21:00:41
デスクに置いた時計がサンバのリズムで一日の終わりを告げる。事務所で日を跨いだのは初めてなので、驚いて手を止めてしまった。
終わりは同時に始まりでもある。日付の変わった時計を眺めていると、失いかけていたはずの眠気が蘇ってきた。このままではいけないと席を立ち、冷蔵庫からエナジードリンクを取り出す。腰に手を当て一気飲み。ここからが正念場だ。でも、その前に――
エアコン近くの空き椅子に腰掛け、会見のまとめ記事を確認する。
賠償金の請求を中心に据えた穏和路線は変わらず。しかし一部の野党からは過激な制裁を促すような意見も上がっており、強行手段を訴える派閥も少なくない。こればかりは相手の出方次第だと締め括られた。
対するかの国はと言えば、最初の発表から沈黙を貫き通している。原因を調査中との触れ込みだが、疑惑の芽は尽きない。
それから、近隣諸国や同盟国も声明を出していた。どれもこれも当たり障りのない文言だ。我が国の女王陛下も意見をお述べになっていたが、弊社はリゾート地――ニアイコール僻地に存在しているため、仲間意識はあまりなかった。
当たり障りのない文言というのは、つまりどちらに転んでも対応できるようにしておきたいという精神の現れだ。
端的に言って、あまりよろしい状況ではなかった。
だが、言ってしまえば所詮は他所の国の出来事。かの国は弾道ミサイルこそ所持しているものの、 総合的な軍事力は某国に遠く及ばない。実際に開戦したところで、衛星兵器の波状攻撃でミサイルを射つ間もなく蒸発――なんて与太話もある。無論、某国政府は否定しているが……実際はどうだろうね。
情勢はなんとなくわかった。時事ニュースはフィーリングが重要だ。ざっくりと把握して、井戸端の話題に乗り遅れさえしなければ問題ない。仕事が終わるまではね。
程なくして、ミッシェルがコーヒーを両手に持ってやってきた。
「気が利くじゃん」
「君にはやらんよ」
言うと、彼はアツアツのコーヒーを一口で飲み干す。それから両手にカップを持ったまま自席へと戻っていった。い、いやなやつ!
いつまでもサボっていないで仕事に戻ろう。
デスクに戻ると、公式アカウントの投稿が削除されているのが目に入った。ボクが昼間に出した謝罪文だ。削除事由は『弊社醜聞の拡散』とある。上層部の要請で無理矢理実装させられたという、いわくつきの事由だ。社員の大半が反対意見を述べていたが、押し通されてしまった。
まるで反抗期の子供だ。姪っ子の相手をしている気分になる。
このまま暴走されても面倒だ。教育係の特別権限で、検閲AIを数時間止めておく。幸いにもピークタイムは過ぎた。大事には至らないはずだ。
これでゆっくり教育ができる。体罰じみた行動ではあるが、相手はAIだし問題ない。それよりもボクの心の平穏の方が重要だ。ストレスはパフォーマンスを害する。
さあ続きをしよう。肩をパキパキと鳴らしながら、ボクはモニターと睨み合った。
※
どうやら寝ていたらしい。
ガバリと音を立てて起き上がったボクは、親指を立ててデスクの下に沈んでいるミッシェルを見て息を呑んだ。今は何時だ? どれぐらい作業が止まっていた? 残りの作業はどれぐらいだ?
壁を照らす日差しは朝方のものだ。時刻は……八時過ぎだ。マズい、通勤ラッシュに突入している!
急いでモニターを確認。どうやら教育だけは完了していたらしい。全く記憶にないが、自らの勤勉さに感謝だ。
しかし終わっていたのは教育だけだ。検閲プログラムが止まったままである。このご時世、妙な記事が蔓延していなければいいのだが。
個人用のアカウントでタイムラインを流し見る。知人のアカウントを巡回。観測範囲で妙な話題は出ていない。それならと全世界のトレンドに目をやると、懐かしいトピックが話題になっていた。
――『天才AIリズベット、独裁国家に流出か?』
リズベットというのは、今ボクが相手にしているAIの愛称だ。弊社で開発された人工知能で、スマートスピーカーサービスからSNSの監視など、様々な事業で活躍している。……というのが表向きの紹介文。
実態はプログラムの集合体であり、『リズベット』という単一のAIが存在しているわけではなく、弊社で開発・使用している複数のAIをまとめて『リズベット』と呼んでいるだけに過ぎない。
それがかの国に流出したというのがこの記事。支社に移送中のサーバーが一台盗難被害に遭った事件とほど近いタイミングでかの国がミサイル開発を初めたことから着想を得たようだが……盗難に遭ったのは人間らしいbotを運用するために調整されたAIであり、軍事目的にはあまり役立たないのだ。
とは言えこの記事のおかげでリズベットの知名度は格段に上がり、シェア率の上昇にも繋がった。軽く目を通せば戯言とわかるような記事なので、今でも変な思い出として時々語られている。
それが今朝、再びトレンド入りした。
理由は……なんとなくわかる。
調べてみれば、出るわ出るわ。喧嘩っ早くて正義感の強いユーザーが、積極的に弊社の責任を追求している。運営アカウントにもおびただしい数のメッセージが届いていた。
彼らを突き動かす義憤は、言うまでもなく一昨日の事件から湧き出したものだ。物好きなユーザーが過去の記事を掘り返し、それが再び話題になったのだろう。最近のユーザーは見出ししか読まないので、冷静になる猶予すらないのかもしれない。
これは……どうする。検閲するのは簡単だが、このタイミングで記事を削除するのは逆効果だ。火消しをするなら違う手段を取らなければならない。
いいや、それはもうすぐ出勤してくる法務部やマーケティング部の人間がやってくれるはずだ。ボクにも責任の一旦はあるが、火消しはボクの仕事じゃない。自分の業務から逸脱しないのがプロだ。
だから……そうだな、部長とミッシェルにメモだけ残して少し頭を冷やしに行こう。下手に再起動して酷いことになっても困る。なにより髪がボサボサで堪らない。
重いまぶたをこすりながらエレベーターで三階へ。貸しタオルを手に取りシャワールームへと向かう。物理的に頭を冷やす。CPUの水冷クーラーと同じだ。
壁に手を付き項垂れたまま、二十度の流水でおおよそ十分ほど。
長く伸ばした髪をドライヤーで乾かし、お気に入りのヘアゴムでまとめる。
戦う準備はできた。さあリズベット、今日は何して遊ぼうか。
社内販売で買った新品のアロハシャツに着替えて事務所に戻ると、すでにほとんどの人間が出社していた。会釈しデスクに戻ると、部長に声をかけられる。
「昨晩の件、ご苦労だった。ミッシェルにも言ったが、今日はもう帰っていいぞ」
「ああ、それはありがたいのですが……」
斜向かいのミッシェルは、疲れた顔で作業を続けていた。彼がどう働こうが知ったことではないが、捨て置くのも少しばかり引っかかる。
「帰れと言ったんだが、『これだけは片付けないと眠れない』と聞かなくてね。まあ、無理のない範囲で頑張ってもらっている」
「へえ……」
ロブの休暇は一週間だそうだ。それまではボクとミッシェルの二人だけ。午後にはヘレンがバカンスから帰ってくるし、他所からの応援も来るだろうが――
「手伝うよ」
隣のデスクに腰掛けると、ミッシェルは半開きの口をボクに向けた。
「じゃあ例外処理を頼むよ。メモを送ったからリストに直してくれ」
「オーケイ。他は?」
「それが済んだらもう終わりだ」
「よし、それじゃあ――」
※
手打ちで例外リストを作成して、なんとか検閲プログラムを再起動した。場当たり的な対応だが、あとは他の部署でなんとかしてくれる。
「流石にもう帰るよ。眠くて仕方がない」
家が近いミッシェルは、それだけ言ってさっさと帰った。ボクも帰りたいところだが、家が遠いとこういう時に億劫になる。とはいえこの騒ぎで仮眠室が空いているとも思えない。近くのスパで個室を借りよう。
わざわざ人里離れたリゾート地に居を構えているだけあり、福利厚生は万全だ。社員証を見せれば半径十キロ以内の施設は三分の一の値段で使えるし、動物園に至ってはタダだ。慣れない緊張感に包まれた街を猫背で練り歩き、スパの個室で爆睡すること八時間。時刻は昼を跨いで十五時半。中途半端な時間に目を覚ましてしまった。
このまま家に帰って映画でも観るか? いいや、そんな気分じゃない。今はなによりシマウマが見たいね。
動物園に行くと、入口近くでオウムのショーをやっていた。即座にシマウマへの気持ちを忘れたボクは、しばらくそちらに没頭していた。
言葉の意味もわからず、下賤なジョークを繰り返すオウム。オウム返しとは正にその通りで、教えたままに喋る様は最初期のAIと似ているようにも思える。これはこれで、なかなかに面白いものだ。
人工の知能、要するに自分で考えて実行するのがAIというものだが、その根本ではやはり人間からもたらされた情報が核を成している。その周囲を塗り固める処置プロセスは時を経る毎に重層化していき、今では人間の予測を上回る思考すらもこなすようになった。それはまるで、感情を持っていると錯覚させるほどに。
感情と呼べるモノを持っているのは、哺乳類だけなのだという。つまり感情そのものは、有機物と無機物を隔てるものではないということだ。発達した脳に感情が生じるのならば、複雑化した機械にもそれは芽生えるのではないか。
……いいや、ないだろう。少なくとも、0と1のチカチカが根本を成している今のコンピュータではありえない。
AIの強化学習が人間の学習方法と似て非なるものであるように、そもそもの組成が異なる機械と生物が同様の振る舞いをすることはありえない。
電話が鳴った
「もしもし」
部長からだ。
「帰ったところにすまない。今はどこに?」
「動物園ですが」
「なら……すまないが、力を貸して欲しい」
「わかりました。事務所に戻れば?」
「助かる。そうしてくれ」
急ぎ足でオフィスへ向かう。信号待ちの間にSNSをチェックするが、特に目立った騒ぎはない。強いて挙げれば早朝の件の火消しが終わっていないぐらいだろうが……専門外のことで呼び戻されるとは思えなかった。
オフィスの近くに来たところで、挙動の怪しい男を見つけた。腕に提げたビニール袋から覗いているのは――火炎瓶。
「君、ここで何してるの」
肩を掴んで引き止めると、男はか細い声で答えた。
「あ、あのビルを燃やしに行くんですよ」
「どうして」
「あ、そこは、ミサイルの、打ち上げに……協力してるからです」
「ハァ……。あれはもう何年も前の記事でしょ。デマだって、知らないの?」
「あ、でも、証拠隠滅のために、書き込みを削除してます、し……」
「削除?」
「あ、ほら、これとか……」
男がポケットからスマホを取り出したが、それを見てやる余裕はなかった。
おかしい。あの記事に関する書き込みは削除しないようリストに入れておいたはずだ。範囲指定が甘かったか? いいや、むしろ広すぎるぐらいに設定していおいたはずなのに。
事務所に戻ると、ヘレンがべそをかいていた。
「助けて! スパム報告が止まらないの!」
そうか、ユーザーによる通報か。
一定以上の不適切報告を受けた投稿は、たとえこちら側でロックをしていてもリズベットの判断で削除される場合がある。越権行為を防止するための措置だ。
それでもこのタイミングは出来すぎている。ボクは悪寒を押し殺して叫んだ。
「アク禁してもらうから! リストを!」
必死に手を動かしながらヘレンも叫ぶ。
「串だらけで無理! バーベキューみたい!」
間違いない。
ボク達は、攻撃を受けている。
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