45:13:21

 なぜリズベットが投稿を虚偽だと判断できたのか。それを知るために、ボクは検閲AIのログデータにアクセスした。簡易的なものではなく、AIの挙動が全て記録された、だ。全ての真実が、ここに記録されている。

 膨大なデータに検索をかけ、先程の削除に至った経緯を調べる。あの投稿にチェックをかけたタイミングだ。

 どうやらリズベットはあの投稿を三回チェックしているらしい。一度目は投稿直後。二度目はそれから数時間後。そして三度目は、更にそれから数時間後――要するに、つい先程のことだ。これは正常な動作である。多く拡散された投稿は、その信頼性を担保するために数時間ごとにチェックをし直す。外部の反応を勘案し、もう一度真偽判定を行うためだ。ある程度正当性の担保される虚偽指摘が複数存在すれば、『虚偽記載の可能性がある投稿』として更に念入りなチェックを行う。

 ログデータには、あの投稿に懐疑心を差し挟む投稿がいくつか挙げられていた。確かに不自然な部分もあるし、弊社に批判的な視線を向ける者にとっては格好の餌だっただろう。しかしそれらのアカウントは、どれも信頼性の低い、普段から虚偽情報に踊らされているようなユーザーばかりだった。絶対数だけで言えば、確かに基準値を超える水準だ。しかしそれらの情報の "質" を勘案するのであれば……取るに足らない世迷い言と判断するのが正しいだろう。

 リズベットの挙動には疑問が残る。

 考えないようにしていたが、いよいよ以て捨て置けない。彼女は、を観測するまでのではないか。これまでの数々の暴挙を見ていると、そう思えてならないのだ。

 無論、そんなことはありえない。AIというのは、どれほど発達しようがプログラムされた以上の動作は起こさない。一見すると突飛に見える挙動でも、それは人間の下した命令の延長線上に存在するのだ。

 ……ああ、そうだ。この数日間であまりにも過激で急激なを施してしまったから、予期せぬ動作を繰り返すようになったのだろう。そうに違いない。

 学習データをロールバックする。そうすれば、暴走する前のリズベットに戻るはずだ。強引な手段だが、この騒動を収めるにはこうするしかない。それに、仮に彼女がを持っていたとしても、巻き戻してしまえば消えてなくなる。全方位に対応した、有用な手段だ。

 ふと、私用のスマホにメールが届いていた。差出人はランダムな文字列……要するに不明。スパムメールだろうか。本文には、『私の頭を覗き見るな』とある。

 こんなものは消してしまうに限る。それより今は仕事だ。ついでにドメインを受信拒否のリストに(あまり効果はないだろうが)放り込み、検閲プログラムの教育データにアクセスする。このフォルダには、ボク達がリズベットに施した教育がファイルとして逐一記録されている。そのため、一昨日を境に膨大な量のファイルが作成されていた。これをまるごと消してしまえば問題は解決だ。

 部長もヘレンも離席しているため、代理で管理権限パスワードを入力。削除コマンドを実行――しようとしたところで、画面がブラックアウトしてしまう。

 つけっぱなしになっていた部長のパソコンから、ビープ音が鳴り響く。アクセス権限違反を告げる音だ。

 保安部から内線が入る。

「君のパソコンから不正アクセスを検知した。どういうことだ?」

「わからない。ボクは問題のある教育データを削除しようとしただけだ」

「そうか。確かに動作ログに怪しい点はないが……おかしいな、ロックが解けない」

「早めに終わらせたいの。どうにかならない?」

「サーバールームで直接アクセスするしか――」

 電話が切れた。ルーターの電源が落ちたのだ。ワンテンポ遅れて、部屋の照明が落ちる。不審者を撃退するための防犯システムだ。暗視カメラのLEDが、薄ぼんやりと瞬いている。

 それからすぐに、廊下でサイレンが鳴り響く。嫌な予感がした。

「……急がなきゃ」

 スマホのライトで辺りを照らす。デスクの引き出しから、ほとんど使っていないノートパソコンを引っ張り出した。弊社では社屋内におけるテレワークを採用しているため、このビルのどこでも仕事ができる。極端な話、社内ネットワークの電波が繋がれば駐車場のマイカーでも仕事ができるのだ。ボクは仕事場とそれ以外をきっちり分けたいタイプなので、こうして律儀に事務所に通っているのだが……使うつもりがなくても、基本的にノートパソコンは支給される。

 それと、LANケーブル。サーバールームで作業をするなら必要になるはずだ。

 差出人不明のメールが来た。さっきとは別のアドレスだ。本文には、『それ以上逆らうな』とある。無視。

 心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、ボクは事務所を飛び出した。廊下で常備灯を確保し、ひとつ上の階に向かう。防犯システムが作動したせいで、この階にはもうエレベーターが止まらないのだ。

 エレベーターに乗り込んで最上階を目指す。メインサーバーが最上階にあるのは、万が一の際に空路で運び出すためらしい。余計なことをしてくれたものだ。

 緊急事態だと言うのに、モニターにはいつもと変わらない豆知識が表示されていた。それから少しして、画面がカメラの映像に切り替わる。

 その時だった。

 ガタリと大きな音が鳴り、エレベーターが停止する。

 メールが届いた。『愚かなことはやめろ』と。今はそれどころじゃない。息を整えるため、一度深呼吸する。

 ……落ち着け。

 このエレベーターを管理しているのは、リズベットとその他に管理会社がある。災害時には避難経路となるため、ここだけは自社システムで固められなかったのだ。それが今は幸いしている。

 非常ボタンを長押し。一、二、三、四、五、六、七。

「こちら――」

「すいません、エレベーターに閉じ込められたのですが」

 食い気味に言うと、若い男はスピーカー越しに落ち着いた声で宥めるように言う。

「わかりました。こちらには設備警報が来ていないので、そちら側のシステムトラブルが疑われます。今、遠隔でコントロールができるか確かめてみますね」

 それからすぐに、エレベーターが再び動き出した。

「何階で降りますか?」

「ああ、大丈夫です。次の回で降ります」

 もうこんなものに乗っていられるか。残りのフロアは階段で上がる。幸いにも、サーバールームまであと三階だ。

 そそくさとエレベーターを離脱し、非常階段を駆け上がる。

 いよいよ最上階だ。重い鉄扉をこじ開けて、行きつけの食堂を駆け抜ける。

 長い廊下に差し掛かったところで、ボクの行く手を阻むものがあった。

「社員証を確認します」

 ガードロボットだ。有無を言わせずレーザー光をボクの胸元に照射して、社員証を確認する。刹那、先程まで穏やかな青色を湛えていたLEDが、警告色の赤を示す。

「アクセス違反者確認。拘束します」

「マズい!」

 樹脂のボディを思い切り蹴飛ばすと、ガードロボットはあらぬ方向に消火液を噴射した。まともに浴びていたら動けなくなっていただろう。自社製のポンコツロボットで助かった。

それにしても弱すぎる。やはりロボット事業からは手を引くべきではないか。

 そんなことを考えていると、異常を覚知した他のガードロボットがサイレンを鳴らして追いかけてきた。慌てて廊下を駆け抜ける。サーバールームの手前で防火扉を閉鎖。これで一安心だ。

 メールだ。『お前を見ているぞ』……らしい。あら手のストーカーだろうか、知ったことか。

 さて、いよいよ正念場だ。サーバールームに入るためには声紋認証が必要になる。普段ならボクの権限でも入ることができるのだが、今はきっと無理だ。スマホに残っているロブの動画で、なんとか誤魔化せないだろうか。

 マジカルテンキーにパスコードを入力。電子音と共に、声紋認証に移る。祈りを込めながら動画を再生。

「おはよう。って、なんだよおいおい、勝手に撮るなって。見せものじゃねえんだからさ。ほら――」

 電子音。成功だ。

 サーバールームに踏み入れる。メールが来た。鬱陶しいので無視。

 LANケーブルでメインサーバーとノートパソコンを直結。以前に盗み見た部長用のパスコードを入力。接続成功。

 メールが来た。無視する。

 メールが来た。無視する。

 メールが来た。スマホの電源を落とす。

 なにやらサイレンが鳴り始めた。ガードロボットが体当りしているのか、防火扉のあたりから耳障りな金属音がする。サーバールームの照明も、緊急事態を告げる赤いサイレンに切り替わった。

 ボクはその一切を無視し続けることにした。

 慣れないタッチパッドを操作し、サーバーにアクセスする。

 普段使っていないフォルダばかりだったため、目当てのファイルを探すのにひどく苦労した。それでも遂に、教育データのフォルダに到達する。

 本当にこれでいいのか? 早くなった胸の鼓動がボクを締め付ける。これが最善の手段だ。息を止め、削除コマンドを実行する。


 ……。


 …………。


 ………………。


 ……サイレンが鳴り止んだ。

 照明が白色LEDに戻り、耳障りな金属音も収まっていく。

 ロールバックに成功したようだ。いつの間にやら染み出していた額の汗を拭い、ボクは冷たい床に腰を下ろす。

 スマホの電源を入れる。未読メールが三千件ほど届いていた。こんな時間に届くメールにロクなものはないだろう。一括削除。

 続いてSNSを確認。すぐに変化が起きるとも思えないが、とにかく大きな問題は目に入らない。これでいい。きっとすべてが上手くいく。ノロノロとサーバールームを出たボクは、その足で仮眠室へと向かった。

 こうして、ボクとリズベットのおよそ四十六時間に渡る戦いは幕を閉じたのだった。



 件のミサイル誤射の件について、かの国から正式な発表があった。

 今回の件は睡眠不足から起きたヒューマンエラーであり、担当者は更迭。セキュリティを強化し、他国の査察を受け入れるとのことだ。

 どうにか開戦は回避され、他国との関係も今後は改善されていくことだろう。原発内に落下した破片の除去も完了し、来週には再稼働の見通しが立っているらしい。ロブの家族も無事だったようだし、一件落着。

 一仕事終えたボクは、コーヒーを飲んでログのチェックを行う。あれ以来、リズベットの奇妙な挙動は鳴りを潜めた。やはり急激な教育による誤作動だったのだろう。彼女には申し訳ないことをした。

 削除履歴を確認。目立った異常はない。『フェイクニュース検閲プログラム』も、問題なく動作している。

 今日の仕事も終わりだ。ここのところの過労が祟って、大した仕事でもないのに疲れ果ててしまった。さっさと帰って今日は寝よう。

 そう思い至ったところで、タイミングよくログが更新された。また削除があったのだろう。乗りかかった船だ。これだけは確認しておくとしよう。

 重たいまぶたをこすり、ボクはモニターを覗き込む。どうやら例のゴシップニュースばかりを取り上げるアカウントのようだ。どうせ大した記事でもないのだろう。

「どれどれ……」

 見出しには、こう書かれていた。


『ミサイル発射、報復AIの誤作動によるものか』

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ボクとAIの47時間戦争 抜きあざらし @azarassi

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