四章 金星と闇の大祭 2—2
(威さん。威さん。威さん——)
助けに来て。会いたいよ。
すると、信じられないことが起こった。
魚波の泣き声を聞きつけたように、威の声がした。
「魚波か? そこにいるのか?」
「威さん?」
かいちゅう電灯の光が、さっと、こっちに、さしつけられる。
まぶしさに、一瞬、目をとじた。
茂みの前まで、かけよってくる足音がする。
目をあけると——
そこに、威がいた。
葉っぱのすきまの向こうに、威の顔が、のぞいてる。
「威さん——」
魚波は格子戸をあけ、はいだした。
やっぱり、ずるい人だ。威は。
なんだって、こんな場面で、さっそうと登場してくるのだろう。まるで魚波の心を読んだように。
会いたいと、心から願ってるときに……。
思わず、涙ぐんで、魚波はとびついた。
威のほうは、ぽかんと口をあけてる。魚波のカッコのせいだ。
「……そうか。今日は雪ちゃんの番だったんだな。おまえが代わりにってことか。やっぱり兄妹だなあ。よく似てるよ」
「威さん。なんで、もどってきたかね? 雪絵は?」
「雪ちゃんは大社の知りあいのうちに預けてきた。大丈夫。前に世話になった人で、信頼できるから」
大社まで行って、すぐにまた引き返してきたのだ。
「村のしに見つかったら、威さんも危ないに……」
「おまえを置いていけないよ。行こう。おまえも、いっしょに」
「でも……」
「おまえだって、ほんとは怖くて泣いてたんだろ?」
あわてて、魚波は手の甲で涙をぬぐう。
「こうは(これは)違うけんね」
魚波は背後をかえりみた。
砂雁が追ってくるようすはない。
が、油断はできない。
砂雁のことは尊敬していた。
まさか、あんなことをしてくるとは思ってなかった。少しガッカリだ。
「とにかく行こう」と、威は魚波の手をつかんだ。
「誰かに見つかる前に、早く村を出よう」
「威さん……」
うれしい。二度と会えないと思っていただけに、こみあげてくる喜びを止めようがない。
(わも行って、いいだあか? わも、威さんと……)
威は川沿いの道を歩きながら、たずねてきた。
「魚波。もう、御子は宿したのか?」
「えっ?」
急に思ってもみないことを聞かれて、魚波はおどろいた。
「……なんでだ?」
「重要なことなんだ。もう宿したのか?」
威の顔つきは真剣を通りこして、なんだか、怖い。
(威さんの家は、家族が若死にすう呪いの……)
呪いをとく方法を探していると話していた。
もし、威が御子を宿せば、どうなる?
事故や病気では死なない体になる。
威の家族も、一人ずつ順番に御子を宿していけば……。
(ウソだ。威さんは、そぎゃん人じゃ……)
でも、じゃあ、どうして、こんなに血相変えて、もどってきたのか?
ほんとに、魚波が心配だったから? それだけ?
威は意思も強い。行動力もある。
家族を守るためなら、あるいは——
「……威さん。もしも、わが御子を宿しちょったら、どげ(どう)する?」
魚波の足はしぜんに止まった。
けげんな顔でふりかえる威は、当然のことのように言った。
「もちろん、今すぐ、村からつれだすよ。おれといっしょに東京へ行こう」
ああ、やっぱり、そうなのか。
威……だったのだ。
たくみに村人の信頼を得ながら村の秘密をかぎまわり、呪いをやぶる手段を見つけた。
そして、早乙女や寺内夫婦を……。
一男のときには村にいなかったが、こっそり、もどってきていたのかもしれない。ほんとに大社まで行ったかどうかも怪しい。
すっと、両眼から涙がこぼれおちるのを、魚波は感じた。夜気に、ひえびえと冷たい。
(威さん……信じちょったに……)
魚波は威の手をふりほどいた。
暗闇のなかを走りだす。
「魚波! どうしたんだ。待ってくれ——」
威が追ってくる。
魚波は道をそれ、林のなかへ逃げこんだ。
やみくもに走り続ける。
そのうち、威の足音が聞こえなくなった。
どうして、みんな、魚波を裏切るのだろう。
みんな、汚い。人間なんて、みんな汚いのだ。
この世に信頼に足る人間なんて、ただの一人もいないのだ。
(吾郷さんも最初は優しかった。わは信用しちょった。なのに、あぎゃんことを……)
となり村から郵便物を配達に来ていた吾郷。よく魚波の家の茶屋で一服していった。
ふもとの町のことや、流行のお芝居や、いろいろなことを話してくれた。ときには、お菓子もくれた。
やさしくて楽しいお兄さん。
そう思ってたのに、あの日、滝つぼへ向かう途中で出会ったとき——
「ナミちゃん。ちょっと話がああけん。来てごしなはい」
滝つぼのほうへ、どんどん奥へと入っていく。人家はなくなり、ひとけもなくなった。
「どこまで行くかね? ここは勝手に入ったらいけんとこだが」
「もうすぐだよ」
原っぱまで来ると、吾郷は豹変した。
いきなり、草むらに押し倒された。
唇をふさがれ、目のくらむような感覚に、魚波は我を忘れた。
その間の記憶がない。
気がついたとき、吾郷はいなくなっていた。
下腹がズキズキしていた。快感にも似た痛み。
けがされたのだなと思った。
それで……そのあと、どうしたんだっけ?
(砂雁が来て、何か話したような?)
あれ? 何を話したんだっけ?
あのときの記憶は何もかも、あやふや。
そういえば、何か約束したような……。
——ナミちゃんが泣いちょったけん。大人になったら……。
放心して、魚波は歩いていた。何かをふんでしまった。変な感触。足元を見て、悲鳴をあげる。
そこに人が倒れていた。
わずかの月光でも、それが生きている人でないことはわかった。銃で眉間を撃ちぬかれている。
しゃがんで、よく見ると、それは竹子だ。
「竹ちゃん……」
いったい、なぜ竹子がこんなところに倒れているのか。
いや、そんなことより、この殺しかた。
これまでの犯人のやりかただ。
腹が裂かれてないのは、竹子が御子である可能性がゼロだからだ。
では、なぜ、御子ではない竹子が殺されなければならなかったのか?
ひとつだけ、わかることがある。
竹子は夕刻、御宿り場に向かったのが、魚波だと気づいていた。雪絵に化けた魚波だと。
だから、魚波に会いにくる途中だったのだろう。
(竹ちゃん。ごめん。わが竹ちゃんのこと好きになっちょったら、一番、おさまりがよかったにね)
竹子の思いには正直、とまどうばかりだった。でも、ここまで魚波のことを思っていてくれたのだ。そう思うと、急に哀れになった。
魚波が雪絵の身代わりになって『巫子』になろうとしているのは、自分のせいだと、きっと竹子は思ったのだ。
先日のあの竹子の発言。
あれが、魚波を傷つけたせいだと。
吾郷にされたあのことを、竹子は知っていた。
そのことを誰にも知られたくなかった魚波が、現世をすてて、神門にくだる気でいるのだと考えた。
それで、魚波に謝罪し、逃がそうとでも思ったのか。
魚波は手をあてて、竹子の目をとじさせた。
歩いていくと、前から誰かが近づいてきた。
威が追いついてきたのか?
魚波は身をかたくした。が、声は意外な人物だ。
「雪ちゃん? そこにおう(いる)のは、雪ちゃんかね?」
銀次だ。魚波を見て、雪絵と勘違いした。
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