デザイア・トライ

【デザイア、ご挨拶】



 翌朝。

 真由美は、集合場所でげんなりと俯いているあやかという珍しいものを見た。


「デザイア! おはよう、お二人さん!」


 オレンジズボンの長身女が電柱の陰から現れた。真由美はあやかを見る。あやかは目を逸らした。その反応で、真由美は諦観とともに空を見上げた。


「おはよう、お二人さん! デザイア!」


 キラッとデザイアが横ピースの隙間から右目を覗かせた。イラッとしながら真由美が口を開く。


「誰?」

「………マギア・デザイア。俺たちの先輩だって」

「デザイア!」


 自己主張の激しい横ピースポーズでくるりと回る。相変わらず目が笑っていなくて少し不気味だ。しかも不躾ぶしつけに、値踏みするように真由美に視線を這わせるのを隠そうともしない。


「ちっこいね、後輩ちゃん」

「っ」


 ビクッとあやかの肩が跳ねた。姫がお怒りだ。


「ご紹介に預かり。僕はマギア・デザイア、高梁市を担っているマギアだ。ダイドウジマユミ、君の名前は?」


 その、奇妙な尋ね方に引っかかるあやかだったが、真由美はそうでもないらしい。すんなりと口を開く。


「マギア・メルヒェン」

「? マギア・メルヒェン? メルヒェン! うん、よろしくね」


 デザイアが伸ばした細長い右腕を、真由美は無視した。そのままぷいっと顔を背けると一人でさっさと走って行ってしまう。


「………とてとて走って可愛いね、あの子」

「だろ!?」


 興奮気味にあやかが同意する。微妙に重心を下げ、スカートのヒラヒラが危うい攻防をしている光景を見つめている。デザイアは表情を変えないまま、困った後輩の頭をはたいた。


「いたっ」

「なにしてんだ君は。正義のヒーローが変態さんだと困っちゃうよ、全く」

「ええぇ~~」


 変態が変人に抗議の視線を送る。拗ねたように唇を尖らせるあやかの頭に、今度は優しく手を乗せられた。


「全く。全く全く。全くだよもう。君には期待してるんだぞ」


 デザイアがうりうりと頭を撫で続ける。くすぐったそうに頭を揺らすあやか。その様子は、あたかもじゃれている子犬のようだった。


「へへ、期待されてるね。こりゃ、俺も頑張んなきゃなあ!」

「張り切りすぎるなよ、ルーキー。ネガを見つけたらちゃんと僕を呼ぶように」

「はぁい」


 額を突かれて諫められる。ネガとの戦いは命がけだ。死線、死闘。それでも、あやかは生き残った。その手には、超常のマギアの力が備わっている。戦う力が、人を救える力がある。魂が滾った。

 その手をぐっと握って。







「まーゆーみっ」

「…………なに」


 避けられても、逃げられても、学校というコミュニティからは逃れられない。昼休みの喧騒に紛れながら、あやかと真由美は人気のない裏庭に向かっていた。


「まだ拗ねてる?」

「なんのこと?」


 そっぽを向いてとぼけられる。その様子が可憐だったので、そういうことにしておこう。あやかはだらしなく口元を緩めながら。


「デザイア。アイツ、俺たちと同い年なんだって。変な奴だけど、良い奴だよ」


 真由美が立ち止まった。じっとりとした視線を向けられるが、あやかにはご褒美だ。


「ねえ。そのデザイアって子、一緒に戦った?」

「ああ! ぶくぶくぅって泡吹いてすごかったぜ! 戦い慣れているって感じだな!」


 戦い慣れている。

 その言葉のチョイスに、真由美は眉をひそめた。失言に気付いたあやかは、はっと口を押えた。この少女の目敏さはよくよく身に染みている。


「その子、強かった?」


 真由美は、これでもあやかとの付き合いは長い。だから、知っている。元々彼女が勝負事、とりわけ荒事に滅法強いのだということを。

 つまり、見抜く目が養われている。


「マギアの強さってのがよく分からない」

「自分っていう基準があるでしょ」

「………あんまりって感じだ」


 あやかは、観念した。


。多分、元々喧嘩慣れしてないんじゃないかな。付け焼き刃の戦い方をひたむきに練習した、みたいな。正直、ネガ相手に一人で戦わせ続けるのは不安だ」

「そう。じゃあ、私がデザイアと組むメリットはないわね」


 真由美は小さく口を歪めた。その言い方はあんまりで、あやかはむっとする。


「そんなことないだろ。同じマギアなんだ、仲間として一緒に戦おうぜ」

「必要ない」


 だって、と。


「私の魔法は、何でも出来るのだから――――」


 妖艶に微笑む水色の少女に、あやかは背筋がぞくりとした。知らない表情だった。まるで悪魔にでも取り憑かれているような。


「それと、一つ警告」


 次の瞬間には、元の表情に戻っていた。あやかが何も言えないうちに、言葉は続く。


「デザイアには警戒しなさい。弱者が生き残っているのは、それなりの創意工夫や権謀術数があったからよ。同じマギア相手でも油断しないで」

「デザイアは、俺の仲間だ。これ以上侮辱する気なら、怒るぞ」

「ふふ、アンタはそれでいいわ」


 翻って、真由美は去り際に呟いた。


「アンタも自分の才能に胡坐をかかないこと。少しでも未知があったら大人しく引き返さないと…………あっさりと寝首を掻かれるわよ?」


 あやかが、ぽかんと口を開けた。

 水色の少女が浮かべる昏い笑み。それはあやかが今までに見たことのない表情だった。







 それから、一週間が経った。


「焦っているね。少しは落ち着いたらどうだい、トロイメライ」


 二人は、高梁市のパトロールに奔走していた。落ち着かない様子のあやかの頭を、デザイアが押さえつける。


「………昨日も今日も、真由美が学校を休むなんてありえない。もし、ネガにやられてたりしたんなら」

「だから落ち着けって。風邪で寝込んでるって話だろう? 中学生の娘が失踪したというなら、もっと大事になっているはずだよ」

「まぁ、そうなんだけどよぉ………」


 落ち着かない。あやかの第六感が、奇妙な危険信号を発し続けていた。胸騒ぎが、全身に駆け巡る。


「これだけ探して、ネガが見つかっていないんだ。今、高梁にネガはいないよ」

「前回の奴から一週間も経ったんだぞ?」

「一週間かそこらでネガがうようよ湧いてたまるか。神里市じゃあるまいし。ネガは貴重なんだぞ」


 デザイアは口元を塞ぎながらあやかの視界から外れる。

 一方のあやかは、そんな彼女の様子を気にしたそぶりを見せず、口を開く。


「なあ、デザイア」

「ん!?」


 急に振り返ったあやかに、デザイアがむせた。


「真由美ん家、親が厳しくて大変なんだ。習い事や勉強に、遊ぶ時間も捨てて、意外と頑張り屋さんなんだよ。いつも放課後遅くまで残って勉強してさ。すごい奴だって」


 あの、実は頑張り屋さんな、小さな少女のことで頭がいっぱいだ。退屈そうにストレッチを始めるデザイアの両手を掴んで、あやかはぐっと顔を近づけた。


「そんなんだから、性格も歪んじゃって。お前に失礼なことしたのは、俺が代わりに謝る。だから、アイツの助けになるように協力してくれないか? ネガは、一人で倒すには手に余る……」


 デザイアは、その手を振り払った。


「いいよ。ネガの捜索に、メルヒェンの勧誘も加えよう。あの子の家に………………ってその状態じゃ知らないのか」


 あやかが、苦虫を噛み潰したような顔をする。個人情報は、堅く守られているのだ。聞いて話してくれるような少女でもない。


「じゃあ、方針は今までと同じだ。ネガを見つけて、狩る。メルヒェンが死んでいたら、数日もしない内に、学校で騒ぎになるはずだ」

「死……ッ!?」

「そりゃそうだろ。ひょっこり風邪が戻ってくるのも、あっさり死んじゃうのも。可能性としては存在するわけじゃない?」


 デザイアは、静かに笑った。

 やはり、その目は笑っていない。


「現実感が薄れているのは危険な兆候だ。僕らはマギアである以前に、限りある生命体でもある。死ぬのは当たり前だ。良い奴も悪い奴も、死ぬときは死ぬんだ。君は今までの人生で学ばなかったようだ」


 その言葉が。その光景こそが。なによりも現実感のない絵画のようで。


「そして――――メルヒェンはマギアだ。もちろん、君と僕もね」


 真っ直ぐ見つめてくるデザイア。その瞳の奥に濁る闇を、あやかは見た。デザイアは、きっと死を実感していた。生命としてソレを見据え、真正面から向き合い続けてきた。

 なんとなく、分かった気がした。

 彼女がこれまでどうやって生き残ってきたのかを。


「震えているね。今のコンディションで戦うのは得策じゃない。たとえ、ネガを見つけたとしても。だから今日は解散だ。少しは考える時間が必要だよ」


 何かを言おうとしたあやかの唇が、細長い人差し指に封じられた。

 今日は解散、とデザイアは言ったのだ。あやかが止める間もなく、先輩マギアはどこかに去っていった。







 結論から述べると、あやかに考える時間は与えられなかった。

 慣れ親しんだ我が家の扉に、ネガの結界の入り口が浮かび上がっていた。

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