デザイア・デザイア

【デザイア、破滅願望】



 まるで、時が止まったようだった。

 その空白の数秒で、既に一間は逃走していた。敵も味方も動きを止めた中で、ただ彼女だけが。そのことに気付いた瞬間、頭が働く前に、もう肉体が動いていた。全身がバネのように弾ける。自分でもどうやって動いたのかさっぱり分からない。

 ただ、空けられた数秒は、その高速軌道でゼロまで縮まった。


「おい――――ッ!!」


 殺気の篭った声に、全力疾走真っ最中の一間が振り返った。振り返ったその襟を、あやかが力尽くで引き寄せる。そのまま押し倒して馬乗りに。


「あれ⋯⋯僕の方に来ちゃった?」

「おい、一間、説明しろ。真由美は、どうして、あんな⋯⋯ッ!」


 怒りと、焦りと、息切れと。その他諸々が、言葉を封じる。荒い息遣いが一間に落ちる。締め上げられても、当の本人はあっけらかんと舌を出した。


「ツバ、かかってるよ?」

「どうしてッ!? どうして、真由美がッ!! あんな――――ッ!!!!」

「聞けよ⋯⋯」


 一間は、あやかの両手を優しく撫でる。震えが、自然と収まっていく。あやかは、自分が冷静になっていく過程を、この上なくリアルに実感した。呼吸が整う。あやかは両手を離した。一間は、今にも泣き出しそうな後輩の顔を見る。

 そして、と泡を吐いた。


「――お前、なら⋯⋯⋯⋯」


 破裂し、あやかの肌が裂ける。泡泡が、赤く染まった。シャボンのように視界を塞ぎ、怯むあやかの横を、一間が颯爽と駆け抜ける。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯そうすると、思ってたよ⋯⋯」


 あやかが、全力で地面を殴る。爆発するような衝撃が、結界を揺らした。小さな泡の群れなんて容赦なく消し飛んで、障害が駆逐される。一間が逃げ切れないのは、さっき示されたとおりだ。


「はっははは!! さあ、トロイメライッ!!」


 距離が縮まり、一間が両腕を大きく広げた。あやかの踏み込みが、拳が、その顔面を射程に捉える。


「――――ッ⋯⋯?」


 衝撃に備えてか、一間は目を堅く瞑っていた。だが、痛みも、衝撃も来ない。目を開けると、あやかの拳は目の前で止まっていた。握った拳を開いて、あやかの両手は、一間の肩に。


「真由美に、何があった。まず説明しろ」


 あやかは、冷静だった。その目はまだ死んでいない。


「訳知り顔で流してんじゃねえよ。全部話せ。俺だってマギアだ。真由美はどうなった。マギアの正体は、ネガの正体はなんだ。あのネガを倒す策はないのか!?」

「だからさ、そんな場合じゃ――」

「いいから話せよ! 何考えてるのか教えろよ! 仲間だろッ!!?」


 あやかは一間を引き寄せる。面と面を突き合わせて、視線を外さない。

 一間は、小さく口を開く。今度は突き放すのではなく――抱き締めた。


「⋯⋯メルヒェンは、あのネガにやられたよ。僕は彼女を囮に逃げたんだ。魂が抜けた肉体、つまり死体は、結界の崩壊に抗えない。マギアに触れていない限り、一緒に崩れて消滅する。あの子の遺体を回収したいなら、急いだ方がいい」

「どっちにしろ、あのネガはここで倒すしかない。だから策が欲しい」

「ネガ本体が出てきたのなら、君が直接打倒できる目はある。使い魔の数だって相当減らした。僕の分析に間違いがなければ、手薄なところを攻められる。そこから先は――出たとこ勝負だ」

「まだ、絶望して終わっていられる段階じゃないんだな。大丈夫。俺が、お前の策を、完全にしてやる。生きて帰って⋯⋯真由美のことを、話し合おう」


 抱き締めあって、お互いの体温が伝わる。二階堂一間という少女は、震えていた。小刻みに。あやかは大きく深呼吸をする。肺の空気を入れ換え、心を切り替える。

 あやかは先を見据えた。この奥の闇に、ネガはいる。今もこうして弱ったマギア二人を追ってきているかもしれない。一間の背後を、力強く見据える。



「トロイメライ――――だぁい好き、だよ」



 だから、気付かなかった。

 少女は、



「フェアヴァイレドッホ――――破滅願望デザイア







「不幸な奴には、不幸な末路がお似合いなんだ」


 デザイアとトロイメライ。二人のマギアが横倒しになる。


「不幸な僕には――破滅の末路しかない。嬉しいよ、今度こそ僕は全うできる」


 敵陣ど真ん中で、言い争いをしている余裕なんてあるはずがない。だから、この結果は必然だったのだろう。ネガの使い魔どもが二人を取り囲んでいた。


。嬉しいよ、今度こそ僕は全うできる」


 いつもみたいに、能面のような無表情で、感情たっぷりに、一間は心情を吐露した。芝居がいらないくらいの異常者ナチュラルボーン・サイコパス。そんなことを、果たして誰が言っていたか。

 一間はあやかに熱っぽい視線を送る。


「トロイメライ、大好き。僕と一緒に破滅してくれ」

「生き残りたいんじゃ⋯⋯なかったのかよ」


 消耗したあやかは、一間の奇襲で血溜まりに沈んでいた。抵抗はしたが、どうしてもトドメを刺すまで至れなかったのだ。


「あれ、嘘。僕はさ、。それが僕の、魂を賭けた願い。言ってなかったけど、僕って嘘吐きの悪い子なんだ」

「知ってるよ⋯⋯クソが」


 使い魔に、右足が噛まれた。火を噴く痛覚があやかを覚醒させる。振り下ろす拳が使い魔を潰す。膝立ちに、周囲を威圧した。


「トロイメライ、大好き――――邪魔なメルヒェンは、僕が殺したよ」


 その言葉に、あやかの心が折れた。


「ふふ、また嘘吐いちゃった。僕ってば、本当に不幸で不幸で破滅的」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯いやだ」

「トロイメライ、大好きだよ。一緒に破滅しよう。破滅こそが」


 あやかは、一間の表情を見た。あの表情は。



『この世の快楽の髄の髄なんだ』



 胸が、悲壮に満ちる。なんで、なぜ、そんな悲壮な表情で――――


「俺は、今でも、お前が⋯⋯⋯⋯だから、嘘だと――言ってくれ。たすけて、くれ」


 だから、苦しいのだと。

 直後、力強い風圧が、あやかの身体を凪いでいた。倒れたあやかは、その光景を、見た。

 血塗れで、あちこちから肉を落としながら、一間が棍棒を振るっていた。

 その行動には、果たしてどんな意味が込められていたのか。

 一間が何を考えているのか、結局のところ、あやかには分からなかった。

 使い魔が、まとめて吹き飛ばされた。数があまり残っていないのは事実だったようだ。波状攻撃に突っ込んでくる使い魔は疎らで、最低限の陣形すら組めていない。


「あれが、マギア――――――――⋯⋯」


 その姿を。あやかは、見た。

 一間は、泣いていた。顔を歪ませて、涙を零して、その目からは、グチャグチャの感情が溢れている。あやかと目があった。次の瞬間、一間の手から棍棒を落とした。取り繕うように、笑う。

 そして、右手のピースを横に倒し、その間から右目を覗かせる。



「デザイア!


 ああ――――破・滅・的ぃぃいいい!!!!」



 紙の騎士が、一斉に槍を突き立てた。飛びかかる魔本が手足を喰い千切り、一間の五体がズタズタに引き千切られる。突き付けられた破滅。生命の瞬間。その直前まで、少女の目はしっかりと見開かれていた。


「僕は不幸に破滅した。好きだぜ、トロイメライ。だから一緒に破滅しよう。英雄ヒーローなんてクソみたいなもん目指してないで――――僕と、こっちに来いよ」


 心臓が、潰れた。

 凄惨な死体だった。四肢は千切られ、胴体は穴だらけで、開ききった瞳孔は何も写さない。そして、しかし、死体は、笑っていた。


――――君は、どうなりたい?


 そんな問い掛けが聞こえた気がした。幻聴だ。既に両足を失ったあやかは、振り回した拳で使い魔の数を減らす。目蓋まぶたの裏に浮かんでは消えていく。

 トロイメライとデザイア、あやかと一間。

 二人で並び立ち、共に敵に立ち向かう。そんな祈りのような幻想が。

 そして、宿の姿を見た。幻想的な童話が描かれるような、そんな豪奢な装丁の巨大な絵本。そんな魔本から伸びる、水色の巨大なマネキンの姿を。

 まるで――――


「てめえ⋯⋯絶対に、ぶっ殺してやる――――ッ!!」


 行き場のない感情の全てが、殺意に集約される。そして。

 水色の。

 巨大な、拳が。

 肉を、押し、潰す――――

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