トロイメライ・チャレンジ

【トロイメライ、挑戦】



 あやかは、ゆらりと起き上がった。まるで幽鬼の如く、そして能面のような無表情。その内側で、名前のない激情が暴れ狂っている。


(一間は、何をしたかったんだろう……)


 あの、最後の行動の意味は。

 答えは、もう誰にも分からない。戻ってきたこの空間に、あの橙色の時間はない。どうせあの夕暮れの公園でへらへら再会するのだろうが、それはもう、あやかの知っている一間ではないはずなのだ。だからもう、確かめようもない。


「どうなりたいか……何をすべきか」


 屹立きつりつする童話の女王。あの悪夢のようなネガを思い出す。


「真由美、一間……今度こそ、俺が――――」







「なに言ってんの? 頭でもイカれた?」


 洗いざらい全てを打ち明けた結果、愛しの親友の第一声がこれだった。あやかの表情が固まる。一間の例があったとはいえ、ここまでにべもなく否定されるとは思わなかった。しかも、きょとんと小首を傾げる素の反応で。


「どうしたら、信じてもらえる?」

「まず、病院の診断書をもらって」


 話にならない。アプローチを変えるべきか。あやかは不満げに唇を尖らせる。


「なぁ。マギア同士、コンビを組んで戦わないか?」

「……どういう風の吹き回し?」


 警戒されているのが、あやかにも分かった。無理もなかった。事実、マギア・デザイアは陥れる意図で近付いてきた。だが、それでも。


(俺のことも、信用出来ないってか……?)


 それが、何よりショックで。


『今の話、僕にも詳しく聞かせてもらえないかな?』

「うお……ッ!?」


 だから余計に不意をつかれた。飛び上がったあやかの頭に、お口バッテンの白ウサギがしがみついている。


「お前、そんなとこにいたのか…………」


 めっふぃがその気にならなければ、あの謎ウサギが認識されることはない。姿だけではなく、重さも感触も認識出来なかった。唐突に頭部へ重量を感じる。だが、見た目よりは大分軽かった。


『トロイメライ、君の精神状態が心配だ。いざと言う時に戦えないのであれば、マギアとしての「めっふぃ」


 遮ったのは、真由美の声だ。めっふぃは目をぱちくりさせる。


「もう、学校よ?」


 片手で筒を作って覗き込むのは、何のジェスチャーだったか。それを見ためっふぃが無言のまま消える。不可思議なやり取りに、あやかの口が引き攣った。

 めっふぃは、学校の敷地内に入ることを禁止されていたはずだ。

 他ならぬ、本人がそう言っていた。


「おほほ。奴が学校内に侵入することは、私が禁じているの」

(――だろうな。お前だろうなあって思っていたよ……)


 どうやって、は聞いても教えてくれなかった。







「なぁ、お前なんかあったのか?」


 放課後。ボクシング場でのスパーリング中、スパー相手からそんなことを言われた。


「は? なんで?」

「お前、なんか思い詰めてる顔してたからさ」


 そりゃあ、思い詰めもするだろう。だからといって正直に白状するわけにもいかない。あやかは適当に流した。


「なんかありゃ、頼れよ」

「は? だからなんで?」


 拳の応酬が勢いを増した。徐々に少年が押されていく。普段は少しずつギアを上げていくあやかだが、今回は違った。拳の一発一発。その度にあやかのギアが急激に上がっていく。猛攻、ラッシュ。その気迫は、女子中学生が軽々に出していいものではなかった。

 それはまるで、死線を潜り抜けた戦士のような。あやかは短く呼吸を切らす。


「俺より弱い奴に、助けを乞うのか?」

「⋯⋯乞われなくても、助けてやるよ」


 あやかは、肯定なのか否定なのかよく分からない吐息で答えた。


「あやか」

「何?」

「お前、部活とかやんないの? なんか新しいことでも始めてみろよ。お前なら何でも出来るんじゃねえか?」

「俺にはやることがあるっての!」


 グローブを投げつけて、帰り支度を整える。


「あやか」

「だから――――」

「頑張れよ」


 振り返ると、拳を突き出す少年の姿。自分よりも弱いはずのその拳が、一回り大きく見えた。


(そうだ、俺は助かりたいんじゃない。助けたいんだ。俺がヒーローになるんだ)


 思い出す。魂を投資するほどの、夢を。

 あやかは拳を合わせた。


「おう。頑張るぜ」







「いいわよ」

「え?」


 下校時間直前の図書室。帰り仕度をしながら、真由美は何気ない所作で告げた。反応出来なかったあやかがほうける。真由美は伏し目がちにあやかを見上げた。


「⋯⋯同盟、組んであげてもいいって言ってんの」

「マジか!?」


 あやかが、真由美の手を取った。喜びのあまり高々と上げて、身長差で真由美が振り回された。握力と筋力は雲泥の差で、抜け出せない。あやかの気の済むまで翻弄される。


「あ、ちょ――え、ねぇ…………」

「あ、悪い」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 目が回ったのか、足下が覚束ない。下からじっと見上げてくる様子は、ともすれば睨んでいるようにも見える。というか、実際そうだった。


「あ、ごめん。ごめん、マジで。いや、つい嬉しくて⋯⋯ごめん」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯いいけど。今日は先に帰る」

「ごめんなさい」

「ん。約束あるだけだから」

(約束⋯⋯? 誰と?)


 その断り文句に違和感を抱く。しかし、真由美にも事情があるのは当然のことだ。それは仕方がないことながら、あやかはぷぅと頬を膨らませた。


「⋯⋯⋯⋯なに?」

「やきもち」


 反応に困られた。


「ねえ⋯⋯いきなり同盟なんて、本当にどういう風の吹き回し?」

「危険が、ヤバいネガが近付いている。力を貸して欲しいんだ」


 真由美がはっとする。


「神里に行く気なの?」

「神里⋯⋯え、なんで?」

「⋯⋯⋯⋯勘違い。気にしないで」


 気になることを言う。そんな小さな肩が、どこか思い詰めている気がして。あやかは手を真由美の肩に乗せようとした。だが、無力感からの躊躇が手を止めさせる。


「帰るわ。週末は会えないから、一人で動いて」


 そう言って、少女は本当に先に帰ってしまった。不貞腐れたあやかは小さく舌を出した。真由美を一人にしてしまうことには不安もあったが、あの童話の女王が現れるまで時間がある。それに、真由美の邪魔をしてしまうのは逆効果な気がしたのだ。


「いいもんねー。こっちには、まだやるべきことがあるんだから」


 だから、今はもう一人のマギア。あの夕暮れの公園に行く必要があった。真由美と一間をどう折り合いつけさせるのかは難しいところだったが、先手を打つに越したことはない。

 もう、人もほとんど残っていない。あやかは昇降口に、のんびりと歩いた。二人のマギアを味方につけて、あの童話の女王を打倒する。そんな決意があった。


「あー⋯⋯そういや、そうか」


 校門からひょっこり覗く細長い影を見つける。そういえば、何度もめっふぃには待ち伏せされていた。学校に入れないのは本当らしい。あやかはその影に向かって歩いて行き。


(あれ、影長くない⋯⋯?)


 めっふぃにしては細長い影に疑問を持って、そして校門からこちらを覗いていた少女と出くわした。橙の少女は、右手のピースを横に倒し、その間から右目を覗かせる。

 そして、言うのだ。



「デザイア!」

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