トロイメライ・クエスチョン

【トロイメライ、問い】



 言われて、あやかもただ納得できるわけがない。


「一間、お前がなにかやらかしたのは見てれば分かるよ」

「うん、分かってくれたか。じゃあまず僕の話を「そう言って、また俺をたぶらかす気だろ」


 一間は肩を竦めた。


「主導権は俺が握る。自分の目と、耳で、確かめたい」

「オーケー。聞こう」

「まず――これは、なんだ?」


 あやかは、黒い飴玉を掲げた。ネガの結界から現れた異物。真由美は、さも当然のようにそれを口の中に放っていた。拾い食いをする子どもではあるまいし、なにか意味のある行動だったはずだ。


「メルヒェンが言ったとおりだよ?」

「お前は、喋らないんだな⋯⋯」

「適役が他にいる。説明上手なウサちゃん、チュートリアルの時間だよ」


 一瞬だった。瞬きをした次の瞬間には、二頭身二足歩行のウサギが目の前に現れていた。やっぱりいたか、と一間が毒を吐く。


『おめでとう、トロイメライ。無事にヴィレを獲得したようだね』


 あやかは一間を睨む。彼女は、自分で話すつもりはないようだった。


「めっふぃ。これがあればマギアは魔力を回復できるのか?」

『あれ、知らなかったのかい? そのあたりのレクチャーもデザイアが請け負っていたはずなんだけど』


 あやかは、頭の中がスッと冷めていく感覚に包まれる。


「これはネガが落としたものか? 安全なのか?」

『ヴィレは、ネガが人間の魂の絞りカスだ。それらが凝縮されたものがヴィレとして具現化する。マギアに害はないよ。むしろ、率先して手に入れるべき報酬なんだ』


 報酬。

 それを、一間はどうしようとしていたのか。


『ヴィレは魔力の塊だからね。たくさんあれば、それだけ魔法は使いたい放題になる。こぞって欲しがるのは当然だ。ヴィレを巡って衝突することも珍しくない』


 デザイアとメルヒェン。その二人のやり取りを思い出す。彼女たちは、お互いに牽制し合っていた。ただ、あやかだけが蚊帳の外だったのだ。


「⋯⋯何も知らない俺を、ただ利用していたのか」

「そうだね。ま、最初の虫ケラちゃんのネガはヴィレを落とさなかったみたいだけど」


 一間はあっさり認めた。


「でも、君を使い潰す気は無かった。君は強いしとても有用だ。このままうまくやっていければと本気で思っていたよ」


 それに、と。空気が変わった。


「トロイメライ、君は恵まれている。そんな君に情報を与えれば⋯⋯僕なんてひとたまりもない。自衛のためにも、情報は伏せておくしかなかった」

「そんな⋯⋯ッ!?」

「これが、マギアの世界だよ。幻滅したかい、ヒーローもどき。なぁに、圧倒的な実力で慈善活動みたいにマギアも助けている英雄や、縄張りを持たずに好き勝手やれている浮浪者もいる。君は、そういうになればいい」


 一間は、両腕を広げた。その目に映るのは、果てしない闇だ。薄く、暗く、その口が歪む。一間がこれまで辿って来た道のりが、少女にこんな表情をさせている。


「⋯⋯こんな飴玉ぼっちに争って、なんになるんだよ」

『トロイメライ。ヴィレは、君にとってもとても重要なものだ』


 一間は、むんぞとめっふぃの耳を掴んだ。乱暴に持ち上げて揺らす。


「ちょっと黙って。空気読んで。消えて」

『虚々実々、理不尽だ』


 遠くにぶん投げられて、めっふぃの姿が消える。


「トロイメライ、君はどうなりたい?」

「⋯⋯なんだよ、急に」

「君はどんなマギアになりたい? その原動力は、戦う上で武器になる。行動の指針になる。信念を持て」


 どの口で、とあやかの口から漏れる。一間の細長い指があやかの髪に触れ、あやかはびくりと震えた。


「怖かったね。けど、怯えなくていい。君には戦う力がある」


 こんな状況でも、一間は一歩たりとも退いていない。この力強さはどこから来るのだろうか。


「生き残ること。それが僕の信じる道だ。たったそれ一つを拠り所に、僕は確かにこれまで生き残ってきた」


 一間が、静かに微笑む。その目は穏やかで、どこか慈しむように。


「君は――――どうなりたい?」

「俺は、ヒーローになりたい」


 間髪入れずにあやかは答えた。一間が、一歩下がった。その手を、あやかが惜しむように握る。


「チョロい」

「おい」

「僕はこういう奴さ」


 一間はニヒルに笑った。やはり、目は笑っていない。振り払われた手を、あやかは握り直そうとする。一間が二歩下がる。お互いに手を伸ばして、ぎりぎり届かない。そんな距離感で二人は立ち止まる。見つめ合う。


「トロイメライ。魔法の力は偉大だよ。マギアはどんな奴にもなれるけど、どんな奴にかはならないといけない。だから、決めつけるなよ。自分の答えをしっかり出せ」


 くるり、と。一間はあやかに背を向けた。細長い影があやかに届く。まるで、初めて会った日の夕暮れのように。それが、どこか象徴的な意味を持つような気がして、あやかはさらに手を伸ばす。


「どうした?」

「あ、いや⋯⋯」

「はは。メルヒェンに話をつけてくる。なんとか君の力にはなるように取り合ってみるよ」


 伸ばした手が、空を切る。







 それから、二日が経った。

 あれから、あやかは一間にも真由美にも会っていない。何かがあったらしいのは確かだ。今日も、朝のホームルームで真由美がする旨の連絡があった。明らかな虚偽だった。マギアは風邪を引かない。後悔と自責の念があやかの心の半分を占めていた。

 残り半分は。


(ああ――――――これが運命ってやつか)


 怯え。

 家の門に、ネガの結界の入り口が浮き出ていた。本能が囁いている。全身の細胞が警鐘を鳴らしている。トラウマ、なんて言葉で片付けられるものではなかった。ぐちゃぐちゃに塗り潰された真っ黒なキャンパス。あやかの胸中にドス黒い感情が燃え盛る。


「逃げよう」


 真っ先に、そんな言葉が口から漏れた。ネガは結界の外まで襲ってはこない。このまま回れ右して、どこかで震えて待っていれば、状況はマシになるはずだと。


『君は――――どうなりたい?』


 踏み止まったのは、多分、一間の言葉を思い出したからだ。あやかは黒い飴玉、ヴィレを口に含んだ。マギアの魔力を補充する飴玉。死闘を制する鍵となることを信じて。


「俺は⋯⋯ヒーローになりたいんだ」


 前へ、進む。


「フェアヴァイレドッホ――――トロイメライ」







「いくら最悪を想定しても、下の下は果てしないね」


 橙の少女は、血濡れの棍棒を振った。マギア・デザイアに外傷はないみたいだったが、生々しい血液の跡があちこちに残っている。魔法の泡が、血痕が拭い取る。


「ああ、ダメだ。雑魚専だし燃費悪いしで、こんなクソ魔法でどうしろと⋯⋯」


 一つ、大きな影が落ちる。長身の一間より、遥かに大きく、倍以上の大きさ。その圧倒的な威圧感に、足が震える。しかし、立ち止まることは、即ち、死。必死の形相で歯を食いしばりながら、一間が結界を駆ける。


「トロイメライ――あの駄犬ちゃん! どうしてこう真っ正直なのかなぁ!?」


 背後から、巨大な水色のマネキンが。

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