その男の名はティンペイ

 ドアが開いた。


 ハゲは5キロの鉄アレイを持ち上げて入口を見る。


「ちぃす!」


 巨漢の男が手を上げて挨拶してきた。


「……」

「……」


 ロン毛とハゲが顔を見合わせ、同時に巨漢の名を呼ぶ。


「ティンペイ!!」


 彼はこの店の常連客で、若い身空で体重が200キロ近いという巨漢の持ち主だ。

 名前を呼ばれて「うすっ、うすっ!」と挨拶しながら店内に入ってきたが、服は返り血で真っ赤。部分的に古い血は錆びた鉄のような色に沈着している。


「無事だったんだな、よかった!」


 ハゲがティンペイの柔らかな腹をぼにゅんぼにゅんと叩いて挨拶に変える。


「いやぁ、やばかったっすわぁ。前にここの系列でブラックって立ち飲み屋を出してたことあるじゃないですか。ここに来る途中であの店の裏にあるボクシングジム見たんすけど、ボクササイズしてるエロいねーちゃんたちがトレーナーたちの内蔵食ってたんすよ。ダイエットのためにボクシングやってんのに腹減ってしょうがなかったんでしょうねwww」

「「うわぁ」」


 ロン毛とハゲはその状況を想像して顔をひきつらせた。


「ま、全部潰してきましたけどね。あとおっぱいも揉んどきました!」

「「さすがティンペイ」」


 ゾンビだろうと相手は女。触れるものは触っておく。そんなティンペイに感動した二人は席を勧めた。


「いや、俺、行かなくちゃいけないんですよ」

「え?」

「どこに?」

「へへ……」


 照れたように笑うティンペイは、大人の男が三人は入りそうなシャツをめくって太鼓のような腹を見せた。

 がっつり歯型の形で肉が削られている。


「おっぱい揉んでる時に油断しちゃって」

「「ティンペイ~~」」


 ロン毛とハゲはがっかりしてカウンターに俯せた。


「さっき自衛隊っぽい車が昭和通りを走ってたんで、ちょっと行ってきます!」


 ティンペイは元気だ。


「え、マジ?」


 ハゲは俯せていたが「ガタッ」と立ち上がった。


「はい! もしかしたらワクチンとか出来て、ゾンビパニック終わるんじゃないですかね!」

「いや、そう簡単にワクチンは……」

「おいハゲ黙れ───ティンペイ、生きろよ!」


 ロン毛はハゲが言わんとしていることを強引に止めた。僅かな可能性に賭ける若者を阻害するのは老害のやることなのだ。


「じゃ、行ってきます!」


 ティンペイが巨漢を震わせながらラクーンを出る。


 願わくばこのデブに未来を


「んぎやああああ!!」


 通りを右往左往していたゾンビたちが一隻にティンペイに襲いかかり、脱兎のごとく走るティンペイの叫び声が遠くに聞こえた。


「なにあのすばしっこいデブ」

「ああいうのがゾンビ映画で最後の最後にひょっこり返ってくるんだから、バカにしないほうがいいですよ」

「どうかなー」


 ハゲはドアを開けずに店の前の通りを観察する。


 店の前をウロウロしていたゾンビたちは誰もいない。全部ティンペイが連れて行ってくれたのだ。


 秋葉原駅方面に走り去っていったティンペイは無事に逃げ切れたのだろうかとドアを開けて通りに出ると、総武線の高架下通りをゾンビたちがのたのたと一点に向かって移動している。


「ぬわーーっっ!!」


 ハゲに見えたのは、道路標識によじ登っていたティンペイがゾンビの群れの中に落ちる場面だった。


「……」


 無言でそっとラクーンの店内に戻る。


「どうでした?」

「あ、うん。まぁ、うん」


 ロン毛にティンペイの様子を尋ねられたが、あれは生き残れないだろうとハゲは言葉を濁した。

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