序、「世界一幸せなんだって」
トロイメライ・スタート
【トロイメライ、『偽物』の始まり】
太陽の色は、人によって見え方が違うらしい。
気が付くと、いつの間にか右手を太陽に
「太陽は――とっても熱い魂の紅蓮色だ」
少女はにっかりと笑った。
太陽を自分のものとするように。そんな風に開いた手をぐっと握り締める。その手で汗の染み込んだスポーツウェアをぱたぱたと扇いだ。日課のランニングの途中だったはずが気が逸れてしまった。妙にボヤける頭をバシバシ叩いて気合いを入れ直す。
息を弾ませながら大きく伸びをする少女。イマドキの女子中学生にしては珍しいくらいの、黒のショートヘア。
14歳、高梁中学二年生。明朗快活、健康優良、(自称)頭脳明晰。そんな少女の目には、世界はこれ以上にないほど輝いて見えていた。
まさに今、突き抜ける高い空に輝く太陽のようにだ。
(俺、生きてる。今が一番幸せだ――――今が楽しい!!)
溢れるエネルギーに衝き動かされるように、あやかは再び走り出す。
中途半端に開発が進んだベッドタウン。緑が揺れる並木通りがぐんぐん後ろに流れていく。
荒い息遣い。その顔には汗が滴る。しかし、その汗は決して不快ではなく、流れていく水滴に命の温もりを感じる。
生きている実感に頬を弛ませながら、あやかのギアがさらに一段上がる。風のように並木道を走り抜ける彼女の姿は、まさしく生の輝きに溢れていた。
「うしっ、今日のメニュー完遂!」
息を弾ませながら大きく伸びをする少女。世界は輝いている。茂る緑も、駅周りに立ち並ぶビルも、流れる水のせせらぎも、それらを包む風も、全てがだ。
あやかにとっては自分の一部のように慣れ親しんだ世界。
紅蓮の太陽に手を向け、にっかりと笑った。
そして、運命が訪れる。
下ろした手、その先に映る景色。見慣れた世界に異物が紛れ込む。運命への誘い。ぴょこぴょこ動く長耳に、あやかの視線は吸い寄せられる。
しばらく見つめ合う。
二足歩行二頭身の、白いウサギだった。ウサギは二足歩行でも二頭身でもないが、不思議とウサギだと感じた。目が黒い点のようで、口がバッテンに塞がれている。まるで、ぬいぐるみのような。
『やあ。僕と約束の賭けをしよう』
「なんか喋ったああああああああああ!!!!??」
頭の中に、声が、響く。
『喋ってないよ。この通り、僕は喋ることを禁じられているからね。これは君の頭の中に直接語りかけているだけさ』
(こいつ、脳内に直接……ッ!?)
『うん、そうだよ』
「え、今のも聞こえてたんだ……」
口がバッテンに塞がれているのは、喋れないことを示すのか。左右にぴょこぴょこ揺れるその姿には、どこか奇妙な愛嬌がある。というか、どこかで見たような、そんな既視感が。
『こんにちは。僕の名前は、めっふぃだよ!』
「大丈夫かその名前!?」
『うん、大丈夫大丈夫』
点のような目でくりくり見つめられる。そんな顔をされると、大丈夫な気がしてくる。
『今日はね。君にお話があって来たんだ』
「話?」
『うん。この町の平和に関わる、大事なお話』
町の平和。その言葉に、あやかはぐっと引き込まれた。なんたって、あやかが掲げる夢は、
『この世界に、ネガの脅威が渦巻いている。君にはそれに対抗する力、マギアの資格がある』
「マギア? 選ばれしヒーロー的な?」
『うん。まあ……おおむね間違っていないかな』
めっふぃは、謎のジャンプ力であやかの目線の高さまで跳んだ。さすがは、暫定ウサギ。今の行動に意味があるのかは、果たして疑問ではあるが。
『君は、その胸にたった一つの願いを掲げなければならない。願いに殉じることができれば、君の祈りはネガを滅するだろう。逆に、その魂を濁らせるというのならば、君自身がネガに飲み込まれてしまう』
これは、賭けなのだと。
「ネガって、なんなんだ?」
『ネガは、世界に呪いを振り撒く異形の怪物。人の魂や意志を糧にし、自己増殖を繰り返す。放っておけばたくさんの人が魂を抜かれ、抜け殻みたいになってしまう』
「……結構、大変なんだな」
『だから、君の魂に問いかけて欲しい。マギアの輝きに、自らの魂の煌めきを投資できるのかどうかを』
この鮮やかな、夢に、意志に、想いに、その魂を投資できるのかを。
日常の終わりが足音を立てる。あやかには、紅蓮色の運命が視えていた。
『選択の意志は、定まったかい?』
「ああ、決まったぜ」
あやかは、日常の風景を思い出す。
幸福な自分。満ち足りていた世界。誰よりも幸せである自信があった。
それでも、足りないものがある。手を伸ばせばきっと手に入る。そんな星が目の前にある。
手を伸ばす。太陽だってこうして掴み取ってやる。
手を伸ばせば、きっと届くはずだ。
手を伸ばせば、きっと届くはずなのだ。
そんな決意を示すように、あやかはもう一度、太陽に伸ばした手を握り締める。
――――――――俺は、
世界を──
日常を──
家族を──
親友を──
学校を──
人を──
──守る。
そのために戦う。
「俺は――マギアになる」
『君の願い、受け入れようじゃないか。さあ、約束の賭けをしよう――――』
この日、少女は、運命を切り拓く。
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