41:02:05

 出社から四時間。すでに日は暮れ、薄ぼんやりとした照明群が街を彩っている。

 そんな夜景を見下ろす余裕もないほどに、ボク達は追い詰められていた。

 何者かが混乱に乗じて弊社に攻撃を仕掛けている。それも検閲AIの挙動をある程度把握した上での攻撃だ。ランダムに海外サーバーを経由しているため、アクセス制限を科すこともできない。

 再び検閲プログラムを止めようかとも思ったが、賢しいことにヘイトスピーチやフェイクニュースをばら撒いている。それも驚異的な速度で、だ。恐らく人の手ではなく、なにかしらのプログラムを用いたものなのだろう。これに対抗するには、こちらもリズベットを起こしておくしかない。

 後手後手の対応に、ボク達は疲弊しきっていた。

「絶対に掴み返してやる……」

 それでもなお闘志の炎を絶やさず、ボクは発信元の特定を試みていた。というのも、犯人は愚かなことに弊社の管理するレンタルサーバーすら踏み台にしていたのだ。他所のサーバーが相手では発信者情報の開示請求もままならないが、自社サーバーであればデータは全て手元のデータベースにある。複数箇所のサーバーを踏み台にアクセスしているようだが、もしもその踏み台が全て弊社のものであれば……発信元にアタリをつけることが可能だ。

 今も休憩中に組んだマクロがバックグラウンドで犯人を追跡している。組んだ後でその情報がすぐには役に立たないことに思い至ったが、まあいい。後の楽しみが増えるのなら十二分に有意義だ。

 ビープ音が鳴る。早くもアタリを引いたようだ。マクロを呼び出し結果を確認する。発信元は……かの国だ。

 見なかったことにしよう。

 気を取り直して対応に戻る。スパム爆撃のペースはかなり落ちてきた。気が済んだのか、あるいは目標を達成したのか……まあいい。

 軽く伸びをしてから再びモニターに目を向けると、凍結リストの中に大統領のアカウントを発見した。大量のスパム報告が入ったらしい。このアルゴリズムもいよいよ改めなければならないだろう。

 ボクが凍結を解除するのと同時に、休憩に入っていたヘレンが悲鳴を上げた。

「なにこの動画!?」

 吸い寄せられるように画面を覗き込む。

 ――『大統領のアカウントが凍結される直前に投稿された動画です』

 そんな書き込みと共に添付されていたのは、大統領によるかの国へのネガティブキャンペーンだ。あらんばかりの罵詈雑言を浴びせ、言葉が詰まる毎に「今すぐ根こそぎ殺せ」と息巻いている。国際問題待ったなし。

 しかしAI技術に慣れ親しんでいたボクには、これがフェイク動画であることがすぐにわかった。身体の揺れ方が不自然なのだ。かなり精巧に作られているようだが、やはり長尺の動画を捏造するのは難しい。

 問題は、ユーザーの大半が素人だということだ。

 無数に転載された動画は、消せば増えると言わんばかりにあっという間に拡散されていった。人間の悪意というものは、こうも醜いものなのか。ボクの心が義憤の炎で燃え上がる。

 そもそもどうしてリズベットはこれを検閲しないのか。明らかに虚偽の拡散であり、かつ特定の国家を侮辱している。削除事由はいくらでも満たしているはずだ。

 ログを確認。……どうやら、映像に大統領の顔が映っていることが問題らしい。というのも、昨日の事件を受けて一時的に大統領の顔が映ったメディアを削除しないように設定していたのだ。見に覚えがないので、ミッシェルがやっていたのだろう。余計なことを……とも言えない。

 仕方がないので、動画情報を分析させて、これと類似するものを最上位権限で削除するように設定した。要するに、この動画は何があろうと問答無用で消せと指示したのだ。

 そしたら、出た。上下や左右を反転した動画。全部指定してやった。

 音声だけの動画。音声も指定。

 アスペクト比を変えたり、意図的にノイズまみれにした動画。類似判定の範囲を広げる。広げる。広げる。まるでイタチごっこだ。他の動画も巻き込まれるようになってきた。これは……後で個別に対応する。

 広報部のメルシーから内線が来た。

「大統領の動画見た!? あれについてテレビ局から動画提供の依頼が来たんだけど……」

「全部デマだから拒否して」

 どいつもこいつも簡単に騙されやがって。

 苛立ちも顕に、ボクは何本目かもわからないエナジードリンクを飲み干した。人間は機械と違って連続稼働に不向きすぎる。そのためにAI制御をしているというのに、その調整に追われているようでは本末転倒だ。頭がおかしくなりそうな対応の応酬に、ボク達の精神は限界を迎えつつあった。

 ガタリと音を立てて席を立つ。驚いてこちらを見たヘレンに、一言だけ告げる。

「ちょっとサボる」

 そもそも今は勤務時間外、超過勤務中だ。別に少しばかり放り出したところで誰かに文句を言われるような筋合いはない。むしろ業務効率が上がるのなら褒められるべきことだ。ブツブツと意味のない呟きを繰り返しながら、エレベーターで屋上に上がる。カフェも食堂も閉まっているが、無人販売は動いていた。社員証でタッチしてシステムを起動する。

「いらっしゃいませ。なにをお求めですか?」

 聞き慣れた女性の声。この無人販売に採用されているのもリズベットだ。

「オススメは?」

 疲れからか、少し上ずった声が出てしまった。少しばかりの沈黙の後、無機質なスピーカーは平坦な声で言う。

「気分がいいようですね。それならピザでもいかがでしょうか」

 音声認識はかなり進化したが、それでも声色に含まれた微妙なニュアンスを読み取るのはまだまだ難しいようだ。使い続けていると声紋を分析して正確性が上がるようだが、あいにくボクは滅多に無人販売を使わなかった。

「バカ言わないで。コーヒーとホットサンドを」

「かしこまりました」

 夜間の無人販売は、保存の効く軽食のみ。温かいコーヒーとホットサンドを受け取り、フェンス付近のテーブル席に腰掛ける。リゾート地なだけのことはあり、高層ビルから見下ろす夜景はなかなか見応えがあった。

 のんびりとコーヒーをすすり、ゆっくりと息をつく。常夏の地と呼ばれるこの半島も、日が落ちてしまえばすっかり涼しくなる。遠くに見える海岸線で瞬く光は客船だろうか。どこかの国ではこの時期に大型連休があるらしく、ぼちぼち観光客が増えてくる頃だ。街も賑やかになるだろう。

 ホットサンドを食べ終える。手持ち無沙汰になるとついついスマホに手を伸ばしてしまうのは、情報社会を生きる現代人の悪癖だろう。落ち着いた時間も、すぐにこの長方形の物体に吸い込まれてしまう。

 タイムラインをざっと眺める。ボクの観測範囲はあまり荒れていない。事務所のモニターに映った世界はあんなに荒れ果てていたというのに、酷い話だ。こうして簡単に別世界が生まれてしまうのだから、インターネットが世界をひとつにするなどという言説は夢物語に過ぎない。

 とは言えそんな平和なタイムラインでも、弊社の体制を心配する声はままある。AIを用いた検閲についても、賛否両論といったところだ。あの体たらくを考えれば、こればかりは仕方がないだろう。

 ……だから、ついつい魔が差した。

 このアカウントは会社に知られていない、ボクの隠れアカウントだ。電波も会社のWi-Fiではなく自前の契約回線を使っている。なので、どんな投稿をしようが会社の人間にバレることはない。

 いつもの調子で、一言。

『リズベットってもしかしておバカさん?』

 これぐらいのストレス発散なら、女王陛下も許してくださるだろう。

 さて、そろそろ仕事に戻ろうか。そう思った矢先、スマホのプッシュ通知が鳴る。先程の投稿についてだ。タップして確認。

『あなたの投稿は利用規約に違反していたため削除いたしました』

 こんな優良ユーザーの投稿を削除するとは何事か。削除事由を確認すると、『誹謗中傷』とあった。確かに中傷ではあるが……ニュアンスというのは難しい。

 まあいいさ。アカウントが凍結されたわけでもないし。

 事務所に戻ると、ヘレンが入れ替わりで休憩に出てしまった。辛く苦しい戦いをしていたのだろう。他人事のように席に戻り、ボクの仕事を再開する。

 とりあえず件の動画転載は沈静化したらしい。夜中だし、当然だろう。地球の裏側の連中にまで波及していなくて助かったとも言える。

 それではと、巻き込まれて削除された動画の復旧作業に移る。例の条件で削除された投稿を抽出し、上から順番に調べるのだ。いくらAIによる自動化を試みても、人の営みが存在する以上、とどのつまり人間の仕事がなくなることはない。



 サンバのリズムで日付が変わった頃になって、ようやく選別作業が終わった。あまりにも膨大な動画が転載されていたためだ。類似範囲をかなり広げていたため、巻き込まれた動画も相当数あった。根こそぎ削除するためには必要な犠牲だったので、どうか許して欲しい。許してくれるね。

 喫緊の仕事が片付いたので、いい加減に仮眠を取ろうと思う。

 その前にタイムラインを確認。概ね平和だ。問題ない。件の動画についても、フェイクであることが広く伝わったようだ。これで安心して眠ることができる。

 そういえば、公式アカウントをしばらく放置していた。これの管理はボクだけの仕事じゃあないが、関わっている手前完全放置というのもマズいだろう。諸々の不祥事を、どう釈明しているのか。アカウントページを開き、確認。

 どうやら会見や大統領の凍結について、サーバートラブルを理由にしているそうだ。少し苦しい言い訳にも思えるが、大規模ながあったことを訴えてもいたずらに情勢を刺激するだけだろう。ならば、自前のミスということにしてだんまりを決め込んでおいたほうがいい。

 投稿を見ていると、自動でページの再読み込みが始まった。リアルタイムでなんらかの更新が発生した時の挙動だ。少し待って、表示に驚愕する。

 先程の投稿が、消えているのだ。

 これはおかしい。遅れて規約違反の通告が届く。先程の投稿は、リズベットによって検閲されてしまったのだ。

 削除事由は……虚偽情報の拡散とある。

 ああ、確かにそれは真実だ。この投稿は、事実を述べたものではない。広報アカウントで行っている以上、虚偽情報の拡散と解釈することもできるだろう。

 だが、しかし。

 どうしてそれを、

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る