デッドロック・インヴァジオン

【デッドロック、襲来】



 三日後。


「フェアヴァイレドッホ――――デザイア」


 橙のマギアは健在だった。用心深く、結界内に無造作に広がる芝生には足を踏み入れない。あやかも同じくネガを観察する。


(あれ、巻き込まれた人はいないのか?)


 そういえば、前回よりも早くに遭遇している。このネガに出くわしたのも、前のパトロール経路から外れた場所に行ったからだ。一間がマークしていたネガを狙いに行かないというのは気になったが、犠牲者無しでこのネガを倒せるのは僥倖だった。


「トロイメライ、退こうか」

「いや、なんでだよ!?」


 素であやかが突っ込む。一間は一間で『何をバカなことをお前はバカだ』とでも言いたげな顔をしている。


「だってアレ、意味分かんないし。迂闊に突っ込んで即死とか最悪じゃん」


 芝生からニョキっと伸びる謎生物がこっちを見ている。


(そのつぶらな瞳はなんだよ)


 このネガを放置しておけば、やがて多くの人間が犠牲になってしまうことをあやかは知っている。それでも、一間の言い分を否定出来ない自分もいた。

 身を以て知っているから。

 未知のネガに突貫してどんな悲劇に行き着くのかを。


「――俺は、一人でもやるぞ」

「マジかよ真面目ちゃん」


 あやかが、マギアの脚力を全開にして跳んだ。芝生の中央に咲く花を着地で踏み潰す。振り下ろす拳は、ネガの芝生にそのまま叩きつける。結界の大地が砕け、ネガの一部が消し飛んだ。


「――――ぶっ潰す!!」


 周囲から飛び出す植物群に、あやかは拳で立ち向かう。全方位からの攻撃を捌くのは厳しいが、視界に写る泡に背中を押された。一間のサポートは、ネガの攻撃を遅らせるもの。同時攻撃を捌けないあやかでも、攻撃に時間差があればなんとか対応出来る。


「トロイメライ! やっぱり無理だ! 一旦離脱しよう!」


 一間の叫び。だが、あやかはもうそちらを見ていなかった。彼女であれば、何が起きても自分だけは対処出来るだろう。信頼以上の確信がある。


「俺は、今度こそヒーローになる」


 だから、あやかにはもう敵の姿しか見えていなかった。いつの間に消えていた泡のことなど気にも留めない。熱くなるまま、怪植物を殴り飛ばし、素手で芝生を引き抜いていく。果てしない戦いだが、あやかのスタミナが無限ならば必勝と言えなくもない。そして、あやか自身はその気だった。


「ヒーローは、全部を救ってやるんだッ!!」


 その咆哮を、全方位からネガが取り囲む。一間のサポートがなくなった時点で、全方位からの同時攻撃を防ぐ手はない。あやかだからこそ、気付いてしまった。

 一瞬、立ち止まる。致命的な隙だった。大口を開ける人喰い植物が一斉に。



「これはこれは――――何事だってーの!」



 紅い閃光。

 誰よりも近くで見ていたあやかには、そうとしか思えなかった。光が刃の煌めきだったことに気付いたのは、一連の攻撃が終わってからだった。芝生から新たに同数の植物が生えてきたのを見ると、短槍を両手に構えた少女がその身を翻した。赤い、修道服。翻る布には、動きやすいように腰近くまでスリットが入っていた。


「ズラかるぜ」


 適当に槍を投げつけ、ひょいっとあやかが軽々と持ち上げられる。抵抗する間も無かった。鮮やかな赤髪に目を奪われる。マギアだ。直感で理解した。赤いマギアは宙に浮かぶ泡の群れを目指して走り抜ける。


「げげっ!?」


 一応結界の出口を守っていたらしい一間が、素っ頓狂な悲鳴を上げた。


「さっさとあけな、ぼんくらー!!」


 ネガの結界の出口。そこに三人のマギアは飛び込んだ。







「たーく、なに考えてんだよ」


 やや、舌足らずな声。それでもドスを効かせて、歴戦のオーラが感じられた。強い。あやかは一目で看破した。


「る、流浪るろうのデッドロック!? え、なんでお前がここに!?」

「相変わらずトロいな、デザイア。るろーの、て自分で言ってんじゃねーか」


 赤く煤けた、長い茶髪。ポニーテールなのかサイドテールなのか判別しづらい、中途半端な位置でまとめている。マギア衣装の時とは髪の色が違うみたいだ。赤いワンピースにカーディガンを羽織る少女は、一間にからかうような視線を投げている。その反応からして、一間は彼女と知り合いのようだった。


「あたしはあたしの居たいトコにいる。どっちつかずのデッドロック、それがあたしだ」

「だから、なんでここにいるんだよ⋯⋯!」


 一間が頭を抱える。疑問ではなく、嘆きのニュアンスだった。

 珍しい光景にあやかが固まる。デッドロックはうるさい一間をデコピンで黙らせると、あやかに向き直った。身長は、やや赤い少女が高いくらいか。


「よー新入り。おまえ、ヴィレを孕んでないネガにそんなに必死になってどーすんだよ?」


 そして、デッドロックは鋭い眼光を一間に向けた。


「てめーもてめーだ。ロクに新人のきょーいくができてねーじゃんか。もあたしが叩き直してやる羽目になったっての!」

「え、もう一人?」

(真由美のことだ⋯⋯!)


 真由美には、既に接触していた。一体、いつだ。前回も、前々回もそうだったのか。あやかは動揺を噛み砕いた。それより、第一に聞くべきことがある。


「真由美に、なにかしたのか⋯⋯?」

「ん? だれだ?」


 にやけ顔で、デッドロックがあやかを見た。底知れない威圧感。飄々ひょうひょうと躱す一間とは対照的に、という剣呑けんのんさ。虎の尾であり、龍の逆鱗。それでも、あやかは、もう立ち止まるわけにはいかなかった。


「ちょ、ちょっとトロイメライ! 奴はダメだ、やめとけって⋯⋯」

「マギア・メルヒェン。お前、接触したんだろ?」

「あー、あいつそんな名前だったか」


 もう一歩、前へ。あやかはさらに一歩近付こうとする。踏み込んで、拳が届く間合いに。だが。


「知りたきゃ――――吐かせてみなよ」


 上げた足を払われた。デッドロックが右足の捻りで器用に振ったのは、槍のだ。崩れた体勢を整えるあやか。視界からデッドロックは消えている。


「ねー、し・ん・い・り?」


 真横。完全にあやかの死角だった。頰に突き立てられた指が、信じられないほどに冷たい。あれが、槍先だったらと思うと。


「デッドロック。ここは僕の縄張りだよ」

「へー、ぼんくらが根性みせるじゃん」


 二人を取り囲むように浮かぶ大量のシャボン玉。デッドロックが指を引いた。あやかが拳を強く握る。デッドロックは、それも視界に収めていた。三歩分離れると、あやかを突いた指をくいくいと曲げる。挑発の動作だ。

 だが、あやかが踏み込んだ直後、デッドロックを背後から襲ったのは一間の棍棒。


「二人なら、勝てるとでも?」


 デッドロックはさらに後ろへ。振り下ろした棍棒のインパクトが、それだけでズレる。何でもないように持ち手を制したデッドロックが、手首のスナップだけで一間を地面に叩きつける。


「畳み掛けろ! トロイメライ!」


 シャボン玉が殺到する。このために展開させていた。追撃は不可能。大きく下がるデッドロック。いつのまにか持っていた大槍を地面に突き立て、身体を縫い止める。

 その真っ正面、拳を構えるあやか。


「おらッ!!」


 槍の長柄。インパクトの瞬間に横にズラす。右ストレートが受け流された。その勢いのままあやかが回し蹴り。長柄を今度は逆方向に動かして弾く。その勢いすら利用した、逆回転の回し蹴り。


「――――ッ!」


 初めてデッドロックの顔が崩れた。しゃがみ、直撃を回避。蹴り飛ばされた長柄を半回転させて、その槍先があやかの首元を捉える。


「ぐ――――!」

「⋯⋯⋯⋯」


 動かないまま、一秒。デッドロックが大きくバックステップ。二人の間に、無数の泡が噴出する。デッドロックは両手に短槍を握っていた。

 その動きは、あやかでも辛うじて目で追えるほどだ。瞬速の連続突きが、全ての泡を弾いた。


「あーやめだやめだ」


 直後、デッドロックが両手を上げて舌を出した。


「これいじょーは無駄に魔力をしょーもーする。ここをもらうのは、やっぱり割にあわねー」


 一間がほっと胸を撫で下ろした。しかし、あやかは何も納得していない。聞くべきことがたくさんあった。


「メルヒェンは無事だ。あたしがどーこーできるほどヤワには見えないぜ? このままだと新人二人に喰われちまうぞ、デザイア」


 試されていた。実力を計られていた。今更ながら、あやかはその事実に気付いた。圧倒的な実力差。それを目の当たりにして、あやかは。


「デッドロック、俺と一緒に戦ってくれる気はないか?」


 反射的に手を伸ばしていた。

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