デザイア・チャレンジ

【デザイア、探りを入れる】



 ネガの結界。無数の蠅と蛆が蠢いている。その腐臭を、あやかの拳圧が切り拓く。


「なんだ、こいつ……?」


 その見た目の異様さでもない。心を切り崩していく異臭でもない。ドロドロに腐敗した悪意の呪詛でもない。デザイアは、新人マギアの鮮やかな攻勢にドン引きしていた。

 単純に、あやかはネガの動きの全てが予測できていた。違和感、というより既視感。あやかの持つ優れた戦闘勘とは、また別種の感覚だった。


(俺、前にもコイツと戦ったことある⋯⋯⋯⋯)


 違和感と既視感が、確信に変わる。縦横無尽に動き回るあやかの四肢が、マギアとネガの死闘の空気が、全身の細胞に体験を呼び起こす。戦いの中で、あやかの脳が覚醒した。


「俺――――――生きてる」


 含みのある言葉。自分の感情が、果たしてどんな色でこの言葉を吐いたか。あやか自身にも分からない。しかし、ネガとの激闘の間、確かに全身が生への実感に満ち溢れていた。

 魂が、悦んでいる。


「いやぁ――――いやあ、いやああ!!」


 喧しいくらいの大喝采。口の中で飴玉を転がしながら、デザイアが、シンバルを無心に叩くチンパンジーの玩具みたいな有様になっている。


「え、君本当に契約したばっか? 実は他所から縄張りを奪いに来たってわけじゃないよね?」

「縄張り⋯⋯なんのこと? それよりさ、聞いてくれデザイア!!」


 そう、あやかは既に思い出していた。この奇跡の現象。あの惨状にぶるりと身が震える。


「俺は――――この世界を一度やり直してるんだ!!」

「うわぁ⋯⋯サイコさんの方だったか」


 そのムカつく顔に一発ぶち込むのを、あやかは必死に思い止まった。







「前にも戦った、ねぇ⋯⋯⋯⋯」


 半信半疑というより、まともに相手をされていない態度だ。結界から戻った先、家への帰路の途中だ。飴玉(?)を口の中で転がしながら、デザイアは薄ら笑いを浮かべていた。


「あ、一応忠告しておくね。十中八九めっふぃがどこかで見ているから、隠し事をしたければよくよく考えて発言すること」

「いや、別に隠す必要はねえけど⋯⋯」


 ここにいるのかいないのか分からないめっふぃからは、特に反応がなかった。いるのか、いないのか。結局は分からない。


「おーい、めっふぃ!」


 なので、呼んでみることにした。


「無駄だって。あのウサちゃん割りとわざと反応しないことあるし。お風呂とかおトイレとか絶対に覗かれてるよ。ウサちゃんは性欲旺盛なんだ」

「異種族に欲情なんてしないって。そもそもアイツ、オスだったのか? 」


 あんまりな言われように、あやかは弁護に回った。


「無性らしいよ。アメーバみたいに分裂するんじゃない?」


 結果、謎の生態についての知識を得ることになった。無表情のまま分裂する二足歩行二頭身のウサギが思い浮かぶ。


「アイツ、本格的になんなんだ⋯⋯⋯⋯?」

「僕に聞くなよ⋯⋯⋯⋯」


 二人して、夜空を見上げる。満天の星が広がっていた。


「じゃなくて。とにかく、一週間後にやべえネガが現れて、俺はソイツにやられたんだよ!」

「ふぅん、面白い話だ」


 やはり、信じていない。


「しかも、結界は君の家に現れるから戦闘も回避できないと⋯⋯家族なんて見捨てたら?」

「できるかッ!! バカなこと言ってんじゃねえッ!!」

「あはは、バカ、ねぇ⋯⋯⋯⋯だってさあ、君の話は都合が良すぎるんだよ」


 ついに目も顔も笑わなくなったデザイア。


「ネガが、君の家に結界を張ったねえ。君の家は自殺の名所かなにかなのかい?」

「いや、違えけど⋯⋯」

「だったら考えにくい。それじゃあまるで、物言わぬネガが、君への殺意マキシマムみたいじゃないか」

「マキシマム⋯⋯かどうかはさておいて! ほんとなんだって!」

「うん、まあ。君の様子だとそうなんだろうね⋯⋯君の中ではね」


 確かに、こんな話は荒唐無稽。信じられるかどうかは難しいかもしれない。それでも、こんな風に無碍むげにされている現状はあやかを苛立たせた。


「だから「それは夢の中の話? 僕らはマギアなんだ、予知夢じみた現象も起こり得るよ。それとも妄想の話かい? マギアの力は強大だ。その力に溺れれば、人は自分を見失う。それでも僕がおかしいと言い張るのならば」


 デザイアは、自分の頭をトントンと叩いた。


「僕の頭がおかしいのかもしれない。僕がネガの術中にないという保障はどこにもないからね⋯⋯もちろん、君にも当てはまることだけど」


 ネガの、術中。有り得ない話ではなかった。


「だから⋯⋯そうだなぁ⋯⋯⋯⋯もう一人、別のマギアを見つけてくれば良いんじゃないかい? 流石にこの世界全てを堕とせるネガなんてのはいないだろう⋯⋯かの『終演』のネガじゃあるまいし」

「しゅうえん?」

「君が気にすることじゃない。あの伝説のネガは⋯⋯本当に実在すればだけど⋯⋯どこぞの英雄様が勝手に倒してくれるだろうさ」


 それって、と口を挟もうとするあやかを、デザイアの指が封じた。


「マギアの力は強大だ。知らずに頭がイカれてしまった奴もいる。僕だってその手合いさ」


 それに、と。


「そんななんかは別に、君の実力は紛れもなく本物だ。僕は君に興味が出てきちゃった」


 混乱するあやかの耳に、デザイアが口を寄せた。怪しくももを撫でるその手つきにドギマギする。吐息が、耳を濡らした。身長差を活かして上を陣取るデザイアは、どこか妖艶な表情を覗かせる。


「あはっ、耳まで真っ赤! 照れちゃって可愛い〜〜」

「な」


 抗議に開いた口は、デザイアの両人差し指にバッテンで塞がれた。


「今夜――――僕ん家に来ないかい?」

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