デッドロック・フラストリート

【デッドロック、苛立ち】



 赤と黒のチェック模様が、上下左右縦横無尽に広がっている。どこまでが地で、どこからが天か。そんな境目が分からなくなってしまいそうだった。そんな異界に少女が一人。大胆にスリットが入ったシスター装束。くすんだ赤を纏うデッドロックが、ネガの結界で暴れていた。


「おらおらおらおらおらおらああ――――ッ!!!!」


 侭ならない感情のまま、ネガをひたすら痛ぶる。魔力を節約した短槍。たったそれ一つでネガの肉を滅多刺しにする。


「ぶっ壊れろぶっ壊れろぶっ壊れやがれえええ――――ッ!!!!」


 デッドロックの怒号が異界に響く。苛立ちをただぶつけるだけ。そんな子供染みた挙動が、マギアの力で凄まじい暴力へと変貌する。力尽きたネガを、それでも滅多刺しにする。魔力は節約するとしても、暴力まで溜めておく意味はない。

 崩壊していく結界の真ん中で、デッドロックが天を仰いだ。

 荒い息。壮絶な笑み。シスター装束の少女は、怒りの呪詛を紡ぐ。







 あの日、道に迷ったデッドロックは運命と邂逅した。


「くそ! あのネガどこに隠れやがった!」


 迷っていたと言っても、そこはネガの結界の中だ。まだ契約してから日が浅いデッドロックは、自分が追い詰められていることにすら気付かなかった。


「――――――大丈夫?」


 血濡れの黄。その姿を生涯忘れることはない。

 迷路のような結界に閉じ込められて丸二日。絶望に身を震わせ、ただ死を待つだけだった。深淵の闇が心を咀嚼しつつあるその時。

 闇を払うような希望の光が降りたのだ。ネガを雁字搦めに縛り上げて、まだ英雄と呼ばれる前だった少女が、声を落とした。


「怖かったでしょ。もう大丈夫」


 自分を庇って負傷したことに、ようやく気付く。声が出なかった。消耗しきった肉体が、精神が、全ての行動を拒んでいた。だから、優しく抱きとめる腕を振り払うことなんて出来なかった。


「遅れてごめんね。もう大丈夫だから」


 逆光のように、その表情は見えなかった。滴る水滴の色すら分からない。後光が差しているような、そんな神々しさ。デッドロックの目には、正義の人が見えていた。


――――アンタと一緒にいたら、正義が分かるかもしれない。

――――私と一緒に、戦ってくれるの?


 押し付けがましい理想は、笑って受け入れられた。

 それが、デッドロックとヒロイックの出会い。二人は、かつて戦友同士だった。







「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯はー?」


 拠点に戻るなり、デッドロックは間抜けな声を上げた。ベッドの隅で小さく丸まっているあやかの姿。毛布に包まって、まるでダンゴムシのようだった。よく見ると小刻みに震えている。


「⋯⋯なにしてんの?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 無言で返事をされた。毛布のダンゴムシがもぞもぞとこちらを向く。


「あー、いや⋯⋯あたしが悪かったって。謝るから機嫌直せ。な?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ただの自己嫌悪。気にしないで」

「気にするなって。あたしが言えたことじゃないが⋯⋯失敗は誰にでもある」


 あやかは、寧子とのやり取りを思い返していた。自分が、ひどくつまらない矮小な存在に成り果ててしまったと感じた。どこに、と問われても答えられない。自分の中でも、訳が分からない感情だった。

 ちなみに、デッドロック視点だと全く別の事情で落ち込んでいるように見えているが、あやかはそこまで頭が回っていない。


「めんどーだな、お前は」


 溜息を吐きながら、デッドロックがベッドに腰掛けた。ダンゴムシがもぞもぞと近寄って来る。


「ごめん」

「ま、嫌いじゃねーけどな」


 ぴょっこり頭を出したあやかが目を丸くする。てっきり邪険にされると思っていた。


「⋯⋯⋯⋯なんだよ」

「んー、なんでも!」

「けっ」


 そっぽ向くデッドロックに、あやかは笑顔を取り戻した。不自然に固まった笑みのままデッドロックに擦り寄る。


「やめろ。ひっつくな」


 煙たそうに顔を背けるデッドロックだが、払いのけることはしなかった。されるがままにされている。


(なんだろーな――――こいつ見てると、哀れになってくる)


 冷たい炎が、胸に灯る。先ほどの衝動的な怒りとは、いたって対照的だった。心から離れて、どこか冷静な自分が全てを俯瞰していた。荒れ狂う熱情と、俯瞰する理性。世界の色が遠のいていく。


(胸がざわつく⋯⋯まるで、ネガの結界みたいだ)


 段々スキンシップが過激になってきたあやかを投げ飛ばした。そして、どこからか取り出した板チョコを二つに割る。


「ほらよ。うまくいかねーときは、甘いモンに限る」

「あんがと」


 二人して、ベッドに寝っ転がって。行儀悪く板チョコと噛み砕く。そんな無為の時間。デッドロックはヴィレを一つあやかに投げた。あやかは右手を上げて受け取ったが、その手は中々下がらない。


「受け取っとけ。次のヴィレはあたしのモンだ。交互に渡しゃあ抜け駆けもできねーだろ」


 デッドロックとトロイメライ。彼女たちが手にしたヴィレは、どちらがネガを倒したかに関係なく交互に手にする。そして、言い出しっぺのデッドロックが後攻。別にあやかは疑っている訳ではなかったが、黙って手を下ろした。


「トロイメライ」


 あやかの肩がぴくりと跳ねる。


「あたしを見限るなら、いつでもいいからな。お前が不要になったら、あたしも一方的に見限る」


 その言葉はくさびのようで、あやかの心をどうしようもなく縫い付ける。


「うん、分かった――――一緒に『終演』を倒そうね」


 デッドロックは、返事をしなかった。







 喉元に突きつけた槍先の感触は、今も忘れない。初めての殺人になる。確かにそんな覚悟はあったのだ。


「考え直して」


 その言葉が命乞いではないことはよく知っている。そして、命の危機にあってなお反撃しないほど甘い女ではないことは、もっともっとよく知っている。


「舐めてんのか、てめー」


 静かに、怒気を投げ落とす。自分は、とんでもないことをやらかしている。自覚はあった。だが、だからこそ放って置かれないはずだった。目の前の英雄ヒーローは、容赦なく悪を討つはずなのだ。


「貴女は、正義の人になるんじゃなかったの?」

「あたしには無理だ。はっきり分かった。あんたみたいにはなれねーよ」


 何かを言おうとした戦友の口元に、槍を突き立てた。その口に、赤い線が走る。それでも、英雄は抵抗しなかった。何かを言いたそうな目で、赤の少女をじっと見つめる。その目に、全てを見透かされているような気がして、怯えたように飛び退いた。


「――――あたしは⋯⋯あんたみたいには、なれない⋯⋯⋯⋯」


 視界が、霧のように歪んだ。世界がたわんだ。霧が、蒸気が世界をボヤけさせていた。膨れ上がる熱量。固有魔法フェルラーゲン。英雄少女が瞬時に立ち上がる。


――――やっぱり、あんたには敵わない⋯⋯

――――もう拘りなんかしないさ

――――に生きていくよ


 熱に紛れて、朧げな声が響いた。方角は分からない。霧の向こうに消えていった戦友を見失い、かつての少女は静かに唇を噛んだ。

 全ては、何もかも、過去の話だ。

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