Escargotに捧ぐ 上田怜
1982年に、栃木県の山間部の街で失踪事件が発生した翌年、失踪事件の主犯格と目されていた男が逮捕された。その家宅捜査で発見された手記の一部をここに記す。
私は怪奇小説作家である。もっとも、まだまだ駆け出しの身ではあるが…
その日私は、小説のネタを出すために近くの洋館に足を運んだ。ここら近隣で心霊スポットとして名高いあの洋館である。
付近に家屋は無く、ゆったりとした丘陵の上に建っていた洋館は何年も前に主が去ってからは、かつての面影を見ることは叶わなかった。外壁は黒ずみ屋根に至ってはほとんどのレンガが崩れその役目を果たしていたなかった。
黒い樫の木で作られた扉を開けると、かつては大広間だったであろう空間が私を出迎えた。荘厳なビロウドの調度品は見る影もなく、床は所々腐食して崩れてしまっていた。
絵に描いたようないかにもなにか出そうな雰囲気だが、この程度で立ちすくんでは怪奇小説作家としてやっていけない。私は意を決して足を踏み入れた。
洋館の持ち主は大層裕福であったのか、洋館の隅から隅まで、有名な銘柄の家具がこれでもかというくらいに並んでいた。
一通り調べ終えた私はふと違和感を覚えた。館内の家具のほとんどは腐食して使い物にならなくなっていたが、一部の家具はそういった自然に朽ちたのではなく、人為的に破壊されていた。何をどう使えばここまで粉々になるのかという程の壊れ方だった。
直後、私は後ろに何かの存在を感じた。恐る恐る振り返った瞬間、私の心を恐怖が支配していた。
私の目の前にいたのは二メートルほどの「何か」だった。全身は黒ずんでいて、何かのっぺりしたものに覆われていた。周囲に漂う名状し難い異臭に気づいた瞬間、私は吐き気を抑えられなかった。たまらずその場に崩れ落ちた私の目に入ったのは、後ろの家具を破壊したであろう鈎爪。ここまで明確な情報が揃っているにも関わらず、「それ」が何であるか定義が出来ない。その事が、私の中の恐怖を暴走させた。
その後のことは何も覚えていない。気がつくと私は自分の部屋にいた。いや、ここは自分の部屋ではない。あれ?どっちだ…意識が混同しているのか…私の身長はこんなに高かったか…?なぜ目の前に人が倒れている?
ん…?私は今、何を咀嚼している?
やっと意識が戻ると私は人間の頭を咀嚼していた。声をあげてしまう。思考が全く追いついていない。
急に扉が大きな音を鳴らした。
「警察だ!」
警察?そんな…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ誰か助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケ………
男は今も尚、取り調べに対して「Escargot…」としか供述していない。
この男が自分を怪奇小説作家と思い込んでいる食人嗜好のある殺人鬼だと発覚するのはもう少し後のことである。
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