしもこんなの初めて見るな。ヤバい部屋当てちまったか⋯⋯?
足がつくような、余計なトラブルは避けたいものだった。しかし、今更部屋を変えるのもそれはそれでリスクが大きい。そして、謎にはしゃぎ出したあやかの提案により『二人でさっと入ってさっと出よう』作戦が決行されることになった。決め手は、明らかに複数人で入ることを想定されているバスタブの広さである。
「え、なにこれ」
あやかが何かを触った。部屋の照明が薄暗くなり、バスタブが怪しい色合いの光でスポットされる。
「妙なことすんじゃねー⋯⋯」
「ごめん⋯⋯」
微妙な空気になる。状況を打破するために、あやかは勢いよくバスタブに飛び込んだ。派手に水飛沫が上がる。
「妙なことすんじゃねー⋯⋯!」
「ご、ごめん!?」
調子に乗りすぎた。あやかは縮こまって端に寄る。後ずさる形で、おしりに変な感触が刺さった。なにか、ボタンのような。
ゴボオ、と至る所からジェット噴射。
「うわぁ! あわあわだぁ!!」
「妙なことすんじゃねええ!!!!」
「ご、ごめんなさい⋯⋯っ」
顔面を鷲掴みにされ、あやかの裸体が浮き上がる。見事なアイアンクローだ。じたばた喚いているあやかだが、デッドロックの右手一つで完全に掌握されている。
やがて、力が抜けて血の気も失せてきたあやかが、静かにお湯に浸からせられる。漬物石のように神妙に沈んだあやかを、デッドロックは指を差して笑った。しかし、このまま一方的にやられて終わるあやかではない。その腕を引っ掴んで引きずりこむ。
「てめー!?」
バランスを崩したデッドロックがこれまた見事に顔面から着水した。
「お返しだよーだっ」
悪戯っぽく笑うあやか。水滴が跳ね返ってキラキラ映るその瞳は、慌てて百面相する顔のいい女が映っている。
「ぼぃ、べべぇ!!?」
「んー、なんて言ってるのかなー?」
がばぁ、と水面から起き上がるデッドロック。怒りで顔が真っ赤だ。
「てめーさっきから喧嘩売ってんのか!?」
凄んでみせるが効果は薄い。心底楽しそうな駄犬に、狂犬の牙が折られる。
「あはは、デッドロック……いや。名前で呼んでいい? なんて言うの?」
「言わねーよ……デッドロックがマギアの名前だっつーの!」
ぶくぶくと口元を沈めながら、あやかは赤の少女を見つめる。続きを待っているようだ。
「教えねー」
それを察したデッドロックは、確固と答えた。
「でーっどーろっくー!」
「おい、バカやめ……ッ!」
一転攻勢、あやかが抱きついてきた。顔を真っ赤にするデッドロックの肢体に頬を擦り付ける。
「肌きれいだねー」
「うるせー……」
邪魔なあやかを引き剥がして湯に沈める。はしゃいで、不自然にテンションが高いあやかはそれで止まらなかった。
「お、真由美よりはある」
「ば――ッ!?」
わきわきと指を動かすあやか。身を捩るデッドロックだが、不意打ちで全身がっちりホールドを極めたあやかからは逃げられない。
「ほれほれー、かわゆい奴よのう? セ・ン・パ・イ?」
さらにセクハラを加速させるあやかに肘打ち。割りと本気で。
「ごぶっ……コイツやりおる」
「お前なぁ……」
呆れ顔で言い掛けるなにか。だが、そのまま口を閉ざした。怪訝な表情をするあやか。デッドロックは何も言わずにあやかを見つめている。
「え、なに……? ごめん、本当に怒らせちゃった?」
「……そんなんじゃねーよ」
ゆっくりと溜め息を吐き、静かに語りだす。
「お前、大丈夫か?」
ぽかんと口を開けるあやか。流浪のマギアは言いにくそうに頭を掻き毟る。
「ずっと情緒不安定だったろ」
喜怒哀楽が激しい。感情がはっきりとしている。あやかはそんな人間だし、デッドロックもそれは何となく感じ取っている。
「何かあったのか?」
それにしたって、と言えるほど深い付き合いがあるわけでもない。だが、それでも彼女から見たあやかは異常だった。ころころ変わる表情、感情。突拍子もない行動。かと思えば急に大人しくなって何かを考え込んだり。
そして、デッドロックは知っていた。
そんな危険な兆候を。訪れた破滅を。
「なにかって」
青ざめるあやか。事情を一から十まで説明できるはずもない。信じてもらえるわけがない。ただ、不信と敵意だけを募らせてしまう。そんな、恐怖。
「……言いたくないならいいさ」
「そう」
デッドロックはそっと目を反らす。ぶくぶくと口だけ湯船に潜るあやかは静かに背中を向けた。
「なんつーか、さ……」
天井を仰ぎ見るデッドロックが水面を叩く。
「人間、いくらでも無茶が効く。だが、無茶のしわ寄せってのはいつかは来るんだ。いやがおーにも向き合わなきゃならない。マギアならなおさらそーだが――あたしは、何だかんだで後悔してないよ。この力は、好き勝手やる分には都合がいい」
呟いた言葉は老練としていて、あやかの頭に手を乗っける。
「わりーな……お前見てると色々思い出しちまうんだよ」
置いたその手に力を込めた。あやかの頭が湯船に沈む。唸るような低い声が反響し、大量のあぶくが浮かび上がった。
「だからお前もいーんだよ、あやか。好き勝手、生きちまえ」
♪
――だってヒーローってのは
(かっこわりぃ)
昔憧れた、絵本でみたような勇者様。もっともっと輝いていた。どんな怪物にも恐れない勇気、屈しない屈強な力。誰もが憧れるようなヒーロー。あやかの抱く夢の形は、きっとそんな感じだった。
マギアになって、世界の裏側を知った。
怪物もいた。力もあった。救える世界もあった。力はこの手の内に。それなのに。
(なに、やってんだか……)
昔から何でも出来た。出来ないことは何もないと思った。戦えることは幸福だった。血の色。痛み。殴りつけた感触。その全てがリアルで、待ち望んでいたものに魂が震えた。
(俺は、何になりたかったんだ)
こんな気持ちになったのは初めてだった。惨めで情けない。どうしようもない不安。ぐちゃぐちゃに塗り潰したサンドバックを、ひたすら殴り続ける。力はその手にあった。戦いは目の前にあった。
(いやだな)
意地だとか、根性だとか。本当に試されるのは、どうしようもない限界状況の中。拳を握り、ひたすら繰り出す。
――だってヒーローってのは、いつだって孤独なんだから
嗚咽が漏れる。
助けを求める手はあっても、差し出される手はない。無数の観客の目は、眼差しを注がない。本当に欲しいものは、いつだって手に入らない。
黒い沼が、あやかを蝕む。立ち上がる
(一間なら、こんな気持ちも笑い飛ばしたのかな)
(真由美なら、こんな背中を蹴飛ばしてくれたのかな)
雫が、落ちて、溶けて、消える。
(会いたい、な⋯⋯)
♪
「デッドロックってさ、お姉ちゃんみたいだよね」
ドライヤーの音が響く。ベッドで髪を乾かしながらあやかは笑った。目が真っ赤だった。
「いきなりどうしたんだよ?」
赤く煤けた長髪を乾かしながら、デッドロックは応えた。
「んーー、いや」
「これでもいちおー、妹、いたんだよ」
デッドロックは笑う。
「ほんとっ!? アタシは妹だからデッドロックとは姉妹になれるねー!」
ふと何かが引っ掛かったが、デッドロックはスルーした。突っ込まないのが彼女なりの優しさだった。
「妹みたいのはいるんだけどね。ぺったんこでちっこかわい――あっつッ!!?」
「どーした?」
慌てたあやかがドライヤーを落とした。一瞬だが、出力が跳ね上がったみたいだ。
「いや、なんか急に?」
「あはは、ドジっこなあんたにお姉さんは無理だな」
むす、と頬を膨らませるあやか。
「……で、妹ちゃんは最近どうなんだよ? 家族にマギアって伝えるわけにはいかないでしょ。俺も今家出中ってことになってるしなー」
乾かす髪の量が少ないあやかは、先にドライヤーを置いた。足を揺らしながらデッドロックを待つ。そして、まだ熱風を浴び続ける少女はぽつりと言った。
「――――死んだよ。もー帰る家もない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます