第2話 ストーンズ・バック

「これはなかなかのいい石だぁ」


 クーラーのよく効いた、狭いアパートの一室。

 28歳会社員の比嘉ひが拓也たくやは声を弾ませた。


 その手の上には琥珀こはく色の綺麗な石が。

 彼はその石を顔の高さまで持ち上げて、にこにこと見つめていた。


「そうだろ? リサイクルショップで偶然見つけたんだが、比嘉が喜ぶと思ってな」


 そう言って缶チューハイをあおる男は、比嘉の学生時代からの友人。

 面倒臭がりな性格のため常に薄っすら髭が生えているが、よく笑う癖があるため優しげな人相をしている。

 同じ会社に勤めていることもあって、比嘉たちは週に一度はこうしてどちらかの家で酒を飲む仲になっていた。

 比嘉はにこりと笑う。


「さすがは俺の親友。いくらで売ってくれるんだ?」


「いや、金はいい。そのかわし、今度適当な飯でもおごってくれ」


「それでいいのか。太っ腹だな」


 比嘉は少し変わった趣味を持っていた。

 石の収集。


 一風変わった色形をしたものや、他の石とまるで見分けがつかないもの。

 子ども時代からあらゆる場所へ行っては様々な石を集めてきた。


 そんな彼の六畳ほどの部屋は、壁二面に特大ラックがそびえ、これまで収集してきた石がずらりと並べられていた。


 今、比嘉はその一角にたった今譲ってもらった琥珀色の石を置く。

 その顔はご満悦まんえつといった様子。


 その後、比嘉たちは深夜2時過ぎまで酒を飲み、酔いつぶれるようにして眠りについたのだった。


 ガタッ、と何か硬いものが落ちる音で目が覚めた。


 暗い部屋の中。

 机の向かいには、友人がまるで時が止まったかのように静かに眠っている。

 寝相がいいし、音の発生源は友人ではないとすぐに悟った。


 きっと家鳴りか何かだろう。

 気にする必要もない。

 そういえば喉が渇いた。


 比嘉は起き上がり、キッチンを目指す。

 暗いから足元に気を付けて進み、ふとキッチンを見上げた時――


「うおわっ!?」


 ――そこに佇む黒い影に気が付いた。


 シルエットしか見えないが恐らく女性。

 動く素振りは見せず、ただじっとこちらを見つめているようだった。


 誰だっ!?

 というかどうやって入ってきたんだ!?

 とにかくまずは明かりだ……!


 比嘉はスイッチを叩いて電気を灯す。

 けれど、それと同時に人影は跡形もなくフッと消えてしまった。

 すぐに辺りを見回すが、どこにもそれらしき姿はない。

 試しに明かりを消してみるが、先ほどの人らしき影は見当たらなくなっていた。


 もう一度明かりをつける。


 ひょっとして何かの見間違いだったのだろうか。

 そうだ、きっと酒に酔ったからだな。


 比嘉は自己解釈しつつ、水を飲んで寝ていた場所へと戻る。


「いてっ」


 しかし、その途中、何かにつまづいた。

 足元を見れば、琥珀色の石。

 それは今日譲ってもらった石だった。


 きちんとラックに置いたつもりだったが、何かの拍子に落ちてしまったのだろうか。

 比嘉は石をもとの場所へ戻し、再度眠りについた。



▼▽▽▽



 翌日の夜も、比嘉はガタッといういびつな音で目を覚ました。

 部屋の中は真っ暗、スマホを確認すれば時刻は02:46。


 たぶんまた何かの石が落ちてしまったんだろう。

 明日は仕事だし、朝になったら元の場所に直せばいい。

 そう思い布団に横になり、まぶたを閉じた時だった。


 ――――っ!?


 誰かが枕元に立っている。

 あやふやだが、そんな感覚がした。


 しかし、つい今しがた起きた時には、部屋には自分以外には誰もいなかった。

 じゃあ一体、そこにいるのは何だ……?


 背筋が凍るような不気味さと恐怖心。

 比嘉はそれでも、正体を確かめておかなければという思いから薄らと目を開けていく。


「……は」


 そこには、誰もいなかった。

 安堵あんどが比嘉の胸に溢れる。


 部屋の中を見回しても、誰もいるような様子はない。

 念のため玄関のドアをチェックしたが、二重ロックにチェーンまで掛けてあった。

 誰かが侵入してくるとは考えづらい。


 きっと気のせいだったんだろう。

 そう自分に言い聞かせ、比嘉は布団に戻った。


「……ん?」


 布団の中に何かある。

 それを掴み、取り出してみた。


「はあ……? どうして?」


 昨日貰った琥珀色の石。

 それがなぜか、布団の中に潜り込んでいたのだ。


 もちろん、それを持って布団に入った覚えはない。

 それにさっき布団に入っている時には、石なんて入っていなかった。

 つまり――比嘉が布団から出て、玄関の様子を確認しに行っている時に入ったとしか考えられないのだ。


 昨晩見た人影、そしてなぜかこの琥珀色の石だけがラックから落ちていた光景がフラッシュバックする。


 この琥珀色の石、もしや……いやまさか……っ。


 比嘉は背筋に悪寒が走り、石を放り出し、何かから隠れるようにして布団を被った。



▼▽▽▽



 結局昨晩はなかなか寝付けなかった。

 朝になると比嘉は、昨晩の不気味な出来事を思い出し、すぐさま琥珀色の石を新聞紙に包み、クローゼットの奥へと押し込んだ。


 すると何となく、すっきりしたような気分になった。

 これで恐らく、今夜はぐっすり眠れるだろう。


 出社後、比嘉は強烈な眠気と闘うこととなった。

 全身に重りを付けたような倦怠けんたい感や頭痛、そして今にも閉じてしまいそうなまぶた

 どうにかその日の職務だけやり終え、20時過ぎ、部屋に帰ってきた比嘉は、すぐさま布団に横になり、泥のように眠ってしまった。


 今日はゆっくり眠れるはず。

 そんな安心感と共に。


 ――深夜。

 真っ暗な部屋の中。

 比嘉はまた、ガタッという鈍い音で目が覚めた。


 嫌な予感がする。

 頭の中にあの琥珀色の石のことが思い浮かぶ。


 一昨日の夜に見た女の影や、昨晩枕元にあった気配。

 今も何となく、この部屋のどこかにもう一人の誰かがいるような気がしてくる。


 比嘉は背筋をゾクリと震わせて布団を頭まで被った。

 それを見てはいけない。見てしまえば、その存在が確定してしまうような、そんな気がした。


 だからじっと布団の中に潜り、外が明るくなる時間までじっと耐える。

 あと何分、何時間だろう。


 比嘉は全身にびっしょりと汗を掻いていた。

 布団に籠った熱気のせいなのか、恐怖のせいなのか分からない。

 このまま汗を掻き続ければ、朝までには脱水症状を起こしそうだ。


 だから比嘉は、こっそりと布団を持ち上げ、隙間から部屋の様子を窺う。


「…………」


 暗くてよく見えないが、特に変わったことはなさそうだ。

 徐々に布団の隙間を広げていく。


 ……どうやら、本当に何もなさそうだ。

 部屋を見回しても、誰も何もいない。


 よかった、気のせいだったのか。

 比嘉はほっと安堵の息を吐いた。


「……しタ、の……」


「っ!?」


 耳元で声がした。

 比嘉が反射的に振り向くが、そこには誰もいない。


 しかし、確かに声が聞こえた。

 今にも消え入りそうな女性の声。

 ごく普通に、自然に、自分に話しかけるような声。


「……どう……シ、て…………」


 また聞こえてきた。

 電波状態の悪いラジオのように断続的な言葉。


 何を言いたいのかまるで分からないが、常識では考えられない出来事に、全身に鳥肌が立つ。

 比嘉はすぐさまスマホを持って布団から飛び出し、電話をかけながら部屋を出ようとする。


『……比嘉か? どうしたんだよ、こんな夜遅くに』


 玄関の戸を開ける寸前で相手が出た。

 通話履歴から適当にかけたから誰に繋がるかも分からなかったが、どうやら相手は例の琥珀色の石を譲ってくれた友人のようである。


 誰であろうといい。比嘉はただ怖く、誰でもいいから助けを求めたかったのだ。


 今もわけのわからない女性の声が聞こえている。

 とにかくこの状況をどうにかして伝えないと、と比嘉はどうにか口を動かす。


「あの石おかしいんだ!」


『ああ? なんだって?』


「だから石だよ! 石! この前お前から」


『な、なあちょっと待ってくれっ』


「いや待ってる暇なんて――」


『何を言ってるか分からない。一人ずつ話してくれ。なんだってそんな大人数で話すんだ』


「は……? 大人数?」


 比嘉はまくし立てる声を止めた。

 彼が聞こえている声は一人の女のものだけだ。

 しかも、とぎれとぎれで何を言っているかは不明。


 けれどふと、その途切れた合間に、何か他の声が混じっていることに気が付いた。

 女の声と同様。何を言っているかまでは分からない。

 かろうじて人間の話し声ということだけは確かだ。


「……っ」


 全身に冷たい感覚が走った。


 ――ダメだ、振り向いては……ダメだ。


 分かってはいても、妙な圧を感じ、振り向かずにはいられなかった。

 比嘉の手からスマホが滑り落ちる。


 そこには、ぼぅっと佇む集団の影が。

 男や女、老人や若者。時代のバラバラな服装。


 暗い中、彼らが生気の無い顔でただこちらを見つめていた。


 画面の向こうから友人の声が聞こえる。

 何やら呼び掛けているようだが、比嘉はそれに答えることができなかった。




 これは後日談だが、結果から言うと比嘉は自分との石をお祓いしてもらい、コレクションしていた石を寺に預けることになった。

 するとそれ以上もう不思議なことは起きなくなったのである。


 ただ時々、比嘉はまた石を拾いたくなり、そのたびにあの夜のことを思い出してやめるのだった。

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