Der Nemesis des Schicksals――――"Merlorerö Lululopontie"

【宿敵邂逅、童話の女王は悪夢に笑う】



 太陽は、彩を失ったモノクロだ。ずっと、太陽に色なんてなかった。灰色に燃える球体。太陽は、世界を見下ろす舞台装置に過ぎない。


「欲しいものがあった」


 視線に、過敏になる。疎まれることが恐ろしかった。だから、視線が欲しい。冷えた視線ではなく、熱く滾る視線が欲しい。見られたい。求められたい。

 黒い腕が何本も身体に伸びる。触れらることに安堵する。求められることを実感する。視線が、腕が、もっと欲しい。もっともっと欲しい。秘せられた欲望がマグマのように溢れ出す。


「アタシは求められたい」


 ヒーロー。

 光り輝き、誰もが憧れ、求める、そんな存在。少女は輝きを纏う。モノクロの舞台で、焦がれ求められるための存在になるのだ。腕が全身をまさぐった。視線が這うように浴びせられる。熱い吐息が漏れた。もっと、欲しい。


「世界一幸せだって、いくらでも言い張ってやる」


 十二月三十一日ひづめあやかは拳を握る。手に入れる。欲しいものがあるのだ。だからあやかはヒーローになりたかった。



「フェアヴァイレドッホ――――英雄願望トロイメライ



 そのためなら、いくらでも戦える。






絵本の『メルロレロ・ルルロポンティ』


このネガは「夢想」の性質を持つ。

叶わぬ世界に想いを馳せ、儘ならない世界に呪いを振りまく。

多くの手下達に囲まれて、大事に、大事に、守られている。

その様はまるで絵本のお姫さま。

まだ見ぬ白馬の王子様を連れてくれば、怒りを収めて元の世界に帰っていくだろう。

自分の夢想を顕現する。それがこのネガの全て。






 大きい。見開きの巨大な絵本から、マネキンのような童話の女王が屹立していた。高さは三メートルを越える。自分の倍以上の巨体を見上げてなお、あやかはギラついた獣の視線を投げた。

 両者の間は、目測で五十メートルほどか。


(マギアの脚力なら五秒もかからない! この手でぶっ潰してやる!)


 思考の最中にはもう飛び出していた。ぺらぺらの近衛兵たちが女王を守る。突き出される槍先を、あやかのグローブが弾く。デザイアにとっての棍棒、デッドロックにとっての槍、そんなマギアが有する固有武器。トロイメライにとってのそれは、銀のグローブだった。


「逃げん、じゃねえ⋯⋯ッ!」


 やはり使い魔の数が多い。我武者羅に進むあやかは、後退するネガに追いつけない。


(ああ、そうだ――――魔法だ)


 めっふぃの言葉を思い出す。感覚を研ぎ澄ませる。弾き、潰す。魔法のグローブが力を燃やす。イメージは血だ。心臓が送り出し、全身にみなぎるもの。灰色の煌めきをあやかは掴んでいた。


(これが、魔力)


 両手首のリングが逆方向に回転し、推進力を生み出す。乱打。冷静に敵の攻撃を見極め、制圧する。極まった感情の一方で、不思議と頭は冴え渡っていた。あやかは進撃を止める。真下への一撃。衝撃波で使い魔どもを薙ぎ払う。

 単純なことに気付いたのだ。


「てめえらの姫さんは、この結界のどこかにはいるんだろ? だったら、焦るこたぁねえなあ!?」


 敵を滅する。使い魔が邪魔ならば、全滅させてしまえばいい。殺到する紙騎士と魔本の群れを見渡し、あやかは犬歯を剥き出しに笑った。


――――固有魔法フェルラーゲンは、投資した魂の願いに由来する。


 何が欲しかったのか。何を願ったのか。ぼんやりと頭の片隅で考える。求めるものは、日常の中にあった。光り輝く生を、ついにその手に掴んだ。何度でも繰り返したいと思えるような『世界一の幸せ』を。

 違う。

 そうじゃない。

 本当に欲しかったもの。そこに手を伸ばす。伸ばし続けるその行為こそが――――魂を賭けるに値する願い。





 奇跡が起きた。物理法則を超越する現象が発生した。鋭い紙のランスを撃ち抜いた拳が、使い魔を粉砕する。攻撃を弾くに留まるはずだった一撃。それは説明出来ない爆発力で以って、紙の騎士を派手に粉砕した。

 

 一撃を放ったあやか自身が、一番痛感している。起きるはずのない現象が起きた。物理法則の、上へ。魔力の高まりを、心臓がそれを送り出すのを感じる。


「これが、魔法」


 死への運命は覆せる。あやかには確信があった。


「マネキン野郎、覚悟は出来てるか?」


 稚拙な星空が照らす先。安っぽい挑発だった。それでも、己を奮い立たせるには十二分。拳を構え、使い魔に囲われるネガを見据える。


「来たか」


 女王の腕が振り下ろされた。使い魔どもが不届き者に殺到する。

 あやかは力強く魔本を踏み潰す。見上げる。本の中からそびえ立つ水色の巨人。両者の視線が、ぶつかり合う。牙の生えた本。ぺらぺらの騎士。大量の使い魔があやかを取り囲む。


「お前は――いつもそうだったな」


 振り抜く拳は軽く。手応えのない打撃を繰り返す。回し蹴りで吹っ飛ばした魔本で薄っぺらい騎士を押し潰した。


「使い魔どもに守られ、自分は安全地帯」


 数が多い。殴っても蹴っても湧いてくる。このままでは物量で潰される。しかし、二度の死闘を経て、不意をつかれることすら慣れてしまった。あやかは自分でも驚くほどに冷静だった。


「でもな。俺は、逃がさねぇぞ」


 どこに、誰に呟いた言葉だったか。見据える先、ネガは姿を眩ませていた。だからあやかは進む。脅威に向かい、一歩。それを繰り返せば辿り着くはずだった。しかし、使い魔どもがそれを阻む。


「覚悟はいいか――今、行くぞ」


 一歩。また一歩。その繰り返し。導くものは、白い光を発する道。繋がる先には童話の女王。宣言通り、あやかはその道に足を乗っける。直後、カタパルトのように発射されたあやかが、使い魔の群れを越えてネガへと突っ込む。


「――――ロード、てな!」


 一直線にネガの前に飛び出したあやかは、拳を強く握った。


「リロード」


 ガシャン。

 右手のリングから機械音。蒸気を吹き出し、逆転が推進力を生む。


「ショット!!」


 しなるように。弾けるように。あやかの拳は放たれた。迎え撃つは、水色の拳。

 一発なら及ばなかっただろう。二発で並べたかもしれない。だが、三発では。もっともっと何発でも。



「いっっけぇぇえええええええええええええええええ!!!!!」



 童話の女王が拳ごと吹き飛んだ。初めてのダメージらしいダメージ。だが、致命傷には足り得ない。あの巨体。やはり、ボディへの攻撃が必須か。


「けど――――効いたな」


 それは、決まれば倒せるということ。突破口は開かれた。あやかとネガは、今や同じ地平線上の存在だった。女王が叫び声を上げる。身を翻し、揺れる。血相を変えた紙の騎士達が主を守るために踊り出た。


「逃がすか――!?」


 揺れるように後退あとずさる童話の女王。追うあやか。阻む騎士。牙の生えた魔本があやかに群がる。


「リロード!」


 吹き出す蒸気。下に向けた連打の嵐は衝撃波を生み、使い魔どもをまとめて凪ぎ払う。だが、放った後の隙が大きい。幾重にも重なって厚みを増した騎士が、衝撃波を受け止めた。その手のランスがあやかに迫る。


「――――ぐっ」


 苦悶の声。脇腹を貫いたランスを無理矢理引き抜く。吹き出した血に気にしている余裕はない。


「リロード」


 ガシャン。

 左。ランスを矛先からへし折る。吹き出す血。歯を食い縛り、耐える。


「リロード……!」


 怯んだ騎士に、次は右のストレート。当てれば逃さない。無数の打撃が騎士を――


(外し、た――?)


 敵は単体ではなかった。魔本が足を喰らい、あやかの体勢が崩れる。拳は届かない。上から来る女王の拳。


「かはっ…………」


 血反吐を吐き、地に沈む。どくどくと溢れ出る血溜まりに、今度こそあやかは沈んだ。


(やべー、な……)


 ダメージが大きい。身体は動かず、意識は朦朧と。いくら魔法を使えるとはいえ、怪物と拳を交わそうとするのだ。傷だらけの身体は、当然といえば当然の末路。


(ちくしょう……何で、何でこんなことやってるのかな)


 使い魔どもが、死への足音が、近づいてくる。その頬に流れる一筋の雫。

 悔しかった。

 悲しかった。

 納得のいかない理不尽にさらされ、無尽の暴力に当てられる。そんな自分はただただ無力で、逃げることしかできない。


(戦いたい)


 ぼこり、と泡が浮かぶ。濁りを灯した心臓が、静かに揺れる。


(戦って、戦って、この手に――…………)


 あやかは、見た。遥か後方に置いてきた一間の指先が、ぴくりと動いた。まだ生きている。助けられる。その刹那の確信が、心臓をがしてらす。

 咆哮。

 両手両足の連撃。魔法ではなく、あやか自身の体術センス。それがマギアの身体能力で引き上げられる。これまで培ってきた技術と経験が、爆発する。


「――知ってるか、化け物」


 ランスで突貫する使い魔をねじ伏せ、あやかは仁王立つ。あの傷で、二足歩行は出来ないはずだった。生きているにしろ、後ろの一間のように、横倒しになっているはずだった。

 自然治癒力だけでは説明できない。摂理を超えた、超越的な現象。

 即ち――――魔法。


「ヒーローってのは――――ピンチの時ほど燃えるんだよ」


 その瞳は死んでいない。戦わない選択肢は存在しない。そうしないと掴めない。感情が膨れ上がる。だから、立ち上がるしかなかった。


「リペア!!」


 強引に自然治癒を。傷を塞ぐあやかに、紙束の、重厚な騎士どもが突撃する。


「伝える衝撃は逃がさねぇ、受け取りやがれ」


 この使い魔は学習する。女王の英才教育の下で。

 先頭の騎士が、二本のランスをアースのように構えた。衝撃を受け流す魂胆だ。しかし、拳を受けると同時にランスは粉微塵に吹き飛んだ。先程とは明確に違う、何かが。


「クラッシュ!」


 拳が騎士にねじ込まれる。衝撃が内側に積み重なり、やがて爆発した。衝撃の伝播。物質を伝わり、破壊力を染み込ませるための技術。あやかが生身で培った技術を、魔法が超常まで引き上げる。

 ネガが叫んだ。怒りか、悲しみか、あるいは恐怖か。後退る女王に、あやかはロードの魔法を繋げる。


「逃がさねぇ! ぶっ殺す!!」


 覚悟の顕現。踏み出す足は無限の一歩へ。そして、拳と拳が交わされた。


「リロードクラッシュ!!」


 吹き飛ぶ。陶器の右腕が、肩の付け根まで消し飛んだ。よろけるネガに、あやかは捕食者の笑みを浮かべる。


「ぐふっ」


 今度は、ネガの左腕。思いっきり叩き付けられたあやかは、再び使い魔の群れに落とされた。


「リペア!」


 叫ぶ。振り回す拳は使い魔どもを殱滅する。後退り、逃げるネガをあやかは逃さない。


「絶対に! 逃がさねぇ――ッ!!」


 最早、対等ですらなかった。狩る者と狩られる者は逆転した。ネガを狩るマギアが光の道を突き進む。


「リロードクラッシュ!!」


 今度は左腕。盾にするように突き出されたソレを、あやかが砕いた。

 だが、宿敵も止まらない。巨大なヘッドバットがあやかを叩き落とす。下には、疎らになってきた使い魔の群れ。ランスの矛先があやかを貫いた。


「「――――――――ッッ!!!!」」


 ネガが、判別不能の金切り声を発した。あやかもそれに負けない咆哮を上げた。リペアで強引に傷を塞ぎ、蹴散らした使い魔の上でネガを睨む。悶えるように身を捩るネガは、結界の奥へと退く。


「おい、気付いてんのか」


 ふらふらと覚束ない足取りで、あやかは言った。魔力は、尽きかけていた。魔法でも治し切れない傷が、彼女の精神を削りつつある。限界。その二文字が脳裏に浮かんだ。


「もう終わりだよ」


 だが、しかし。

 最後の騎士を殴り付けながら、あやかはそう宣言した。隙だらけのその姿に、攻めてくる使い魔はいない。もう、いない。童話の女王が叫んだ。身を守る従者を全て失い、その身すらぼろぼろになって。不自然なくらい輝く異様な星空の下。彼女は、空を仰いだ。


「リロード」


 ここまで来ると、幕切れは呆気ない。惨めで無様な女王が、空を仰いだまま活動を停止した。


「クラッシュキャノン――――ッッ!!!!」


 銀のグローブを強く握りしめ、拳がそのボディにねじ込まれる。凄まじい衝撃があやかを叩いた。マネキンの巨体が内側から崩れ落ちていく。火の点いた魔本は灰燼と化した。

 星空がぐにゃりと歪んだ。悪い夢物語が、ようやくめていく。


「勝った――…………」


 宿敵の最期を見届けて、あやかはついに力尽きた。

 やり切った。出し切った。そんな充足した表情が浮かんだ。生への実感があった。



 マギア・トロイメライ。

 その魔法の性質は――――『反復』。







『生き残ったのは、トロイメライか』


 霧散した結界で、ウサ耳がぴょこぴょこ揺れる。口を封じられた不思議生物は、倒れるマギアを見下ろしていた。


『君の援護は不要だったみたいだね』

「この子、笑ってる⋯⋯」


 緑のマギア。彼女は、血溜まりに沈むマギアに駆け寄った。明らかに重体で、まだ心臓が動いているのはマギアの強靭な肉体故だった。それでも、少女は安らかな寝顔を浮かべている。なにかをやり遂げたような、悪夢が終わったかのような、そんな笑みだ。

 事情を知らない緑のマギアは、優しく少女を抱き上げた。眠る少女が、ネガとの戦いに身を置いていたことくらいは聞いている。


「この子、病院に連れて行くよ。救急車より私の足の方が速いしね」


 緑の癒やしがあやかに満ちる。残されためっふぃは、辺りを見回した。


『生き残ったのがトロイメライなのは幸運だ。『終演』に対抗する手駒を失わずに済んだ』

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