5:30:45
臨海部を舐めるように進むモノレール。平日特有のまばらな人混みに揺られ、リゾート地に建つオフィスへと向かう。
朝のニュースチェック。ワイヤレスのイヤホンから、昨日よりのホットニュースが飛び込んでくる。もちろん、見ているのは自社製のSNSだ。
ユーザーの立場を知ることが社内で推奨されているから――というわけではない。タイムラインとお抱えの動画投稿サービスを密に連携させたこのスタイルは、手早く話題をチェックするのにこの上なく向いている。圧倒的なシェア率も納得の利便性であり、転職前から愛用していた。
右へ左へ流れるニュースは微笑ましいものばかり。どうやら某国の大統領が大きな猫を飼ったらしい。
海岸線を見送り、オフィス近くの駅に着く。緩やかなカーブを描いた螺旋階段は、観光客ウケこそいいらしいが方向音痴のボクには辛いものがあった。スクエア側の改札を抜け、ミラーをチラリと見やる。そばかす隠しをやめてから一年。今やこれも立派な個性だ。サンディブロンドのポニーテールを揺らして、アロハシャツでオフィス街へ繰り出す。スーパークールビズでも、照りつける赤道付近の日差しを浴びれば汗が湧く。リゾート地のオフィスというのも考えものだ。
モニターに毎日違う豆知識を映すエレベーターで七階へ。リュックサックをデスクに置いて、ふと気づく。いつも一本早い便で来ているはずのロブが居ない。
「あれ、ロブは?」
訊ねると、斜向かいのミッシェルがメガネを拭きながら答えた。
「実家に帰った。避難区域なんだって」
「へー、お母さん独居だって言ってたもんねー……って、避難区域?」
「知らんの?」
言うと、彼はスマホでニュースサイトを開いてみせる。
「国際問題だよ」
昨晩、三時頃のニュースだ。
深夜二時過ぎ(現地時間ではお昼ぐらい)のこと。どうやら、とある独裁国家がミサイルを発射し、某国の迎撃システムによって撃ち落とされたらしい。それだけでも立派な国際問題だが、あろうことか、破片がひとつ原子力発電所に落下してしまったようだ。
「ヤバくない? あれ、待って」
自社製のアプリで今朝のニュースを開く。そのような記述はどこにも見受けられない。
「こっちにはないんだけど」
どのニュースアカウントを見ても、件の記述はひとつもない。
「ウチのだけだよ」
ひねくれ者のミッシェルは他所のニュースアプリを愛用している。だから先んじて気づいたのだろう。
それにしても妙だ。
SNSに流れるニュースは、それぞれの報道機関が独自に提供しているコンテンツだ。シェア率ナンバーワンを誇るこのアプリに提供を渋る理由はない。ないのだ。だとしたら、こちら側の不手際だろうか?
嫌な予感がする。まだ定期確認には早いが、いてもたってもいられずログを精査した。ビンゴだ。AIが関連する動画や発言を根こそぎ削除している。
久方ぶりの問題行動だ。初報映像に死体でも映っていたのだろうか?
項目を変え削除要因を確認。どうやらフェイクニュースと判断したようだ。拡散のされ方がフェイクのパターンと似通っていた……らしい。
テスト運用時にはこのような現象など起きなかった。それがどうして急にこんな? 原因を究明するべく、更に詳細なログを確認。
アルゴリズムはこうだ。
投稿直後にPVが急増。そこでまず削除。それから同じような投稿が各所で乱立。まとめて削除。これは……どうなんだ?
テスト運用時は、既にあるニュースソースをまとめて精査していた。このようにリアルタイムで大規模ニュースを仕分けるのは、よくよく考えてみると初めての体験だ。想定外の動作をするのも、仕方がないことなのかもしれない。
なにより、初報がゴシップニュースで有名なアカウントなのが悪かった。AIによる警戒レベルも "高" と表示されている。
しかし、どれだけ理由を重ねてもこの大規模削除が失態であることには変わりない。関連ニュースがデマでないことをAIに教え込み、次いで広報用のアカウントを開く。予想に違わず無数の苦情が寄せられている。ありがたいご意見達だ。公式アカウントが突然話しかけて驚かせてしまっても困るので、代表して謝罪文を掲載。Aリストユーザーの反応をチェック。
思った以上の困惑が広がっていた。
ボクが言えた義理ではないが、ウチのユーザーはひとつのニュースソースに依存しすぎているきらいがある。深夜の間にほとんどの情報がシャットアウトされてしまったため、突然のニュースに驚く声が多数。避難区域在住のとあるユーザーは、注意喚起の投稿が軒並み削除されていたことに憤慨していた。
最低限の対外処理を済ませたので、次は内部処理だ。
本来であれば、頭を下げるのはボクの仕事じゃあない。報道機関からの問い合わせでてんてこ舞いになっているであろう各部署に最新情報を共有。殴り込みに来たマリア(クレーム担当)を足蹴にし、ようやく一息吐いた頃にはすっかり日が昇っていた。
「あ~、ひっさびさに一生懸命仕事した……」
実のところ、教育係は暇だった。発足当初こそ未熟なAIに悩まされてきたが、強化学習を重ねるごとに判定の精度はうなぎのぼり。弊社期待の星であるAI事業は、気づけば世界でもトップクラスの業績を誇るようになっていた。
それがこんな大一番でやらかすなんて。
優秀なAIを抱える弊社が満を持してリリースした虎の子である『フェイクニュース検閲プログラム』は、運用早々に盛大なミソがついてしまった。
「株価落ちてる……」
広告部門のアナが嘆いているを尻目に席を立つ。気を取り直してランチにしよう。半日頑張った自分へのご褒美に、今日はA定食を頼む。たとえ無料の社食であってもあのカロリーはおいそれと摂取できないが、今日は別だ。クソ疲れたし。
※
それはビルの最上階。階下を眺める特等席でコーヒーを飲む、至福の昼休み。社員食堂は最上階+屋上と最下階+中庭の二箇所に存在し、それぞれに某カフェのチェーンを併設している。
年中暑いので屋上席の人気はイマイチだ。それに引っ張られて最上階も空いている。このリゾート地を一望できる席は一種の穴場であり、ボクが情報統制しているので滅多に人が来ない。あと三年は独占できると踏んでいる。
さあ午後のニュースチェックだ。ミサイル事件のその後が気になる。合間にチラリと見た時には、開戦だの誤射だの騒いでいたが、果たして。
流し見したところ、まだかの独裁政権側の声明は出ていないらしい。念の為別のニュースアプリ(設定が煩雑で面倒だった)も確認したので間違いない。
対する大統領は怒り心頭。ネットユーザーにも『開戦秒読み』などと揶揄されているが、この大統領には数度の開戦危機を紳士的な外交で乗り越えた実績がある。好戦的なようでいて純粋に国益を追求するその姿勢は、意外なことに穏健路線を辿るものであった。
現に国軍は発電所の始末に奔走しているようだ。今の所は目立った異常もないらしいが、大規模発電所をひとつ完全停止させたことで一部地域が停電しているらしい。ロブ一家が無事だといいのだが。
※
午後の業務はつつがなく終わった。
ボクの責任区分は午前の間にあらかた片付けておいたので、残る仕事はいつも通りの通常業務。少しばかり退屈に感じたが、ようやく取り戻した日常に安堵の息を吐かずにはいられなかった。
それでも定期確認は心臓に悪い。神に祈りながらスクロールしたのは久しぶりだ。
二回目の確認を終え、ようやく本日の業務が終了。一時はどうなるかと思ったが、今日も無事に家に帰れる。
帰り支度をしていると、ミッシェルがモシャモシャとサンドウィッチを食べているのが目に入った。
「間食? 太るよ」
「違う。今日は残るんだよ」
「なにか終わってないの?」
「嫌な予感がする」
「……」
いいや、彼がいらぬ心配をしているだけだ。
後ろ髪を引かれながらも帰路につく。駅ビルの本屋で新刊をチェック。満足。それからモノレールに乗り込みSNSチェック。大統領の記者会見が始まっていた。
こうして外出していても生中継を見ることができるのだから、便利な時代になったものだ。
大統領の語り口は穏やかだった。幸いにも死者は出ていないらしく、かの国側からも正式に謝罪があったようだ。近く、会食を開く予定だとも。腹の内は知れないが……。
と、秘書と思しき男が大統領になにやら耳打ちした。大統領の表情が、一気に険しいものとなる。
そこで、放送が途絶えた。
運営によるBANだ。メッセージが出ている。
『以下の理由で放送を中止させていただきました:戦争幇助』
そんなわけがあるか。検閲AIが暴走したのだ。
ああくそ、もう家の近くだというのに。
ミッシェルは正しかった。
人混みを抜け、次の駅で降りる。時刻表、次の上り線は――三十分後。待っていられるか。階段を駆け下り改札を抜け、タクシーに飛び乗る。
「オレンジライン三丁目まで。かっ飛ばして!」
紙幣を運転手の襟に差し込む。この街の流儀だ。良い子は真似しちゃいけないよ。
「オーケイ嬢ちゃん。舌噛むなよ」
ご機嫌なナンバーを垂れ流しながら、爆速で夜の街を駆け抜ける。オブジェのような建築物は、ここが観光地であることを否が応でも思い出させる。のんびりドライブでもしている分にはいい街なのだが、今は無駄に多いカーブが恨めしい。空きっ腹でなければ吐いていた。
着いた。紙幣を押し付けオフィスビルへ。裏口からの最短ルート。三階の売店でエナジードリンクを購入。七階に上がり冷蔵庫に放り込む。肩で息をし事務所に入ると、ネクラメガネが陰気な笑みを浮かべていた。
「おかえり」
「おめでとうミッシェルどうしてくれんだミッシェル」
「人のせいにするなよ。精査は終わった。言語の反転解釈だ」
モニターに表示されたログを斜め読み。メッセージの通り、削除事由は戦争幇助。彼の言うように、大統領の演説から物騒な単語を検出し、それを戦争行為を助長する発言だとして運営権限を行使した。戦争幇助は児童買春と並ぶ削除基準として厳しく制定されている。たとえそれが大統領の公式アカウントであっても見逃す理由にはならないのだ。あろうことか、会見映像に映っていた某国の政府関係者のアカウントは軒並み凍結の憂き目に遭っていた。現政権に入ってSNSでの広報に力を入れ始めたこともあり、これは大きな痛手になりうる。
ユーザーは混乱しているし陰謀論者が好き勝手に暴れている。実は大統領が瞬きでモールス信号を送っていたとかなんとか。そんな与太話に限ってAIは見逃していた。肝心なところで役に立たない奴だ。
火消しが先か? 教育が先か?
いいや。火消しはボクの仕事じゃないし。
言語の反転解釈は初歩的なバグだ。しかしそれだけに根が深い。根本治療は不可能とすら言われている。
というのも、スラング含めて多様化した現代言語には決定版と言える辞書が存在しないからだ。複数の言語が入り乱れるSNSで文章を正しく解釈するのは人間の脳を以てしても困難で、体系化なんてできたものではない。過激な発言の多いあの大統領の言説からニュアンスを読み取り温和なものだと捉えることができるのは、キチンと教育を受けた人間だけだ。ましてや機械翻訳まで挟んでいるのだから手に負えない。
各アカウントと放送は復旧している。再凍結しないようにロックもかけた。あとは演説の内容を細切れにして、ひたすらAIに "正しい解釈" を叩き込んでいく。これが本当に骨が折れる。まず教育者自身が演説の内容を完全に把握しておかないといけないし、他にも色々ありすぎて説明するのも面倒臭い。それでもとにかくやるしかない。ロブが居ればミッシェルと合わせて三分割できるのに。
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