デッドロック・ウーアシュプルング

【デッドロック、原点】



 正義は、決して揺るがない。

 父は厳格で、決して間違えない人だった。


――――正義は人それぞれとか、そんな妄言は正義を見出せない蒙昧もうまいな言葉に過ぎない。

――――彼らには正義が分からない。

――――真に正しい人間であれば、自ずと正義は理解できるはずだ。


 正しい仕事をして、正しさを突きつける。悪を裁く正義、それがあたしの父だ。娘ながら、とてもとても誇らしかった。自分も、父親と同じように正義の人になるのだと、信じて疑わなかった。

 自分には、正義の血が流れている。真に正しい人間になれる。


 ある日、悪を成敗した。

 弱者からお金を奪おうとしていた悪党を成敗した。


 大事件になった。

 正義は徹底的に。悪は成敗する。あたしは正しさを実行したはずなのに。悪党が二度と悪さをしないように、徹底的に、徹底的に、本当に徹底的にやっつけただけなのだ。悪い奴をやっつけるのが正義で、だから何も間違っていない。

 

――――お前には、正しさが見えていない。

――――正しさが見えていない正義は、悪と同じだ。


 家に戻ってくる度に、父親は頭を撫でてくれた。正義感に溢れた行動は立派だ。そう言ってくれた。くすぐったくて、暖かい。そんな心地良さが胸に広がって、甘くなる。

 それでも、正義には足りないらしい。まだまだ、全然足りないらしい。よくよく考えなさい。そう、さとされた。だから、本当の正しさを求めて、何度でも正義を実行した。きちんと理解できるまで、何度も何度も、頑張った。

 こんなことを繰り返して、長い間、ずっと壁の中で過ごしていた。


「あたしは、正しくなるんだ。父さん、あたしは正義の人になるよ」


 父が頭を撫でてくれなくなったあの日。

 マギア・デッドロックは誕生した。







「うるせぇ⋯⋯」


 頭痛がひどい。上下に跳ねるベッドが嫌な夢を見せてくれた。元凶、手足を縛られて口に布を噛ませた少女が暴れ回っている。何か呻いているが、判別出来ない。デッドロックは面倒臭そうに口に噛ませた布を剥ぎ取った。


「漏れる漏れるもうむりむりぃ!! ダメダメ出ちゃうぅ!!?」


 デッドロックは面倒臭そうに手足を縛るシーツを解いた。けたたましい足音を上げながらあやかが走り抜ける。


「でるでるでるでてるぅ!!? あだめだめまってええええ!!」


 黒染みで汚れるカーテンを少し開けると、眩しい太陽の光が目を焼いた。鈍い頭痛に頭を押さえる。時間を見ると、もう昼過ぎだった。


「結構寝ちまったなー⋯⋯ちょっと出るぞ、トロイメライ」


 デッドロックは、カーテンを閉めて視線を移した。部屋のトイレには扉はあるものの、曇りガラスで仕切られているだけである。結果、丸聞こえで、やや見えだった。

 扉を開けてちょこんと顔を出すあやか。潤んだ瞳でこちらを覗いている。どうやらすぐには動けない事情が発生したらしい。デッドロックは頭を抱えた。元はといえば自分のせいなのだ。


「⋯⋯ちょっと野暮よーで出るよ。夜には戻るからそれまでじっとしていろ」


 言うや否や、デッドロックは窓から飛び降りた。

 それを見届けたあやかが、ふっと表情を消す。着衣を脱ぎ捨てて、妙な形のバスタブでシャワーを浴びる。


(ここ、Wi-Fi繋がらないじゃん。どこかで真由美に連絡取れる場所探さないと。それに、デッドロックに見つからないようになんとか一手打たないと)


 身支度も手早く、あやかは窓から飛び出した。今ならただの馬鹿としてデッドロックを欺ける。確かな手応えに、あやかは不敵に笑った。







「こんだけ馬鹿しょーじきに魔力を放ったんだ、来ると思ったぜ」


 デッドロックは板チョコを二つに割った。差し出された相手は、ゆっくりと首を振る。


「甘いものは控えているの」

「けっ、そーかよ!」


 金髪の、右に寄せたサイドテール。ゆったりとしたロングスカート、淡いレモン色のインナーの上にクリーム色のカーディアンを羽織っている。ゆったりとした雰囲気の女性だった。


「しぶとくやってるみたいだな――ヒロイック」

「貴女はだいぶ尖っちゃったわ――デッドロック」


 近くのベンチにどかっと座ったデッドロック。その隣にヒロイックが静かに腰を下ろす。割った板チョコをバリバリ貪る赤の少女に、ヒロイックが顔をしかめた。


「貴女、相変わらず身体に悪そうなものジャンクとお菓子ばっかり? ちゃんと健康に気を使わないとだめよ?」

「う、うるせーての!」


 拗ねた子供のような反応に、ヒロイックはくすりと笑った。バックの中身をごそごそと漁る。


「そんなことだろうと思って、サンドウィッチを作ってきたわ。一緒に食べましょ?」

「食わねーよ! なんで準備してんだよ! 敵同士だろーが!」

「そう⋯⋯残念」


 しゅんとするヒロイック。おっとりとした雰囲気の少女は、ともすれば気弱の印象を受ける。



「『終演』が来る」



 だが、その一言で表情が劇的に変わった。さりげなくサンドウィッチをしまうと、続きを促す。


「その情報はどこで?」

「言えない。あたしは今、のマギアと神里で暗躍している」

「紛らわしい言い方しないの。貴女がここに来たのはごくごく最近のはずでしょ? その協力者さんは、先立って神里で暗躍しているってわけ?」

「⋯⋯あーもうバレバレかよ」


 神里への侵入経路自体は気付かれていないはずだ。

 ヒロイックは、今のやり取りだけでここまで嗅ぎつけただけだ。デッドロックは内心で当たりをつける。


「とにかく、神里に『終演』が来る。めっふぃにも情報は伝えてあるけど、聞いていないのか?」

「初耳。もしかして情報を止められていたのかも」


 どことなく不穏な空気だ。緊張が張り詰める。


「方角。日時」

「とーぜんのよーに聞くんじゃねーよ…………主導権を握るのはこっちだ。まずは『終演』討伐のための同盟を確約しろ」

「ヴィレ狙い? 意外とこすい」

「ああ、そうだ。『終演』討伐の準備のため、ここのネガを少々狩らさせてもらう」


 沈黙。

 思考のための時間か。はたまた駆け引きのための時間か。ヒロイックにとっては僅かな時間であり、デッドロックにとっては気の遠くなるような時間である。やがて、黄色の女がぽつりともらす。


「……欲がないのね。縄張りを明け渡せ、とか言われると思った」

「んなことしたらお前は生きてけねーだろ」

「あら、心配してくれるの?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 失言に気付いたデッドロックがそっぽを向いた。ヒロイックはくすくす笑いながら、小首を傾げる。


「いいわよ。決戦まで、好きなだけネガを狩るといいわ。ただし、相互不干渉の原則は守ってね」

「⋯⋯んだよ、やけにあっさりだな」

「だって、こうしなきゃ貴女は困るのでしょう?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 ヒロイックはくすくす笑った。


「私も新しくマギアになった子の教育に大変なの。ネガの討伐に手を貸してくれるなら是非もないわ」


 その言葉に、デッドロックの表情が変わった。あからさまに不機嫌な様子で舌打ちをする。


「まだそんなことやってんのか!? どうせまた裏切られるのがオチだぞ!!」


 声を荒らげるデッドロックにもどこ吹く風。ヒロイックはやんわりと言う。


「拗ねないの」

「拗ねてねーよ! てめーいい加減にしろよ!!」

「乱暴なこと言わないでよ、もぅ」


 ぷくう、と膨れるヒロイック。すっかり毒牙を抜かれてしまったデッドロックは、苛立ち紛れに地面を蹴った。


「なんでそんなに怒りっぽくなっちゃったの? ちゃんとご飯食べてないんじゃない? ほら、私サンドウィッチ作って「うるせー! うるせー! うるせー! うるせーってのおおッ!!」


 言うだけ言い放って、デッドロックは走り去っていった。ヒロイックは追うことも出来ただろうが、静かにその背中を見送った。そして、サンドウィッチを頬張りながら一言。



「――――いつもうまくいかない⋯⋯難しいのね」

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