トロイメライ・デスティニー

【トロイメライ、運命】



 足が動かない。

 追わなければ、と頭では理解していた。追って、それで何が出来るのか。逃げながら迎撃する一間と、それを追う真由美。あやかは、二人の眼中になかった。


「行け――行くんだよ、早く⋯⋯ッ」


 なんとかなる。そう思っていた。

 奇跡の逆転が起こって、都合良く三人で生き残る。そんな未来を、心の底では盲信していた。けれど、世界は都合良くなんて動かない。そう気付いて、死の記憶が今さらのように溢れ出す。


「また⋯⋯また、繰り返す⋯⋯⋯⋯」


 このままだと、全滅だ。二人の争いを、どうやって止めるのか。止めたとして、どうなるのか。手を取り合えるのか。理想は傾き、暗い影がかかる。あやかが取るべき手段は、別にあった。

 デザイアにつくか、メルヒェンにつくか。

 それは、もう片方を見捨てて、排斥すること。敵として見捨てて、残った二人であの童話の女王に挑むこと。


『トロイメライ、選択の場面だ』


 口を封じられたウサギが、あやかを見上げている。めっふぃは、はなからその選択しか考えていないようだった。デザイアか、メルヒェンか。それがマギアとして当たり前の世界なのだろう。

 あやかは目を瞑る。水色の少女に手を伸ばす。あの子のヒーローに。しかし、足引っ張るのは橙の思い出。最期の行動の意味。涙と、笑顔と、偽りでも切り捨てられない表情。網膜に焼き付く呪いの残像が。


「選択だ」


 声は真正面から。

 全身から血が滲み、息も絶え絶えな一間が、あやかに手を伸ばす。


「僕の、手を、取れ! トロイメライ!!」


 夜だ。いつの間にか、満天の星がマギアたちを見下ろしていた。







「⋯⋯それは、命乞いと捉えていいのかしら?」


 水色の刀を手に、真由美が追いつく。傷らしい傷こそなかったが、翻弄されたらしい。かなりいる様子だった。追撃を仕掛けないのは、こちらの出方を見ているからか。あやかがどちらにつくかで、勝負は決する。


「何を!? 僕たちは高梁を守る同志だ! 仲間だ! 君みたいな暴虐に屈するわけにはいかない!」


 白々しい言葉は、すぐに演技だとあやかには分かった。だが、ここまで追い詰められて、藁にも縋る思いなのは確かなようだ。必死さまでは誤魔化せない。


「ふぅん、私を裏切るんだ」


 軽蔑するような真由美の視線に、あやかは萎縮する。ああそうか、とあやかはうな垂れた。マギア・トロイメライの戦力は、貴重だ。だが、それだけだった。二人ともトロイメライの戦力が欲しいだけ。あやか本人は勘定に入っていない。眼中に、ない。


『トロイメライ、決断だ』

(俺は、誰にも求められていないのか――――⋯⋯)


 あやかは両手を上げた。そして、言った。


「勝手にやってろ。どっちも弱ったら俺が両方制圧する」


 水色の煌めき。真由美の横薙ぎがあやかに迫る。あやかがその刃を蹴り上げる。居合抜きを真上に弾かれて、真由美の表情が変わった。下がりながら投げる苦無くないが、あらぬ方向に飛んでいく。一間の吐いた泡が視界を撹乱していた。


「ひゅう! いいぞトロイメライ! やっぱり君は素晴らしい!」


 そんな白々しい台詞でも、心は動いてしまう。一間に振り回そうとした拳が止まってしまう。結果、真由美が孤立する構図が出来上がった。


「あっはっは! 形成逆転だよメーールヒェン!」

「おい止まれ!!」


 言葉は届かない。纏わりつく泡に動きを阻害され、振り下ろされる棍棒が少女に直撃した。庇うように上げた左腕から異様な音が響く。だが、水色の煙幕が姿を隠し、一間の追撃を遮った。


「だ、大丈夫なのか!?」

『マギアの肉体であっても今のは大きな痛手だね。けど、メルヒェンは魔法の扱いに長けている。これぐらいなら自力でどうにかするんじゃないかな』

「魔法⋯⋯だからどういうことなんだよ、めっふぃ」

『あれ、デザイアが教育するって躍起になっていたけど。聞いていないのかい?』

(あんの野郎⋯⋯⋯⋯!)


 魔法。マギアが操る超常の力。

 もちろん、今そこで泡を吹いている一間が知らないはずがない。彼女に都合が良いようにはぐらかされてしまっていた。これは、前回も前々回も同じことだろう。そこに限っては確信があった。


「⋯⋯俺はマギアの筋力に任せてネガをぶっ飛ばしてきた。その力は、魔法とは違うのか?」

『違うよ。マギアの基礎能力は、あくまでも物理法則に則ったフォーマットに過ぎない。一方、マギアの固有魔法フェルラーゲンは摂理を捻じ曲げる力だ。その間には、決定的な隔たりがある』


 手傷を負った真由美に、一間が猛攻を仕掛ける。その戦いを、あやかは注意深く見定めた。真由美の周囲に浮かぶ白い球体群。それらが合わさり、武器として形を成していく。


「一間は泡だな。真由美は、なんだ?」

『分からない。彼女は警戒心が強いからね。自分の魔法を誰にも明かしていないみたいだ』

「じゃあ――――俺は?」


 めっふぃからの返事が止まった。今まであやかが使っていた力は、固有魔法フェルラーゲンではなかった。ということは、あやかにはまだ隠された力があるはずなのだ。


『分からない。どんな魔法を手にしたのか、それは自分が投資した魂の願いに由来する。君自身が見出すしかないんだ』

「魔法があれば、俺は、もっと強く⋯⋯」

『けれど、無制限の力ではないことは忠告しておくよ。魔法を使うには魔力が必要だからね』

「続けてくれ」


 そう言って、あやかは駆け出した。一間が再び押し返されている。泡の量が目に見えて減っていき、棍棒だけで辛うじて凌いでいる。真由美も攻撃が大人しくなり、水色の双剣を持つのみだった。


『減った魔力を補充するためには、魔力飴ヴィレが必要だ。ヴィレはネガが捕食した人間の魂の搾りカス。マギアがネガを倒した報酬さ。もちろん、人間を十分捕食していないネガはヴィレを落とさないけどね』


 前のめりの一間を、足を蹴って転ばせる。疲労が溜まってか読みやすくなった真由美の太刀筋を拳で砕く。宣言通り、ここで二人を鎮圧するのだ。


『デッドロックは強かっただろう? 彼女はヴィレの数をしっかりコントロールして、魔法の消費を避けていた。力だけじゃダメなんだ、トロイメライ』


 折れた刀身。真由美が抜き身のまま掴む。その執念があやかの不意をついた。よろける一間の喉元に突き立てる。


『マギアの強さは、魂の、意志の強さだ。トロイメライ、君にはこれか「一間ああああ――――!!!!」


 もう、聞いている余裕は無かった。執念の刃は喉を斬り裂き、ドス黒い鮮血が噴き出す。


「やっぱり、そっちの味方をするんだ」


 血を流し、血を被り。それでも、なんでもないような顔で真由美は笑っていた。笑っていたのだ。踏み出そうとした足が鈍る。踏み外し、血だまりに足を取られて転んだ。自分の手のひらをズタズタに引き裂きながら、真由美が凶刃を向ける。


「デザイア!!」


 誰の咆哮か、考えるまでもない。魔法の棍棒が真由美の額に直撃した。首がもげたのかと思うくらい大きく仰け反り、小さな身体が血だまりに沈む。


「え、おい、大丈夫なのか…………?」

「マギアの急所は心臓。そこを穿つことなく余裕ぶっこいてくれたわけだ」


 思い出す。あの童話の女王の僕たち。使い魔どもに貪られている間も、あやかはしばらく生き続けた。その凶手が心臓に届くまで。

 だが、一間が限界なことには変わりない。両足は立っているのがやっとで、両目の焦点は合っていない。放つのはギラついた殺気だけ。

 けれど、止まらない。破滅願望デザイアは突き進む。


「…………ネガの結界では、魂が、感情の彩が、際立つ」


 真由美の声だった。

 あやかは、上を見て愕然とした。クレヨンで塗り潰された稚拙な星空が展開していた。早過ぎる。まだ、なはずだ。だが、たった二回の経験が一体どんな統計になるのだろうか。


「ネガは、感情を爆発させて、その彩を喰らう」


 倒れたまま、真由美が両腕を伸ばした。何かを受け入れるように。報われない自分への決別。どうしようもないもどかしさに、魂が揺れた。

 マネキンの両手が、少女を潰す。



「私を喰らえ。偽りの魂を矢に放て。この感情の彩は、貴女にあげるから」



 それは。

 あやかにとっては運命の啓示であり、真由美にとっては呪詛の囁きだった。



「フェアヴァイレドッホ――――夢心地メルヒェン


 少女の肉体がぐちゃぐちゃに破壊される。まるで、女王に捧げられた贄のような。


「ああ……破滅、的ぃ――――……」


 喘ぐような悲鳴に、あやかは振り返った。使い魔に食い散らかされる一間の姿。あやかは拳を振るった。何度も、何度も。

 感情の爆発。

 魂の彩。

 痛い。ものすごく痛い。あやかは実感した。全身の肉を少しずつ落としながら、辛うじて心臓が鼓動する一間を抱いて。どこまでも悠久に広がる、稚拙な星空を憎む。憎悪と怒りが、恐怖を上回った。


「お前は――――結局なんなんだよ」


 ネガは答えない。あやかには分かる。こいつは、こいつだけは絶対に野放しにしておけない。感情がその存在を許さず、理性がその暴虐を否定する。


「てめえのために、もう、一回ですら使ってやるもんか。ここで、絶対に、ぶっ殺す。俺は先に進むんだ。

 そして、ああ…………そうだな。

 てめえらみたいな、ネガとかいう化け物を……根絶やしにしてやるよ」


 童話の女王に、御託は通じない。だが、魂の揺さぶりは届いた。膨らむ殺気をこの身に受ける。殺意と殺意が衝突する。

 あやかは、抱いた一間の肉体を、静かに、優しく、自分の後ろに置いた。

 守るものが、なけなしでもあれば、きっと、もう少しだけ、強く在れる。



『生き残るんだ、絶対に』

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