高梁編〜宿敵邂逅、童話の女王は悪夢に嗤う〜

一、「だって俺は、ヒーローなんだぜ」

トロイメライ・スクール

【トロイメライ、学校生活】



 高梁中学への通学路は、いつも風が乾いている。

 高梁市がそもそも内陸の土地なのだ。外れの方角を進めば境川さかいがわという大きな川があるが、無駄に川幅がある上に切り立った断崖みたいな有様なので、隣の神里市に行く用事がなければほとんど無縁のものだった。


「真由美真由美! 昨日はすっごかったよな! あれ、どうやって色々出してんだ?」


 真由美が怪訝そうな顔であやかを見上げる。


「何の話?」

「マギアだよマギア! 昨日のネガは激戦だったな!」


 興奮気味に捲くし立てるあやか。一方、真由美は表情一つ変えずに視線を前に戻した。一分ほど、奇妙な沈黙が流れる。るんるん気分で姫のご尊顔を覗き込むあやかを邪険に払い、真由美がようやく口を開いた。


「……めっふぃは今どこにいるか分かる?」

「あー……そういえば、昨日の戦いから見てないなぁ」

「そう。あんまり不用心にマギアとかネガとか口にしないで」

「ああ、そうか! 正義の味方だから、正体は内緒なんだな!」

「そうじゃなくて……」


 言いかけた真由美が、面倒そうに黙った。彼女が考えながら会話するとき、よく口が止まるのをあやかは知っていた。にこにこ続きを待つあやか。だが、それ以上真由美が口を開くことはなかった。

 慣れ親しんだ中学校が、目の前に現れる。







 十二月三十一日ひづめあやかという名前は、学校では知られたものだった。快活で、優秀で、いつの間に人の輪の中心にいる。そんな学校の人気者だった。

 バカっぽい性格とは裏腹に、テストの点数も良くて、見た目通り体育の授業では大活躍。今日も一日、充実したカリキュラムをこなせたと、自信を持って言える。

 放課後、そんなあやかが向かう先。


「ッ……! ファイトぉぉー!!!!」


 体育棟のボクシング場だ。汗くさいボクシング部の男子に混ざって、あやかがサンドバックをタコ殴りにしていた。高梁中ボクシング部には男子しか入れないので、一番暴れている女子生徒は、とにかく異彩を放っていた。


「っし!! はッ!!」


 だが、そんなものはお構いなし。

 上段正拳をぶちこんで跳ね上がったサンドバックが戻ってくる。身を沈め、回り込むように回避。そこから沈めた体躯をバネのように伸ばし、振り子のように戻ってきたサンドバックに回し蹴りを叩き込む。

 サンドバックが真上に跳ねた。単純な筋力だけではない。小柄でありながらも全身を波にして最大限の力を最高点でぶつける。


「そぉれ――インパクト!!」


 波。衝撃の伝播。物質を伝わり、破壊力を染み込ませるための技術。

 あやかにとってはまだまだ未完成な部分もあるが、類い稀なるセンスが生み出すその技術は、一般人から見れば神業でしかなかった。


「相変わらず、すごいけど訳分からんことやってるなー」


 声は後方から。濡れタオルを首に巻き、クールダウンしている男子生徒。


「お、タクじゃん! サボりとはいいご身分だなー」

「さっきまで乱闘してたわ!!」


 現ボクシング部主将、安藤拓也。あやかとは小学生の時からの顔馴染みだ。


「はっはっは、そう怒るな。なんだったら、成長具合を確かめてやってもいいぜ?」


 安藤拓也、その名前もあやかに負けず劣らず有名だった。高梁中ボクシング部の期待のエースとして入部して順調に主将の座を勝ち取った実力者。幼少よりボクシングに打ち込み、目指すはプロボクサーだ。

 一方のあやかは、中学に入ってから突如として格闘技に目覚めた新参者。しかし、その打ち込み具合は目を見張るものがある。生物学上女性というだけで入部できないことに、彼は常々残念がっている。


「よし、言ったな。今度こそ泣かす。ぼこぼこにしてやるからな!」


 その光景を見て、面白がった彼の同期がゴングを鳴らした。互いに拳を交わす。




「な、中々やるようにはなったな……」


 しばらくして。

 息を荒くするあやかが見下ろすのは、すっかりのびてしまったボクシング部の主将。今まで彼は、あやかに一度も勝ったことがない。


(ほんと、化け物だな……)


 プロを目指すのを諦めようかと半ば本気で思う。ここら一帯では有数の実力者である彼でも、あやかには適わない。

 異常だ。ボクシングの経験年数は段違い。そもそも男女の筋力差をものともしない。


(てか、こいつ本当に女か……?)


 これは小学生の頃からの疑問だ。格闘技を始めたのは割と最近だが、その前から身体能力はずば抜けていた。

 上を見る。汗ばんだシャツが体に張り付き、柔らかいラインが浮き彫りになっている。目立つ二つの膨らみをしばらく眺めて、一言。


「お前、エロくなったなぁ……うん、女だ!」

「よし、第二ラウンドだ。泣かす」







「よっす!」

「ああー、あやか遅かったねー」

「ボクシング部に殴り込みだよーん」

「たっくんいじめるのもほどほどにしてあげなよ……」


 部活動の時間だ。

 ここに来るまでにボクシング部に寄り道し、県大会記録保持者の幼馴染を殴り倒してきたのだが、いつものことなので軽く流された。ボクシング部への入部資格のないあやかは、『総合格闘最強部』とかいう謎の部活動を設立していた。


「んー? 今日はカレリンだけ?」


 しかし、あやか以外の部員はそこまで熱心ではなかった。

 格闘技の漫画のページを捲りながらソファに寝っ転がるのは、江戸川可憐。通称、カレリン。コナンと呼ばれるとキレる、あやかのクラスメイトだ。彼女は小学生の頃から合気道をやっていたらしい。時々道着を身に着けてそれっぽいことをしているが、全く実戦には向かなそうな動きだった。


「副部長もいるよん」


 そんなサボり魔が指差す先、奥の方で黙々と筋トレを続ける小柄な少年は、白井透。総合格闘部の副部長である。寡黙な少年で、クラスも別なあやかはあまり話したことがない。だが、背の低さがコンプレックスらしく、時々いじると楽しい。 


「……二人だけ?」

「ま、寂れてるからねー」


 総合格闘技の部活、というのが名目上のもの。実際は色々格闘技をやってみたいあやかが適当な名前を付けたところ、教師が勝手に勘違いしただけの話。

 与えられた部室は、使われなくなったウエイトルームをそのまま押し付けられた。PTAからの苦情が厳しいらしく、ベンチプレスなどの危険が認められた筋トレ器材は粗方撤去されている。


「っても、最近一年がサボり過ぎ」


 彼女ら三人に加え、部員は一年男子二人を含めて五人。ぎりぎり部活存続を認められる人数だ。

 あやかとしては自分が暴れられる拠点さえあれば十分なのだが、せっかく作った部活なのだから続いて欲しいとも考えている。

 ただ、そこまで執着はなかったみたいで。


「ま、いっか。シャワー浴びてくるわ」

「いってらー」


 軽く流される。そして、備品の筋トレ器具だけがお友達の副部長の様子を盗み見る。

 筋トレの成果はあって、かなり逞しい身体にはなった。だが、格闘技の方は正直残念。喧嘩も弱そうだ。


「そんなに筋トレだけしても背伸びなくなるだけだぞー」


 ぼそっと一言。

 背後で見えない何かに串刺しにされた少年がうなだれた。







「今日も今日とて順調順調♪」


 夕陽が照らす廊下を楽しそうにスキップする。あやかが向かう先は図書室だ。意外と努力家な姫様が下校時間まで勉強に励んでいるはずだ。


「ま、ゆ、み、さーん……あれ、いねえ」


 図書室は、もぬけの殻だった。正確には貸出カウンターで司書の先生が爆睡していたが、いつものことなので勘定に入れていない。こんな時間まで残っている生徒はそれこそ真由美くらいだったが、今日はいないみたいだ。朝からそっけなくされていて少し寂しくなる。


「しゃーない。帰るか」


 これが、あやかの日常。

 十二月十一日ひづめあやかの、日常。


『待っていたよ』


 そして、日常に加わるのは非日常。校門からぴょっこり顔を出して待ち構えていたのは、めっふぃだった。


「あれ、いたの? 昨日からどこ行ってたんだよぅ!」

『昨日? まあ、それはいいさ。それよりトロイメライ、これから時間は空いているかい?』

「ん? マギア関係か。いいぜ、ネガがまた現れたか?」


 あやかが大股で校門を越える。めっふぃは軽やかな動きであやかの頭にしがみついた。


『断定はできない。だが、その兆候はある。だから、君にはまず会ってほしい相手がいるんだ』

「え、誰?」


 あやか首を傾げる。つられて、めっふぃが肩まで滑り落ちた。


『マギア・デザイア。高梁市を取り仕切るマギアで――――即ち、君の先輩にあたる』

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