序、「世界一幸せなんだって」

トロイメライ・スタート

【トロイメライ、『偽物』の始まり】




 太陽の色は、人によって見え方が違うらしい。

 気が付くと、いつの間にか右手を太陽にかざしていた。開いた手を透かせても、強烈な陽射しを遮ることはかなわない。ぼんやりと頭に浮かんだ光景が掻き消えていく。


「太陽は――とっても熱い魂の紅蓮色だ」


 少女はにっかりと笑った。

 太陽を自分のものとするように。そんな風に開いた手をぐっと握り締める。その手で汗の染み込んだスポーツウェアをぱたぱたと扇いだ。日課のランニングの途中だったはずが気が逸れてしまった。妙にボヤける頭をバシバシ叩いて気合いを入れ直す。

 息を弾ませながら大きく伸びをする少女。イマドキの女子中学生にしては珍しいくらいの、黒のショートヘア。

 十二月三十一日ひづめあやか、それが少女の名前だ。

 14歳、高梁中学二年生。明朗快活、健康優良、(自称)頭脳明晰。そんな少女の目には、世界はこれ以上にないほど輝いて見えていた。

 まさに今、突き抜ける高い空に輝く太陽のようにだ。


(俺、生きてる。今が一番幸せだ――――今が楽しい!!)


 溢れるエネルギーに衝き動かされるように、あやかは再び走り出す。

 中途半端に開発が進んだベッドタウン。緑が揺れる並木通りがぐんぐん後ろに流れていく。

 荒い息遣い。その顔には汗が滴る。しかし、その汗は決して不快ではなく、流れていく水滴に命の温もりを感じる。

 生きている実感に頬を弛ませながら、あやかのギアがさらに一段上がる。風のように並木道を走り抜ける彼女の姿は、まさしく生の輝きに溢れていた。


「うしっ、今日のメニュー完遂!」


 息を弾ませながら大きく伸びをする少女。世界は輝いている。茂る緑も、駅周りに立ち並ぶビルも、流れる水のせせらぎも、それらを包む風も、全てがだ。

 あやかにとっては自分の一部のように慣れ親しんだ世界。

 紅蓮の太陽に手を向け、にっかりと笑った。


 そして、運命が訪れる。


 下ろした手、その先に映る景色。見慣れた世界に異物が紛れ込む。運命への誘い。ぴょこぴょこ動く長耳に、あやかの視線は吸い寄せられる。

 しばらく見つめ合う。

 二足歩行二頭身の、白いウサギだった。ウサギは二足歩行でも二頭身でもないが、不思議とウサギだと感じた。目が黒い点のようで、口がバッテンに塞がれている。まるで、ぬいぐるみのような。


『やあ。僕と約束の賭けをしよう』

「なんか喋ったああああああああああ!!!!??」


 頭の中に、声が、響く。


『喋ってないよ。この通り、僕は喋ることを禁じられているからね。これは君の頭の中に直接語りかけているだけさ』

(こいつ、脳内に直接……ッ!?)

『うん、そうだよ』

「え、今のも聞こえてたんだ……」


 口がバッテンに塞がれているのは、喋れないことを示すのか。左右にぴょこぴょこ揺れるその姿には、どこか奇妙な愛嬌がある。というか、どこかで見たような、そんな既視感が。


『こんにちは。僕の名前は、めっふぃだよ!』

「大丈夫かその名前!?」

『うん、大丈夫大丈夫』


 点のような目でくりくり見つめられる。そんな顔をされると、大丈夫な気がしてくる。


『今日はね。君にお話があって来たんだ』

「話?」

『うん。この町の平和に関わる、大事なお話』


 町の平和。その言葉に、あやかはぐっと引き込まれた。なんたって、あやかが掲げる夢は、勇者ヒーローである。


『この世界に、ネガの脅威が渦巻いている。君にはそれに対抗する力、マギアの資格がある』

「マギア? 選ばれしヒーロー的な?」

『うん。まあ……おおむね間違っていないかな』


 めっふぃは、謎のジャンプ力であやかの目線の高さまで跳んだ。さすがは、暫定ウサギ。今の行動に意味があるのかは、果たして疑問ではあるが。


『君は、その胸にたった一つの願いを掲げなければならない。願いに殉じることができれば、君の祈りはネガを滅するだろう。逆に、その魂を濁らせるというのならば、君自身がネガに飲み込まれてしまう』


 これは、賭けなのだと。


「ネガって、なんなんだ?」

『ネガは、世界に呪いを振り撒く異形の怪物。人の魂や意志を糧にし、自己増殖を繰り返す。放っておけばたくさんの人が魂を抜かれ、抜け殻みたいになってしまう』

「……結構、大変なんだな」

『だから、君の魂に問いかけて欲しい。マギアの輝きに、自らの魂の煌めきを投資できるのかどうかを』


 この鮮やかな、夢に、意志に、想いに、その魂を投資できるのかを。

 日常の終わりが足音を立てる。あやかには、紅蓮色の運命が視えていた。


『選択の意志は、定まったかい?』

「ああ、決まったぜ」


 あやかは、日常の風景を思い出す。

 幸福な自分。満ち足りていた世界。誰よりも幸せである自信があった。

 それでも、足りないものがある。手を伸ばせばきっと手に入る。そんな星が目の前にある。

 手を伸ばす。太陽だってこうして掴み取ってやる。

 手を伸ばせば、きっと届くはずだ。

 手を伸ばせば、きっと届くはずなのだ。

 そんな決意を示すように、あやかはもう一度、太陽に伸ばした手を握り締める。



――――――――俺は、勇者ヒーローになりたい



 世界を──

 日常を──

 家族を──

 親友を──

 学校を──

 人を──


 ──守る。


 そのために戦う。




「俺は――マギアになる」


『君の願い、受け入れようじゃないか。さあ、約束の賭けをしよう――――』



 この日、少女は、運命を切り拓く。

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