第12話 回想7 -中学最後の夏休み-

俺は目の前の現実に驚きを隠せなかった。


心臓の鼓動がいつもより早く感じる。



感じるというより、実際に俺の脈は早かったんだと思う。


夏の剣道大会。


自己ベストの市大会準決勝進出。


この試合に勝っても負けても俺は県大会に進むことになる。



だが今ここで、市大会の準決勝で負けてもいいやなんて思いは1ミリもない。

きっと対戦相手もそう思っているんだろう。


面の奥からビシビシと殺気を放っている。


俺は呼吸を整え、開始線まで歩み寄る。

主審の旗は中央のバツ印に向かって頭を垂れる。


納めていた刀を抜刀するように、

俺は竹刀をゆっくりと構え中腰になる。


「はじめっ!」


主審の合図と、共に立ち上がり「イヤー」っという叫び声を上げる。

竹刀と防具ではあるが、いつだって俺は真剣勝負の気持ちで望む。





「それで、まことは勝ったの?」


剣道大会が終わり、

学校の武道場に自分たちの荷物を置きに戻ると

佐倉が武道場に顔を出していた。



「お疲れ様でーす!」


と後輩たちが佐倉へ挨拶をする。


佐倉はそれを笑顔で答える。


俺は父兄の目が無いことを他所に

剣道着のまま道場の床に大の字に寝っ転がる。


「まーけーたー!」


と冗談交じりに駄々を捏ねる仕草を見せた。


「マジショック!

 決勝まで行って負けるとかマジ、あーー!」


声を上げ、上体を起こすと

ニヤついた顔のあおいが視界に入った。


「残念だったねー、まこと!

 市大会優勝はあたしが頂いた!」


とダブルピースを見せる。


市大会の決勝で殺気を纏っていたとは思えない切り替えぶりである。


「くっそ。

 結局あおいに公式戦で1回も勝てなかった!!」


中学最後の公式戦。


同じ学校の人間と戦える可能性が高いのは区大会か市大会までだった。


もちろんお互いが勝ち進めれば

県大会で当たる事もあるだろうが、自己ベストは市大会ベスト6とベスト8。


今大会では前回優勝の上位陣が上級生だったため、順当の結果といえば順当である。


「えっ、ていう事はあおいは県大会行くけど

 まことは県大会には出れないの?」


佐倉が少し驚いた表情を見せるが、すぐさまあおいが補足してくれた。


「まことも県大会をいけるのよ、

 市大会準優勝だからね。

 ただ、単純に私に負けたのが悔しいのよ。


 ねー、まことちゃーん」


あおいが俺をちゃん付けで呼ぶ時は、決まって弄り倒す時だけだ。


俺は身の危険を感じて、

吹っ切れたトーンで


「よっしゃ!次は県大会で1位を取ってやる!!」


と誓ってみせた。


「次は私も応援に行こうかな」


と佐倉がこぼし、あおいは是非おいでと嬉しそうに言った。


俺は下級生たちに帰り支度をする様に促し、自分も部室へ入る。

佐倉は武道場の黒板に落書きをしているらしく、1人で楽しそうに絵を描いていた。


部室の窓を開けると吹奏楽部の練習の音が聞こえた。


「そういえば吹奏楽部、この間のコンクールで金賞とって全国大会行くらしいよ」


そういうとあおいは


「すっごいよねー」


と独り言のように話を完結させた。


去年のクリスマスから生田とはちゃんと話していなかった。

3年に上がる時に同じクラスになったのは覚えているが教室で話すこともなくなった。


きっと練習が忙しいんだろうなと思い、

心の中でがんばれよっと声援を送る。


剣道着からジャージに着替えて、

カバンに汗の染み込んだ剣道着を詰め込む。


部室の水道の蛇口を捻り、頭から水を被る。


面防具を付けていると髪がリーゼントみたいになるので流石に頭は洗っておきたい。


帰り支度が済むと、後輩たちが帰るまで俺は道場で待っていることにした。

黒板への落書きが済んだのか、佐倉はチョークをおいて黒板を眺めていた。


「何かいたの?」


そういって俺は黒板を見る。


『めざせ!県大会優勝と準優勝!』


と書かれた文字の下に俺とあおいの似顔絵が書かれてあった。


優勝の下にはあおいが、準優勝の下には俺。

丁寧に表彰台も描いてあり、1位の台にはあおいが乗っていた。



「おいおい」


そう言って俺は佐倉の後頭部へチョップを食らわせた。


「それはやりすぎ」


と言って2人で笑った。


少しすると後輩たちが帰り支度を済ませ、武道場を去って行く。


全員が帰ったのを確認して、

俺も道場を後にしようとしたが

佐倉はまだ座ったままだった。



その時に初めて違和感に気づいた。


もう夏休みに入っているのに、

なんで佐倉は学校に居たんだ?と。


今日は別に出校日でもなければ、

委員会の集まりがあるわけでもないのに。


だいたい、俺は佐倉に剣道大会が今日だとは言ったが、

学校に寄って帰るとも何時に学校に戻るとも行ってない。


そもそも時間はもう夕方を過ぎてる。


3年になってから佐倉は進学塾に通い出した。


この時間はその塾に行っているハズの時間だった。


佐倉がなぜここにいるのか、

そう聞こうとした俺に佐倉が先に口を開いた。



「今日は塾さぼっちゃった。」



眉毛の尾尻が垂れる笑み、

それは佐倉のSOSだった。


最初にそのSOSに気付いたのは年明けだった。

いつものように明るく振る舞う佐倉の眉毛の尾尻が垂れていて

不思議に思った俺は何かあったのかと聞いた。



その時初めて、

佐倉の家に複雑な事情がある事を知った。


複雑、といっても俺は詳しい事を何も知らない。



中学生の俺が出来るのは話を聞く事ぐらいだった。


俺は佐倉の隣に座り直し


「なにかあったのか」


と、出来るだけ冷静に聞いた。


佐倉は言葉を探す様に目線を落とした。


ちょっとね、と言う顔は、

ちょっとではなく、大きな問題に直面している顔だった。


少しの間、沈黙があった。


吹奏楽部の練習の音がファーと聞こえ、

セミのミーンミーンという鳴き声が続く。


近所の子ども集団が通ったのか、

笑い声と自転車のチリンチリンという音が背中から聞こえ、通過していった。


「まことはさ、将来の夢とかってある?」


佐倉がこぼした声は優しいものだった。


俺は不意の質問に少し戸惑ったが


「本屋になることかな」


と答えた。


「まこと本屋すきだもんねー、

 いつからなりたいって思ってたの?」


と続ける。


「いつって、いつからだろ?」


俺は自分の記憶を探った。


物心ついた時から自分は本屋になるものだと思っていたし、

その夢自体に疑問はなかった。


「小学生の作文で将来の夢ってお題が出た時にも、

 もうすでに俺は本屋になるって思ってたからなぁ」


左手を自分の後頭部に回し首の辺りを触る。


「佐倉はどうなんだよ」


「私は医者になることかな」


その時初めて佐倉のビジョンを聞いた。


高校は近くの進学校である鈴木学園に進み、

大学受験の為にたくさん勉強をする。


大学は福岡で医療が学べる大学に進んで、

医療に携わっていずれは難病で苦しむ子どもたちを救う存在になることが

佐倉のビジョンだった。


しっかりした将来のビジョンに俺は関心した。


ここまでちゃんと考えている人間を初めて見たと思う。


周りの友達と将来の夢について話す事はあまりなかったが、

中学3年の夏であれば嫌でも進学について考えなければいけない。


俺もそうだ。


普段から勉強をしている奴らは

どの高校に進むかは決まっているらしいが、

その先で何をしたいのかは聞いた事がなかった。


俺は佐倉のビジョンを聞いて


「お前、色々考えてるんだな」


と漏らした。


「まことだってちゃんと本屋さんになるって考えてるじゃん」


そう言って笑った佐倉の眉毛は垂れていなかった。


「本屋さんの名前とかもう決めてるの?」


と尋ねる佐倉。


俺は立ち上がり先ほど佐倉が描いたイラストの隣に文字を書いた。


『真琴』


「これ字あってたかな?」


漢字を書いて佐倉の方を向く。


「合ってるよ」


と言う佐倉の返事を聞いて安心した。


佐倉との勉強のお陰である程度、漢字を書けるようになってよかった。


「本当は俺、この漢字だったらしいんだよね」


そう言って書いた文字を消した。


漢字は合っていたが、

下手くそな字を残しておきたくはなかったからだ。


「父さんが考えたらしいんだけど、

 母さんが女の子の名前は平仮名がいいって言ったんだって」


手に着いたチョークの粉を叩きながら、また佐倉の隣に座る。


「真琴かぁ、真琴書店。

 うんいいね。


 だったら私がそのお店の常連さんになるよ」


佐倉がそう言って左耳に自分の髪をかける。


「じゃあ、その店には医学書たくさん置いとかなねぇとな」


と笑った。


「頼んだ」


といって笑う佐倉。




何でその日、佐倉がSOSを発していたのかが分からず仕舞いだったが、

ようやくいつもの笑顔に戻ってくれた事がただ嬉しかった。

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