トロイメライ・ファースト
【トロイメライ、初陣】
二人のマギアは、ネガの結界に飛び込んだ。
波打つ結界の入り口を、めっふぃはじっと見つめている。
『意思疎通というのは、本当に難しい』
マギアを導く白ウサギ。マギア・デザイアは「大事なことを喋らない」なんて揶揄していたが、めっふぃにも悪気があったわけではない。
『全てを開示し、理解してもらうことは、人間のスペックでは不可能だ。だからこそ、どうやって理解してもらうか考えて、与える情報を選ばないといけない。慣れないものだ』
だが。
それを責められるのは、お門違いも甚だしい。
『君だってそうだろ、デザイア。君も大事なことをトロイメライに伏せたままだ』
悪気はなく、そこにあるのは企図だけだった。
企みであり、意図でもある。どのように相手を動かしたいか。マギアの戦いは、もう既に始まっている。
『虚々実々、理不尽だ。どれだけネガが暴虐を尽くしても、その呪いは君たち自身が生んだものだ。トロイメライは、ちゃんとそのことに気付くのかな』
♪
腐乱の『ゴーン・オフ』
このネガは「愚直」の性質を持つ。
魂まで腐り果てた果ての果て。
何も考えない、何も感じない。
ただただ目の前の動きに這い寄ることだけを。
愚かに直進するも、傍からは不乱の捕食者の如き。
反射のままに突き進む。それがこのネガの全て。
♪
「フェアヴァイレドッホ――――デザイア」
あやかの変身を見届け、デザイアがマギアへと変貌した。彩度の異なる橙の布を張り合わせたドレスのような。しかし、真由美のゴスロリドレスとは違い、襤褸布のような印象があった。
「ん? 君のマギア衣装、中々格好良いじゃないか」
「先輩は…………なんか、独創的?」
「よく言われる」
ここは、ネガの結界の中。
酷い臭いだった。生ゴミを積み上げて、まるでピラミッドでも積み上げたように、あちこちでゴミ山が聳えている。醜悪で、悪趣味で、卑賤な。嗅覚で感じるより、視覚でのダメージの方が大きかった。
一面、ヘドロのような結界だった。
「うげぇ⋯⋯⋯⋯虫もすんごいな」
あやかは、特に虫に対して忌避感を抱いたりする性格ではなかった。だが、辺り一面耳障りな羽音を響かせる蠅と、ところどころに蠢く蛆虫の白い斑点。それらを見て何も感じないほどに、人間性を捨て去ってはいない。
「ムシさん? ネガの結界に生物なんているわけないでしょ。アレ、全部使い魔だよ」
一方、腐臭にも虫にも何にも感じないデザイアが、冷静に戦局を分析する。
「あっちゃあ⋯⋯放置すると使い魔が増殖するタイプだったか。こりゃ、楽勝のレッテルは取り消しだね」
こちらも戦力を増強してきたが、敵も同様だった。それは、どういうことかというと。
「トロイメライ。君の実力に僕の生命がかかっている。死力を尽くせ」
とんでもないことを真顔で言い放った。突っ込もうとするあやかだが、ここは戦場だ。敵は待ってくれない。蠅の群れが殺到する。
「うおっっと!!」
さらっと逃げたデザイアはともかく、純粋な反射神経で回避したあやかは中々のものだろう。まるで、カマイタチのようだった。蠅の群れが激突した地面が、切り刻まれたかのように抉り取られる。
「トロイメライ! そいつらは群体の使い魔だ! 一体一体対処するんじゃなくて、ネガ本体を狙え!」
「ってもよお!!」
二撃。三撃。蠅の数は数え切れない。それだけの攻撃が断続的に続けられる。
「ゴミ山は飛び込むな!!」
デザイアが声を張り上げる。跳躍したあやかが、マギアの脚力で強引に着地点をズラす。あちこちに乱立するゴミ山には、蛆虫の斑点が。不用心に突っ込んだら、とんでもないことになりそうだった。
「俺はどうすれば!?」
「自分で考えろ!! って言いたいけど、とにかくネガを狙ってくれ。僕の魔法は雑魚専だから、アシストに回った方が効率がいい!!」
(魔法って、なんだ⋯⋯ッ!?)
説明されていないことが多過ぎる。とにかく、あやかが見据えるべき敵は。キッと結界の奥に目を向ける。バスケットボールほどの巨大な蠅が滞空していた。恐らく、あれがネガ本体。あやかは狙いを定める。
だが、それを阻む小蝿の群れ。
「いいッ! そのまま走れッ!!」
ここで、デザイアが飛び出した。その手に握るのは、武骨な棍棒。蠅の群れを叩き潰し、その口がもごもご動く。
吐いた。
しかし、それは吐瀉物ではなく、無数の
泡の一つ一つが蠅を封じ込め、圧し潰す。
(え、なんだあれ!?)
あやかは地を蹴りながら疑問符を浮かべた。そういえば、真由美も最初のネガとの戦いでは色んなものを出していた。
「よう、やく⋯⋯追いついたぜッ!!」
羽音が
「――――っんだいきなり!!?」
足。
宙返りのよう突進を回避するあやかが、勢いのままオーバーヘッドキックを決めた。着地の衝撃を膝でクッションし、溜めて、溜めて、弾き跳ぶ。
「うそぉん!?」
物理的に泡を吹くデザイアが驚きの声を上げた。まるで弾丸のように飛び上がったあやかが、蹴り飛ばされたネガに追いつく。
「くらえ、インパクト!!」
ありったけの運動エネルギーを叩きつけ、巨蠅が墜落した。結界内に振動が響く。ゴミ山が崩れ落ち、それは即ち蛆の行動範囲が広がったことを意味する。
「世話の焼ける、後輩さんだッ!!」
無数の泡があやかを囲う。殺到する蠅と蛆からあやかを守る壁だ。一斉に弾け、使い魔たちが消し飛んだ。
「サンキュ、先輩!」
「油断かましてると、コロっと死んじゃうよ」
その言葉に、あやかは不敵に笑った。だって、彼女にはもう勝利の一撃が見えている。
よろよろと飛び上がるネガの全身。無数の複眼が蠢いていた。まるで波打つように奇妙な紋様が震え、四枚翅を空気に叩きつきながら一直線に向かってくる。
「決めてやる!」
「正気かよ、クレイジーガール!」
跳ね上がったあやかに、デザイアは応えた。その足に魔法の棍棒を合わせ、突っ込んでくるネガに向かって振り抜いた。
「――――ッッ!!!!」
口から漏れる吐息は言葉にならず。水っぽい轟音とともに、ネガの肉体が破裂した。
「正気も正気、本気だよ」
ネガの死体から降り注ぐ腐った体液を拳圧で吹き飛ばし、あやかはにっかりと笑った。
『だって俺は、ヒーローなんだぜ』
♪
「やるじゃないか、トロイメライ! 正直、侮っていたよ! 囮くらいにはなるだろうってつもりだった」
「あざっす! ……え、最後なんて言った?」
はははははは、とデザイアはあやかの肩を抱いた。やはりその目は笑っていない。デザイアはひょいと屈むと、何かを拾い上げてポケットにしまった。自然な行動にあやかは小首を傾げたが、尋ねる前にデザイアが上機嫌で捲くし立てる。
「すごいすごい! 契約したてでそれだけやれるなら、その才能は本物だよ! こんなルーキーが加わってくれるなんて、高梁市の未来は安泰だね! 先輩として鼻が高いよ!」
「えぇ~そうかなぁ~」
持ち上げられて、照れるようにあやかは頭を掻いた。賛美麗辞がこそばゆい。その言葉は、どこか特別な響きがした。頬を染めてはにかみながら、あやかは胸を張る。
「それに、俺一人じゃないんだ! 真由美っていう頼れる姫さんもいるんだよ!」
「へ? なにそれ聞いてないよ?」
がらっと空気が変わる。その落差に、あやかは不穏なものを感じた。言葉を発せずにいると、結界が崩れ、元の世界に帰還していた。
「めっっっふぃいい!!」
『どうしたんだい、デザイア』
そして、二足歩行のウサギのような生命体に向かって。
「マギアが二人? 僕は聞いてないぞ、考えすらしていなかったぞ」
『新しいマギアが誕生したって、言わなかったかい?』
「二人! も! なんて! 聞いて! ないんだよッ!!」
その耳を引っ掴んで、持ち上げて、デザイアがめっふぃを揺らす。その光景が小動物虐待のように見えて、あやかは咄嗟にデザイアを引きはがした。
『重要だったかい?』
「ふざけんな。今日という今日はぶちのめしてやる」
意外と無事そうなめっふぃがとぼけたように小首を傾げた。激昂するデザイアを宥めるあやか。だが、突如としてその矛先があやかに急転換。
「まゆみ、と言ったね」
「あ、ああ、うん……俺の親友だ」
薄ら笑いであやかの両肩を掴み、デザイアが口角を上げた。こんな時でも笑顔はチャーミングだった。鼻先まで顔を突き出され、あやかはしどろもどろだ。
「よし! その子も僕に紹介してくれ」
その目は、今日一番に笑っていなかった。
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