神の座、非存在の欠片。
「おかえりなさい」
ボロボロの戦士を女神は迎え入れた。泣きそうに顔を歪める真由美を、アリスは強く抱き締める。
「わがままばかり言ってごめんなさい」
「ううん。よく頑張ったね」
十二月三十一日あやかを思い出す。彼女は何度打ちのめされても、立ち上がって拳を握ってきた。そんな彼女の意志に惹かれたのだ。彼女自身が選んだ結末に異は唱えられない。最後まで走り抜けた彼女の姿を、真由美は絶対に忘れはしない。
「あのね、友達が出来ました」
無理に笑おうとして顔が引き攣る。得られた分、喪失は大きい。共に星空を見上げたあの親友は、少女の魂に刻まれた軌跡の跡。
「うん」
アリスは静かに頷いた。あらゆる情念の救済を祈った彼女は、ネガに堕ちた真由美をも救済していた。
「貴女にも、ちゃんと挨拶したかった」
アリスがにこりと笑いかける。
その先には、ふてくされた顔のショートヘアの少女。猛禽のような目付きからは覇気が抜け、すっかり小鳥のようだった。漆黒の魂が静かに揺らぐ。
「うるせー……」
輪廻のネガ、高月あやか。女神アリスに挑み続け、ついに敗北した。ここまで明確な敗北は初めての経験だった。
「高月さん、挨拶しましょ?」
ぎこちない笑みで真由美が笑いかける。懐いた仔猫のようにすり寄ってくる彼女の頭を撫でて、『あやか』は言う。
「高月あやか。今日から世話になるぜ」
「私、叶遥加。よろしくね!」
全てはこの瞬間のために。
頭を撫でられながら、真由美は、今度は自然な笑みを浮かべた。
「真由美ちゃん、嬉しそうだね!」
アリスに指摘されて、真由美が繕うように仏頂面を作る。作れていない。『あやか』も笑った。視界の向こうには数多の人影。彼ら彼女らは、現実を浸蝕する情念に飲まれて怪物と化した者たち。一人一人に特別な物語があって、女神アリスに救済されて座に至る。
「ここが『非存在の欠片』、つまりは暴走した情念の天国――――どう?」
「⋯⋯⋯⋯壮観だな」
すっと『あやか』が目を細めた。翼を生やした白ウサギを見た気がする。きっと、いつかまた出逢えるだろう。想いさえ尽きなければ。口元が柔らかく綻んでいた。
「ここにいるのは皆、暴走する情念の成れの果てなんだな」
「うん、そうだよ」
アリスが前に出る。話をするのだ。面と向かわなくては。
「……残念ながら途中で力尽きてしまった子は、ここには来られないんだけどね」
高月あやかは思い出す。彼女は強く、そして特別になった。『本物』の情念を抱いていたと彼女が保証しよう。
「高月さん! ここにいるのは、みんな特別だった人たちよ。貴女も私も同じ、かつて特別だった想い」
人間だった頃の『あやか』ならば一笑に付していただろう。しかし、真由美は示してきた。もう一人のあやかだって。確かに自分は特別な存在だと自覚していた。しかし、絶対唯一ではない。
「女神アリス⋯⋯⋯⋯お前の前だと皆同じってか」
「うん。等しく、特別。だから救いたいと思ったんだ」
『あやか』はにっかりと笑った。
全てを包み込む『救済』の光。それがどれだけ壮大で重いものか。しかし、アリスは一人ではなかった。女神ですら絶対唯一ではなかったのだ。
想いと想いを連ねて自分に至ったあやかを、彼女は認めていた。
夢を、思い出した気がした。
「そう――――ここでは、貴女も私も同じ」
だから、と。
「今度こそ、私と対等な友達になって」
真っ直ぐと見据える。大道寺真由美は強くなった。そのことをひしひしと実感する。
俺様はなれなかったからな。
その言葉を思い出す。不意に零れた、それは心からの言葉。『あやか』は拳を突き出した。チャンスを掴まないのはらしくない。
「よろしくな、真由美」
「うん!」
拳が合わさる。
遠い遠い旅路の果て。
遥かな因果の巡り合わせ。
輪廻に迷った少女たちはついに。
「また、星を見に行きたい」
『あやか』が言う。
あやかが、言った。
真由美の目が大きく見開かれた。
「アイツは特別だった。燃え尽きたくらいで終わるタマかよ⋯⋯⋯⋯だから、きっと、今度は」
「うん、一緒に」
真由美が笑った。
♪
それから、夢を見た。
「待ってたわ。アンタ、私の言うこと全然聞かないんだもん」
「悪いって! それでもちゃんと辿り着いただろ?」
紅蓮の少女と水色の少女。二人が顔を見合わせる。
「言いたいことがたくさんある」
「もう時間がないんだ」
困ったようにあやかが笑う。彼女の魂はほとんど溶け落ちていた。それでも、やり切った満足感が全身に漲っている。
精悍な顔つきを見て、真由美が微笑む。
「真由美は、やっぱり笑っていた方が可愛いよ」
照れたようにそっぽを向く真由美。あやかは拳を前に突き出す。真由美も応じた。
「助けてくれてありがとう。貴女は私の勇者様よ」
「助けてくれてありがとう。お前は俺のお姫様だ」
友達は助け合わなくては。
二人はにっかりと笑った。
「じゃあな。これで本当にお別れだ」
あやかは歩き出す。本当の終わりへと。やるべきことは全てやった。輝き尽くした紅蓮の魂は静かに燃え落ちる。
「あやかに会えて良かった。ここまで戦ってきて本当に良かったって思う」
天高く輝く星を見た。争い合い、拒み合い、傷つけ合い、そして分かり合えた。本物の絆が確かにここにある。
「けど、ここで終わりにするつもりはない。死ぬ気で這い上がって来て、いつか私を迎えに来てね」
「無茶苦茶言うな⋯⋯」
「無茶でも苦茶でも構わない。
「――――ありがとう」
「私、信じているから。貴女の『本物』の意志は、どんな不都合も貫いて私に届くんだって」
あやかは背を向けて手を振った。紅蓮の羽織りがはためき、魂が燃え落ちた。光が晴れていく。
「私、星を見続けるわ」
「いつか、また、一緒に見ようね」
声なき想いが少女の魂に届いた。餞別は
世界は拓けていく。無限に、無限に――――……
――――忘れないで
――――もう一人じゃない
――――ずっと一緒だよ
終わりの世界で紅蓮の少女が手を振っている。
本当の
紅蓮の少女は天を見上げた。今まで関わってきた登場人物とは別に、ここまで
にっかりと笑って、力強く手を振った。
これは『あやか』の物語。色鮮やかな紅蓮に煌めく物語。
紅蓮の少女は世界を仰ぐ。きっと、その目には数多の情念が煌めいている。色が溢れ、凝り固まる。運命の最果て、終わりの終わり。その先で混沌色の少女が漂っていた。
尽きる情念は、即ち存在の抹消を意味していた。輪廻の結界の外では、情念の怪物はアリスの法則に滅ぼされる。それはあやかも例外では無い。
そんな世界の摂理を握り締め、紅蓮少女は手を差し出す。
けれど、しかし、そんな摂理が崩壊した。
『貴女と、ともに⋯⋯⋯⋯最果ての終わりを』
「いいぜ。一緒に行こう――――エンドフェイズ」
始まりがあれば終わりがあるように。
終わりがあれば始まるがあるはずだ。
戦い続けたこの想いは、そして、この物語を想い続けてくれる誰かが居続けてくれれば。想いは、きっと。
これは、『偽物』が『本物』になる物語。
その鮮烈な魂の煌めきを覚えてくれる想いがあれば、きっと出逢いの時は訪れる。あの、始まりの門を幻視する。きっと、新たな始まりは訪れる。
今はそれまで、この、最果ての終わりを漂う――――――――⋯⋯⋯⋯
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