トロイメライ・ファースト

【トロイメライ、初陣】



 二人のマギアは、ネガの結界に飛び込んだ。

 波打つ結界の入り口を、めっふぃはじっと見つめている。


『意思疎通というのは、本当に難しい』


 マギアを導く白ウサギ。マギア・デザイアは「大事なことを喋らない」なんて揶揄していたが、めっふぃにも悪気があったわけではない。


『全てを開示し、理解してもらうことは、人間のスペックでは不可能だ。だからこそ、どうやって理解してもらうか考えて、与える情報を選ばないといけない。慣れないものだ』


 だが。

 それを責められるのは、お門違いも甚だしい。


『君だってそうだろ、デザイア。君も大事なことをトロイメライに伏せたままだ』


 悪気はなく、そこにあるのは企図だけだった。

 企みであり、意図でもある。どのように相手を動かしたいか。マギアの戦いは、もう既に始まっている。


『虚々実々、理不尽だ。どれだけネガが暴虐を尽くしても、その呪いは君たち自身が生んだものだ。トロイメライは、ちゃんとそのことに気付くのかな』






腐乱の『ゴーン・オフ』


このネガは「愚直」の性質を持つ。

魂まで腐り果てた果ての果て。

何も考えない、何も感じない。

ただただ目の前の動きに這い寄ることだけを。

愚かに直進するも、傍からは不乱の捕食者の如き。

反射のままに突き進む。それがこのネガの全て。






「フェアヴァイレドッホ――――デザイア」


 あやかの変身を見届け、デザイアがマギアへと変貌した。彩度の異なる橙の布を張り合わせたドレスのような。しかし、真由美のゴスロリドレスとは違い、襤褸布のような印象があった。


「ん? 君のマギア衣装、中々格好良いじゃないか」

「先輩は…………なんか、独創的?」

「よく言われる」


 ここは、ネガの結界の中。

 酷い臭いだった。生ゴミを積み上げて、まるでピラミッドでも積み上げたように、あちこちでゴミ山が聳えている。醜悪で、悪趣味で、卑賤な。嗅覚で感じるより、視覚でのダメージの方が大きかった。

 一面、ヘドロのような結界だった。


「うげぇ⋯⋯⋯⋯虫もすんごいな」


 あやかは、特に虫に対して忌避感を抱いたりする性格ではなかった。だが、辺り一面耳障りな羽音を響かせる蠅と、ところどころに蠢く蛆虫の白い斑点。それらを見て何も感じないほどに、人間性を捨て去ってはいない。


「ムシさん? ネガの結界に生物なんているわけないでしょ。アレ、全部使い魔だよ」


 一方、腐臭にも虫にも何にも感じないデザイアが、冷静に戦局を分析する。


「あっちゃあ⋯⋯放置すると使い魔が増殖するタイプだったか。こりゃ、楽勝のレッテルは取り消しだね」


 こちらも戦力を増強してきたが、敵も同様だった。それは、どういうことかというと。


「トロイメライ。君の実力に僕の生命がかかっている。死力を尽くせ」


 とんでもないことを真顔で言い放った。突っ込もうとするあやかだが、ここは戦場だ。敵は待ってくれない。蠅の群れが殺到する。


「うおっっと!!」


 さらっと逃げたデザイアはともかく、純粋な反射神経で回避したあやかは中々のものだろう。まるで、カマイタチのようだった。蠅の群れが激突した地面が、切り刻まれたかのように抉り取られる。


「トロイメライ! そいつらは群体の使い魔だ! 一体一体対処するんじゃなくて、ネガ本体を狙え!」

「ってもよお!!」


 二撃。三撃。蠅の数は数え切れない。それだけの攻撃が断続的に続けられる。


「ゴミ山は飛び込むな!!」


 デザイアが声を張り上げる。跳躍したあやかが、マギアの脚力で強引に着地点をズラす。あちこちに乱立するゴミ山には、蛆虫の斑点が。不用心に突っ込んだら、とんでもないことになりそうだった。


「俺はどうすれば!?」

「自分で考えろ!! って言いたいけど、とにかくネガを狙ってくれ。僕の魔法は雑魚専だから、アシストに回った方が効率がいい!!」

(魔法って、なんだ⋯⋯ッ!?)


 説明されていないことが多過ぎる。とにかく、あやかが見据えるべき敵は。キッと結界の奥に目を向ける。バスケットボールほどの巨大な蠅が滞空していた。恐らく、あれがネガ本体。あやかは狙いを定める。

 だが、それを阻む小蝿の群れ。


「いいッ!  そのまま走れッ!!」


 ここで、デザイアが飛び出した。その手に握るのは、武骨な棍棒。蠅の群れを叩き潰し、その口がもごもご動く。

 吐いた。

 しかし、それは吐瀉物ではなく、無数のあぶくだった。

 泡の一つ一つが蠅を封じ込め、圧し潰す。


(え、なんだあれ!?)


 あやかは地を蹴りながら疑問符を浮かべた。そういえば、真由美も最初のネガとの戦いでは色んなものを出していた。


「よう、やく⋯⋯追いついたぜッ!!」


 羽音が五月蝿いうるさい。バスケットボールほどの黒い球体に、四枚翅。その全身が複眼となっていて、死角を狙うのは無理そうだ。動くものを見つけ、ネガが反応した。それまでじっとしていたネガが、急発進であやかを襲う。


「――――っんだいきなり!!?」


 足。

 宙返りのよう突進を回避するあやかが、勢いのままオーバーヘッドキックを決めた。着地の衝撃を膝でクッションし、溜めて、溜めて、弾き跳ぶ。


「うそぉん!?」


 物理的に泡を吹くデザイアが驚きの声を上げた。まるで弾丸のように飛び上がったあやかが、蹴り飛ばされたネガに追いつく。


「くらえ、インパクト!!」


 ありったけの運動エネルギーを叩きつけ、巨蠅が墜落した。結界内に振動が響く。ゴミ山が崩れ落ち、それは即ち蛆の行動範囲が広がったことを意味する。


「世話の焼ける、後輩さんだッ!!」


 無数の泡があやかを囲う。殺到する蠅と蛆からあやかを守る壁だ。一斉に弾け、使い魔たちが消し飛んだ。


「サンキュ、先輩!」

「油断かましてると、コロっと死んじゃうよ」


 その言葉に、あやかは不敵に笑った。だって、彼女にはもう勝利の一撃が見えている。

 よろよろと飛び上がるネガの全身。無数の複眼が蠢いていた。まるで波打つように奇妙な紋様が震え、四枚翅を空気に叩きつきながら一直線に向かってくる。


「決めてやる!」

「正気かよ、クレイジーガール!」


 跳ね上がったあやかに、デザイアは応えた。その足に魔法の棍棒を合わせ、突っ込んでくるネガに向かって振り抜いた。


「――――ッッ!!!!」


 口から漏れる吐息は言葉にならず。水っぽい轟音とともに、ネガの肉体が破裂した。


「正気も正気、本気だよ」


 ネガの死体から降り注ぐ腐った体液を拳圧で吹き飛ばし、あやかはにっかりと笑った。



『だって俺は、ヒーローなんだぜ』







「やるじゃないか、トロイメライ! 正直、侮っていたよ! 囮くらいにはなるだろうってつもりだった」

「あざっす! ……え、最後なんて言った?」


 はははははは、とデザイアはあやかの肩を抱いた。やはりその目は笑っていない。デザイアはひょいと屈むと、何かを拾い上げてポケットにしまった。自然な行動にあやかは小首を傾げたが、尋ねる前にデザイアが上機嫌で捲くし立てる。


「すごいすごい! 契約したてでそれだけやれるなら、その才能は本物だよ! こんなルーキーが加わってくれるなんて、高梁市の未来は安泰だね! 先輩として鼻が高いよ!」

「えぇ~そうかなぁ~」


 持ち上げられて、照れるようにあやかは頭を掻いた。賛美麗辞がこそばゆい。その言葉は、どこか特別な響きがした。頬を染めてはにかみながら、あやかは胸を張る。


「それに、俺一人じゃないんだ! 真由美っていう頼れる姫さんもいるんだよ!」

「へ? なにそれ聞いてないよ?」


 がらっと空気が変わる。その落差に、あやかは不穏なものを感じた。言葉を発せずにいると、結界が崩れ、元の世界に帰還していた。


「めっっっふぃいい!!」

『どうしたんだい、デザイア』


 そして、二足歩行のウサギのような生命体に向かって。


「マギアが二人? 僕は聞いてないぞ、考えすらしていなかったぞ」

『新しいマギアが誕生したって、言わなかったかい?』

「二人! も! なんて! 聞いて! ないんだよッ!!」


 その耳を引っ掴んで、持ち上げて、デザイアがめっふぃを揺らす。その光景が小動物虐待のように見えて、あやかは咄嗟にデザイアを引きはがした。


『重要だったかい?』

「ふざけんな。今日という今日はぶちのめしてやる」


 意外と無事そうなめっふぃがとぼけたように小首を傾げた。激昂するデザイアを宥めるあやか。だが、突如としてその矛先があやかに急転換。


「まゆみ、と言ったね」

「あ、ああ、うん……俺の親友だ」


 薄ら笑いであやかの両肩を掴み、デザイアが口角を上げた。こんな時でも笑顔はチャーミングだった。鼻先まで顔を突き出され、あやかはしどろもどろだ。


「よし! その子も僕に紹介してくれ」


 その目は、今日一番に笑っていなかった。

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