デッドロック・ノウハウ

【デッドロック、知恵】



 深夜、満天の星が見下ろす神里市。


「んま、出だしからつまづくって、ヘマは避けられたみたいだな」


 必要以上に慎重に、高梁と神里を繋ぐ境大橋を渡ってきたあやかとデッドロック。あやかは酷使してきた筋肉を解しながら、呆れた風にぼやいた。


「ここまでする必要、あったか⋯⋯?」

「念には念、てやつだよ」


 ここまで、あやかとデッドロックは魔力を一切使わずに進んできた。高梁と神里を隔てる境川を繋ぐ境大橋。彼女たちは大橋の下側を身一つで伝ってきたのだ。


「神里は英雄ヒロイックの縄張りだ。だが、ここのネガの出現数とヴィレの数は突出している。ハイリスクハイリターンってな」

「ヒロイックってどんな奴なの?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

(ほらあ! やっぱり黙るぅ!!)


 一間も同じ反応だった。一体、神里の英雄とはどんな人物なのだろうか。謎は深まるばかりである。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯あとで教えてやるよ。最悪ドンパチやりあう相手だしな」


 人差し指を口元に当て、デッドロックが片目を瞑った。そのウインクに免じてあやかは引き下がる。頰が熱い。あやかは胸元をぱたぱたと仰いだ。


「少し休まね?」

「いや、すぐに動く。こーいう境目は気取られやすい」


 言って飛び出したデッドロックを、あやかは慌てて追いかけた。マギアの肉体は、ただでさえタフなあやかのスタミナを跳ね上げている。これぐらいで息が上がりはしまい。

 だが、速い。

 デッドロックはとにかく素早かった。

 肉体の扱い、三次元的な動きに不自由がない。超人的な軌道で夜の街を駆け抜けていく。あやかは置いていかれないように必死だった。


(俺みたいにで動いてんじゃねえ!? マギアの肉体を理解した上で突き詰めてんだ⋯⋯!)


 前へ。顔を上げたあやか。その顔が引き攣る。

 こちらを見ていたデッドロックと目があった。その口がにんまりと悪戯っ子のように歪む。試されていた。遊ばれていた。そう気付くと同時、前に向き直ったデッドロックがさらに加速する。


(負けるか⋯⋯ッ!!)


 挑戦と見た。放たれた矢のように疾走するデッドロックを、あやかは我武者羅に追い掛ける。







「なか、なか、やるじゃん」


 赤の少女が跳躍しながら息を整える。すっかりバテて地面に寝そべるあやかは呻くように返事をした。神里中を縦横無尽に飛び回ったツケは大きい。古いビルに挟まれた路地裏に少女が二人。


「あ゛〜ぅぅー⋯⋯こんなに派手に動き回っても大丈夫なの?」

「んー? 魔力は使ってないだろ? なら感知されないってーの。出くわさないように道順も考えたんだからな。だいたい神里を回ったけど、道勘は身につけたか?」

「む、無茶言うな⋯⋯」


 デッドロックが呆れたように肩を竦めた。ここまで必死こいてその反応は心外である。


「んだよ⋯⋯道に迷うってのは間抜けみてーだが、結構シャレにならねーんだぞ」


 ふん、と鼻を鳴らすデッドロック。


「うぅ⋯⋯悪かったって」

「ははは。まあ、食いなって」


 デッドロックが板チョコを半分に折った。倒れるあやかに放ると、後輩は器用に口でキャッチした。まるでよく懐いた犬のようだった。


「甘っ」「うまうま」


 二人して糖分を摂取していると、急に世界が明るくなった。何事かとあやかが跳ね起きる。そんな間抜けな姿を見て、デッドロックは苦笑した。


「夜明けだ。慌てんなよ」


 その一瞬。

 世界が、光に満ちた。

 星々が姿を消し。

 神里の景色が顔を出す。

 ぶわっと視覚情報として脳に飛び込んでくる。あやかは目を見開いた。


「さて、のんびりしてらんねー。行くぞ」

「え? どこに?」

「あたしら日陰モンだよ。日が出るうちは寝てるに限る」


 そう言って、廃墟のようなビルを蹴り上がる。まるで忍者のような動きだったが、マギアの脚力ならば造作もない。一晩中駆け回って動きに慣れてきたあやかは、易々とデッドロックの動きを真似てみせた。


「お、来た来た。見込み通りだ」

「えへへー!」


 褒められてあやかがはにかんだ。だが、デッドロックはそんなあやかを見て一言。


「ちげーよ。寝床の方だ」

「はえ?」


 抜けた声を出すあやかは、デッドロックが侵入した窓の中を覗き見る。やや手狭な一室。隅に置かれているダブルベッドが部屋の半分くらいを占めていた。テレビすらない。謎の金庫と、それより少し大きいだけのちゃちな冷蔵庫。


「よーし」

「よーし、じゃないって⋯⋯」


 立派な住居侵入である。あやかは慌てたように続いた。


「んだよ。人ん家じゃねーんだからとやかく言うな。ほとんど宿泊客もいない、寂れたホテルの、掃除すら放棄している一室を使ってやってるだけだ」

「い、いいのかなー⋯⋯」

「神里はこんなんばっかだぞ。バレそうになったらまた新しい寝床を探しゃーいい」


 言うや否や、デッドロックがベッドに飛び込んだ。妙にスプリングが効いていて、少女の身体が派手に跳ねる。雑に衣服を脱ぎ捨てようとして、あやかの目線を感じて思い留まる。


「窓は開けっぱなしにしとけよ。出入りはそこからだ。部屋を物色するのはいーが、外には出んな。じゃ、あたしは寝る」


 静かな寝息をたてるデッドロック。寝つきが良すぎる。あやかは手持ち無沙汰に周囲を見回した。


(すんごい疲れたし、眠いはずなんだけど⋯⋯⋯⋯)


 心臓が妙にバクついて目が冴えてしまった。そもそもホテルになんて泊まったことすらないあやかは、余計にドキドキしてしまっている。なんという非日常感。後ろめたさが言い得ぬなにかを囁く。軽く探索すると、トイレとお風呂まであった。見慣れない形の湯船に感嘆の声が上がる。

 一通り見回して、一息つくと急に眠気が湧いてきた。こんな時間まで起きていて、こんな時間に寝るは始めてなのだ。体内時間が狂っていく。それすらも未知の刺激。


「⋯⋯⋯⋯ど真ん中陣取りやがって」


 デッドロックはダブルベッドの真ん中に沈み込んでいた。しかも掛け布団の上で。二人で寝る場所を堂々と占領されてしまった。仕方ないので、あやかは端の方で包まろうと。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 デッドロックの寝顔を覗き込む。悪気も変な気もなかった。ただ、動作の途中で目に入って、気付くと目が離せなくなってしまった。小さく、ぷっくりと膨れた唇。呼吸に合わせて膨らんでは萎んでいく。

 不思議と、目が離せない。あやかの手がゆっくりと伸びる。上唇を、つつく。弾力のある柔らかさが指先に伝わって来た。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 そして、パチリと目を見開いたデッドロックの視線に気付く。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯やあ」

「――――――――――おい」


 苦笑いで飛びのこうとしたあやかにデッドロックの両足が絡みつく。あっという間に組み伏せられ、ベッドのシーツで縛り上げられてしまった。


「え、今のなに!? あれ、動けない!? ちょっと、ちょっと! え、寝た? おい起きろって! これ解いてから寝てくれよぉ――――――――」

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