トロイメライ・プロローグ

【トロイメライ、始まりの門を潜る】



 あやかは自分の世界を思い浮かべる。光り輝く世界の飛沫を。一人の少女は、確かな実感を持っている。それは、どれだけ幸せなことか。どれだけ価値があることか。

 この世界を、守りたい。

 そして、それ以上に。


(なるんだ――――勇者ヒーローに)


 あやかは、欲しいのだ。


「俺は、人より波瀾な道を辿ってきた」


 両親の顔は知らない。親戚周りをたらい回しにされる、あの、疎外感。そんな環境で、あやかの人格は形成された。


「確かに、ちぃっとばっか下り道もあった」


 それでも、姉は優しかった。愛してくれた。学校に行けば、あやかには友達がたくさんいた。そして、あのお姫様のような親友の隣に立てるように。絵本で見た勇者ヒーローが、あやかの心を動かしてくれた。

 自分も、あんな風になれる。なりたい。


「でもな、その苦渋の一粒一粒の積み重ねに俺は立っている。だから夢を見ることが出来たんだ。それは絶対なんだ」


 そのために、少女は自身の魂を賭けられる。



「だから、俺は――――


 世界一幸せなんだって」



 信じて疑わない。あやかは、右の拳を真っ直ぐに突き出した。

 憧れた夢そのものではなく、それに至るための光の道標を口にする。

 自らが掴み取ることこそが、少女の夢なのだから。


「『この幸せな時間を、何度でも繰り返したい』」


 モノクロの光があやかを包んだ。心臓が焦げ付きそうだった。圧倒的な、熱量が、流れ込んでくる。心臓がどくんと跳ねた。全身に灰色の炎を巡らせるような、そんな力強い鼓動が。確固たる力を感じて、あやかはにっかりと笑った。


『契約は成立だ。さあ、魂に刻まれた断章を口にするといい』

「フェアヴァイレドッホ――――トロイメライ!!」


 モノクロの戦闘服があやかを包み、灰色のマフラーをぐっと引き締める。握る拳には銀のグローブ。両手首にそれぞれ二つずつ揺れるリングがぎらりと光る。

 即ち、マギア・トロイメライの誕生だった。







『来たようだね。世界の災厄、呪いの具現。見なよ、トロイメライ。あれが、ネガだ』


 毒々しい極彩色の、高さ十メートルほどの凱旋門がそびえ立っていた。その門の中央、波立つように空気が揺れている。あやかは絶句した。想像を絶する化け物だった。あんなものが地滑りで動いているのだ。尋常ではない。


「というか、ここどこだ……?」

『ネガの結界、現実世界の法則から隔絶しただよ。ネガは、それぞれが固有の結界を持ち、その結界が人の魂を吸い寄せる。ここに迷い込んだ人間はまず助からない』


 あやかはぐるりと周囲を見渡した。

 極彩色の地面が、果てもなく広がっている。地平線は確認できない。空に高く高く昇る漆黒の月が、一面平面の世界を見下ろしていた。遮蔽物もないので、巻き込まれた人間がいないのは一目で分かった。

 ひとまず、あやかは胸を撫でおろす。


「じゃ、俺はとにかくあの化け物を退治すればいいんだな?」

『その通りだ。そして、君は幸運なことに一人じゃない』


 水色の光が降り注いだ。まるでスコール。上空から水色の矢がネガを乱れ撃ちにしていた。派手な大跳躍から、小柄な水色の少女が着地する。少女は弓矢を構えながら、あやかを一瞥した。


『彼女は、マギア・メルヒェン「真由美か!?」……あれ、知り合いだった? 彼女も君と同じくマギアになりたての子だから、協力してネガを倒してね』


 真由美は、無言であやかに人差し指を向けた。

 水色のゴスロリ衣装が、まるで陶器のような冷たさを醸し出す。


(うっわ、マギア衣装もかわヨ……)


 惚けるあやかに、真由美の指が二本増える。鉄砲のジェスチャーだ。右手でジェスチャーを続けながら、真由美は左手でフィールドスコープを覗いている。


「来るッ!」


 鉄砲の手から、白い球体が放たれた。それはあやかに直撃し、たまらず吹き飛ばされる。そして、同時に凄まじい駆動音が耳を叩いた。


「跳んで!」


 飛ばされた勢いのまま、あやかが空中で宙返りする。着いた足をバネのように弾ませて後ろに跳んだ目の前、毒々しい極彩色の凱旋門が土煙を上げながら通過していった。


「体当たり、だとォ!?」


 あやか、ビビる。あの巨体で凄まじい高速移動だった。ただ小回りは効かないのか、大きく円を描くように方向転換してくる。二撃目を、あやかは右に跳んで回避する。


『ネガは、途方もない攻撃手段を持っているものが多い。油断してはいけないよ』


 めっふぃはあやかの背中にしがみ付いていた。狙われたら問答無用で轢き飛ばされかねないので、あやかも文句は言わない。

 ドドドドドドドドド。

 凱旋門が走る。その真正面に、水色の少女。あやかの喉が干上がった。直撃コースだ。だが、極彩色の地面から水色の爆風が巻き上がる。動きが止まった凱旋門に向かい、真由美がサーベル片手に突っ込んだ。


(真由美、あんまり運動神経良くなかったろ!?)


 慌てて駆け寄るあやか。真由美の背後、虚空から水色の飛沫。瞬時に五本のサーベルが掃射され、一斉にネガの巨体に突き刺さる。


「PGYUUUUUUUOOOOOOOOOOO[[:[:@{{``~`@@@@!!!!!!!!」

「あぁん!? なんだ、今の音!?」

『ネガの悲鳴だ。奴らは独特の発声・言語体系を有している。理解しようとするだけ無駄さ』


 ネガの中央、真由美のサーベルが振り下ろされる。

 だが。


「――――――――ッ!!」


 走るあやかが、何より、間近で直視した真由美が息を飲んだ。

 門の中から、妙に逞しい腕がぬっと伸びた。拳の形だけでも真由美の全身に匹敵する巨大な腕だ。そして、真正面ストレートに拳を振り抜いた。


「マジかよ!?」


 直撃の直前、水色の盾が真由美を守る。それでも、巨大な質量のインパクトまでは殺しきれない。砕け散った大盾から真由美の肉体が派手にぶっ飛ばされる。あやかは、その軌道に躍り出た。


「ぐ、おお、おおおおお――――!!!!」


 口から咆哮が、命の叫びが溢れた。守りたい少女の身体をしっかり抱き抱えて、散々ぶっ飛ばされたあやかがようやく二本足で着地した。


(俺、生きてる!!)


 それが一番の衝撃だった。


『無茶をしたね、メルヒェン。いくらマギアが超人的な身体能力を有するとしても限度があるよ。君たちは無敵じゃない。戦い方は考えないと』

(あ、やっぱりそうなんだ……身体に力がみなぎってる)


 お姫様を恭しく立たせながら、あやかは両手を開いては握った。全身に漲るこの力は。今ならなんでも出来そうな気がする。


「真由美、今度は俺が行くぜ」

「……手はあるの?」

「ここに」


 あやかは右手を掲げた。真由美が若干嫌そうに顔を歪め、それでも水色の突起が地面から生えるのを見て、あやかはご満悦だった。クラウチングスタート。あやかの足のセッティングにぴったりの配置だった。あやかは、息を深く深く吐いて、全身を脱力する。派手に飛ばされた分、ネガとの距離は確保できた。土煙を上げながら突撃してくる化け物を、燃える眼光が捉えた。

 心臓が、大きく脈打つ。

 酸素が、灼熱と化して全身に吹き込まれる感触。その背に、小さく、ひんやりとした手が乗せられた。力を感じる。水色の魔力があやかを覆った。


「照準はこちらで定める。意識の全てを破壊力に充てて」

「了解ッ!!」


 熱い。

 心も。身体も。

 小さく、そして力強い衝撃を後ろから受け、あやかは一本の矢と化して飛び出した。全ての音が置き去りにされる。ネガから太く逞しい腕が伸びた。あやかの拳が、それに応じて。


「音速弾丸――――マッハキャノンッッ!!!!」


 振り抜く。

 一撃でネガの全身にヒビが入る。肉片と化した腕を押しのけ、あやかはを潜って、向こう側に転がり落ちる。


「見たかッ!!」


 大の字に倒れながら、勝ちどきの咆哮を上げる。


「これが十二月三十一日ひづめあやかだッ!!

 俺が、マギア・トロイメライだあああああ――――ッッ!!!!」


 魂の咆哮。

 それは、自らの意志を夢に投資した少女の生命そのものだった。






『タイトルコール・プロローグ』


このネガは「祝福」の性質を持つ。

ようやく物語の幕開けだ。

始まりを華々しく飾るのは、門出の門。

門をくぐると魂は天上に召される。

そこは、誰も知らない新世界だ

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