スパート・クロス

【スパート、出会い】



 あやかは、真っ白な病室のベッドで目を覚ました。

 長い長い、とても長い悪夢を見ていた気がする。あやかはぼんやりとした頭で起き上がった。訂正、起き上がろうとした。身体は思うように動かず、力なくベッドに沈む。ふと横を見ると、仰々しい点滴に繋がれていた。


「あれ、なにがどうなったんだっけ⋯⋯?」

「あ、起きた」


 あやかの顔を、緑の少女が覗き込む。肩辺りで切り揃えた短髪に、どこかの学校の制服だろうか。淡い紺色のブレザーに、白と黒のチェックのスカート、胸元には制服指定であろうリボンが揺れている。少女は、人の良さそうな笑顔を浮かべた。


「良き良き。マギア・トロイメライでいいんだよね? 元気? 喋れる?」

「あ、うん。あれ、誰だっけ?」

「あーうん、そうだったね。ゴホンゴホン、自己紹介しなきゃだ」


 あざとく咳き込む仕草をした少女は、茶目っ気たっぷりに微笑む。


「あたしはマギア・スパート。お隣、神里市を守る新進気鋭のマギアなのだ!」


 神里。あやかは何度かその単語を聞いていた。キーワードだった。


「神里市の、英雄!?」

「あーううん、ごめん。それはあたしじゃないんだ⋯⋯というかほんと有名人なんだね、ヒロさん」

「ヒロサン?」

「その、神里の英雄って呼ばれている人があたしの師匠なの⋯⋯⋯⋯あの人はネガとの戦いで、あたしを庇って命を落とした。だから、あたしはあの人の分まで正義を貫かなければいけないんだ」


 言葉に、悲壮な覚悟があった。あやかの戦いだけが特別なのではない。マギアの壮絶な戦いはいたるところで起きている。その数だけ、物語ドラマがあるのだ。


(そうか、師匠――――あ)


 ふと、思い出す。


「ひとっ、あぁいや、デザイアは!? ああ、アイツどうした!! 無事なのか!?」


 無理矢理起きようとしたあやかが、反動でベッドに倒れる。思うように動かない身体で暴れようとするあやか。そんな彼女をスパートが力で押さえ込む。この筋力は、間違いなくマギアの身体強化のものだった。

 片手で口を塞がれる。


「病院ではお静かに、だゾ!」


 記憶が、はっきりしない。死闘の中、脳内が焼き切れるような激情が走っていた。自分以外がどうなっているのか、把握できないほどに。


『デザイアは生きているよ。彼女から言伝を預かっている。戦えるようになったら、日没時に町外れの公園まで顔を見せるように。とのことだ』

「アイツ、毎日待ってる気かよ……」


 妙に馬鹿らしくなって、あやかは脱力した。その目から、一滴の涙が落ちる。


「その子、デザイアからヴィレを預かっている。『三倍返しね』とか言っちゃって」

「言いそうっ」


 受け取って、あやかが小さく笑った。一間は激戦地から離脱出来たようだ。だが、ここまでで一度も名前が出てこない、あの少女は。


「あたしの魔法で命は繋げたけど、あとはしっかり養生しんしゃい! 休みはちゃんと取らなきゃダメだゾ!」

「色々、ごめんね。面倒かけたな」

「いいっていいって!」


 朗らかに笑うスパート。

 こんなマギアもいるのか。あやかは胸が熱くなった。


「じゃ、あたしは帰るね。多分もう顔出さないから、高梁の平和はそっちに任せたゾ!」

「もう少し、ゆっくりしていけばいいのに」

「そうもいかない。助けた手前、無事を確認するまでは義務感だったけどね。トロイメライには、もっとお話しすべき人がいるでしょ?」


 病室のすぐ外に映る人影。


「ほら、めっふぃ。あんたも行くよ」


 その人に一礼して、スパートは去っていった。入れ替わりに入ってきた人物に、あやかは思わず言葉が漏れた。


「――――姉ちゃん」


 十二月三十一日ひづめあすか、あやかの姉が立っていた。







「お前、意識が戻ったんだな…………」


 唯一の家族。髪はぼさぼさで目のクマもひどい。だが、その顔には一点の曇りもない笑顔があった。力強くあやかを抱き締めて、離さない。


「姉ちゃん、苦しいって!」

「……うん。ごめん。あの子にはちゃんとお礼を言えたか?」

「うん」


 あすかが妹の頭を撫でる。付きっきりで看病していたあすかは、妹を病院まで送ってくれた少女に頼まれていた。


――――あたしと二人だけで話をさせて欲しいんです。


 そう言って、この一週間、毎日隣町の病院に足を運んできた少女には頭が上がらない。あすかにとっても恩人だった。


「俺、どうなったんだっけ?」

「通り魔に襲われたんだよ。覚えてないか?」

「…………ああ、うん。そうだった」


 そういうことになっているらしい。あやかは、深く息を整えた。一つだけ、どうしても聞かなければいけないことがあった。


「……真由美は、どうしてる?」


 間があった。その沈黙で、あやかは半ば察してしまう。言おうか、言うまいか。そんな逡巡があった。


「――――落ち着いて聞け。真由美ちゃんはな、お前が病院に運ばれる前日から、行方不明なんだ」


 行方不明。死体は見つかっていない、ということだ。あやかは再び身体を起こそうとする。姉に、その手を掴まれた。力を加えられたわけでもなく、ただ添えるように握られたその手を、あやかは振り解けなかった。


「ダメだ。お前はしばらく絶対安静だ。鍛えているとはいえ、普通の女子中学生なんだぞ? 少しは身の程を知れ」


 妹が無事で安心したのか、あすかの語気は強めだ。どうにも、姉にはかなわない。あやかは逆らえなかった。


「犯人、まだ捕まらないんだよな……」


 通り魔殺人未遂。被害者は高梁中学の女子生徒。犯人は未だ逃走中。

 と、いうことになっているらしかった。犯人など見つかりようがない。既にあやかがその手でケリを付けてきたのだから。


「大丈夫。お前は私が守るよ」


 守る。

 その言葉が、重圧となってあやかに圧し掛かる。


――――死んでいたり肉体を欠損したりしていると、結界の崩壊に引き込まれるから注意しな。


 これも、一間が教えてくれたことだったか。何故そんなところまで詳しく知っていたのかは不明だが、取り返しのつかない状態に至ってしまったのは確かなようだ。あの稚拙な星空とともに、大道寺真由美という少女の身体は崩壊してしまった。


(俺は、本当に勝ったのか…………?)


 こんなものが、本当に勝利だったのだろうか。生き抜いたという充足感が、胸にぽっかりと空いた穴から漏れ落ちる。

 まだだ。

 本能的に、あやかは戦いの気配を嗅ぎ取った。ネガがいる限り、マギアの戦いが終わることはない。マギアの治癒力があれば、肉体の回復も長くはかからない。

 ぼこり、と。

 黒い泡が浮かんでは消えた気がした。


(戦うんだ。戦って、戦って、戦い抜くんだ。俺は、ヒーローだから)


 黒い欲望が渦巻く。



(ごめん、姉ちゃん。


 俺は――――もう、そっちには戻れないかもしれない)


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